短編小説 『 刃 』
作:コジ・F93

T.


 聖アラストエア大聖堂。
 昔々、それこそ、少女の祖父が生まれるよりも遙かに遠い昔。その聖堂は、かつてこの地に存在した国の象徴であり、その技巧を凝らされた外観、乳白色の外壁は柔らかく光輝き、鳥達の歌声に絶えず、包まれている。内部には厳かな空気が漂い、まるで神がすぐ近くで呼吸をしているような錯覚さえ覚える。ステンドグラスから差し込む光は訪れる者全てに祝福を捧げ、中央で十字架に張り付けられた神の子は見る者すべての胸をうった。まさに「白き神庭」の名にふさわしい、神々しくも、愛しい聖アストラエア大聖堂。
 だが、その栄光の歴史は、300年前、たった1人の魔道士によって完全に崩壊した。

 魔道士ヴァール

 類稀なる魔道使いの才を持ちながら、魔道使いから、魔道士へと堕ちた男。その魔道により作った親族の数も質も、重ねてきた外道魔道の数も、搾取してきた命の数も超越者中の超越者にふさわしい不死者。

 こんな話がある。昔々、ラングブルツ魔道院で、1人の青年が世界の神秘を学んでいた。青年の研究は非常に優れていて、学院内の講師、果ては当時の学長からも、青年は一目置かれる存在になっていた。そう遠くない未来、青年の研究は新しい発見を人間にもたらすに違いない。そんな声がそこかしこで聞かれるようになったある晩、青年は忽然と姿を消した。彼が姿を消した研究施設の中には、50人を超す魔道使い(と、その卵達)の変わり果てた姿があったという。そして、青年は祖国へと帰還したという。「人ではないモノになって」

 そして、その怪物の根城が、かの「元大聖堂」である。
 本来、魔道士の根城は人に発見できるものではない。幾重にも張られた結界、強大な魔力によって隠されたそれは、妖精が棲むとされる異界に近い。
 この300年の間、それは変わらぬ真理であり、そしてそれは、これからも変わらない真理である。彼はそう信じて疑わなかった。

 だが、不死者に死を告げる刃は、すぐそこまで近づいていた。



U.


 かつて、何万、何十万という人が足を運んだであろうその土地に、今、300年ぶりに「人」が足を踏み入れた。この「元大聖堂」を訪れる事ができた「人」は少女が最初であり、そして、最後になった。


 「流石は大魔道士、これは見つからないわね」
 鬱蒼と茂った森の置く深く…ではなく、凪いだ風が頬に気持ちのいい、美しい湖畔。午後の麗らかな日差しが透き通る水面に反射して、目に優しい…。眼前に広がる美しい光景、そしてその裏に狂気を忍ばせた魔道士に少女は感嘆した。若干の皮肉を込めて。
 「さてっ」
 少女は軽く瞼を閉じる…これから始まる命懸けの「闘争」に神経を研ぎ澄ませていく…負ける気はしない。負ける要素もない。殺す気しかしない。たとえ相手が、300年の長きを生きた大魔道士であってもそれは変わらない。後悔もなく、言葉もなく、余韻もなく…ただ死を与える。少女に狙われた命の結末は、全て。ただ1つの例外もなく。常に同じところに行き着くように出来ていた。
 ゆっくりと少女が、瞼を開ける。相変わらず、光も水も緑も、風さえもが眩しい…
 ”本当にいいところだなぁ、ココは…”
 凪いだ風を頬に感じながら、少女は呟く。言葉とはあまりにも不釣合いな表情で。


 300年、ただの1度も破られることの無かった結界が、少女の腕の一振りで霧散する。湖は消え、蔦の絡まる不気味な建造物が目の前に現れる…と同時に轟音を上げて少女の身の丈程の火弾が襲い掛かってくる。眉一つ動かさず、その弾をまるで暖簾でも潜るかのような気楽さで片手で逸らすと、少女は1人、怪物の根城に侵攻を開始した。



V.


 フェルミナ王国には、1人の若き剣士がいる。
 モスフォート王家の長女でありながら、己の実力でフェルミナ最強の証である「現代最強の剣士(ソードマスター)」の称号を受けた姫。その剣に斬れぬものは無く、その剣に刃を合わせることすら許さない、絶望的な強さを持つ、美しき剣姫アイラ。
 その冗談のような武を持つが故に、彼女の仕事は本来姫がこなさねばならないそれとは完全に一線を隔している。彼女は姫であって姫ではない。剣姫であり、現代最強の剣士。そして、最強の「悪魔殺し(エクスキューター)」なのだ。彼女の仕事は、テラスから国民に手を振ったり、煌びやかに着飾ってどこぞの王宮のパーティーに出席することではない。
 「王国の裏に跋扈する外道、魔道を一切の例外なく殲滅すること」それが彼女に与えられる仕事であり、彼女が望む仕事もまた、それであった。

 悪魔、怪物、化け物…人間に仇なす存在は腐るほどいる。そして、彼らはその絶大な力をもって、搾取する立場を謳歌している。だからこそ、誰かがやらねばならない。異端共は滅ぼさねばならない、特に、人であったにも関わらず、人であることに耐えられず、魔道の力をもって外道へと堕ちた存在である魔道士だけは許すわけにはいかない。彼らは「元人間」であるがゆえに、満ち足りることを知らない。外道として生まれてきた存在より、業も欲も深いのだ。これを害虫と言わずになんと言うのだ。彼らを滅ぼすためなら、この身を紅に染める事にどれほどの抵抗があろう。その程度の代償で済むというのならば、肌も髪も紅に燃えて構わない。それほどまでに、彼女は魔道士を憎んでいた。人を思うが故、彼女は戦いに、その身を投じる決心をした。命を掛けることにした。人を護る戦ために。

 外道と戦うようになってから、どれほどの数を殲滅してきたのか、彼女にも正確には解らない。ただ、1つだけ確かなことがある。
 目の前に人に弓引く愚者がいる。そして愚者共の巣も目の前にある。
 ならば答えは、もう導かれていよう。

 …殲滅する…

 眷属全員、首を刎ね、胴を十字に刻むぐらいでは生温い。一体ずつ、千に切る。眷族の長であるヴァールは万に切る。然る後、この呪われた大聖堂を切り刻む。
 そして、事後処理はフェルミナの誇る魔道騎士団に任せればいい。後発の魔道使いの1個師団が、この土地ごと消去する。一切合切を無に帰して過去も未来も消し去る。そうすることがこの呪われた土地に対する最大の供養なのだと、少女は胸に誓い、大広間へと足を向ける。


 影が少女の前に現れた。

 憎悪に満ちた眼で眼前の獲物を睨みつけると、少女は腰の刃を解き放った…



W.


 1匹目の獲物は無詠唱魔道を使う前に脳天から真っ二つにされた。
 そして、それが合図であったかのように、上下左右ありとあらゆる方向から、魔道による攻撃が、真っ二つにされた憐れな魔道士の亡骸を巻き込みながら、少女に襲い掛かっる。火弾が、氷柱が、風の刃が、雷の矢が襲いかかる。爆炎が凍結し、空気の断層に雷が疾走し、爆発した空間は、大理石の床から現れた茨とも狗の口ともつかぬ黒い炎に喰われた。
 ヴァールの一族による魔道の同時攻撃はその空間に存在していた全てを消し去ることに成功した。
 魔道士達の歓声が元大聖堂に響き渡る。その凱歌を聞きながら、ヴァールは、ほくそ笑んでいた。
 ”現代最強の剣士と言っても人は人。魔道士の前では、犬畜生となんら変わらんか。もう少し、楽しめるかと思っていたが…所詮は人か…他愛ない……………!!!?”
 ヴァールの眼が一点を見つめる。

 大理石の床を突き破り、天をも焼き焦がしていた黒き炎の柱が霧散していく…

 その中に1つある。

 人影が1つある。

 完全に黒い柱が消滅する。

 太陽の光さえ届かない暗黒の大聖堂にあって、その1点だけが眩しく光り輝いている。

 天と地を繋ぐ光の柱の中、少女は立っていた。
 純白の戦闘服(ドレス)に、紺碧で刺繍されしはフェルミナの紋章。
 爆炎に巻き込まれてなお濡れたように艶のある黒髪と、その髪を透かして蒼く点る純黒の眼差し。
 その手には一振りの刀。
 無造作に抜いた刃を片手にさげたその姿は、初見でありながらもコレがそうなのだとはっきり解る、死神のソレだった…


 限りない静謐と、死の気配。アイラ=フィル=アウグストゥス=モスフォートがそこにいた。


 「…何故だ…」
 問いに答える声はない。
 答えなど解り切っているというのに、大魔道士は口に出さずにはいられなかった。どうやって、あの絶対の地獄から、27の眷属一同が放った魔道の煉獄を、人であるはずの少女が切り抜けたのか…大魔道士は知っている。が、認めるわけにはいかなかった。
 「魔道という概念すら殺す『人』が存在する」
 大魔道士がそれを聞いたのは、いつの事だったか…遙か昔…それこそ彼がまだ人であった時のような気もするし、一族に28人目の同士が出来た頃のような気もする…時期までは思い出せない。だが、ハッキリと聞いた。その時は「笑えんジョークだ」程度に思っていたのだが…まさかそれを目撃する事になろうとは…
 「何故だ!」
 解っている。解ってはいるのだ。その『人』は、現代最強の剣士と呼ばれていた。そして、眼の前にいる少女もまた、その名前で呼ばれていることも…
 「現代最強の剣士…」
 なんという忌まわしい呼び名だ。と大魔道士は毒づく。認めるわけにはいかない。「ソレ」を認めることはすなわち、超越者であるはずの、大魔道士の絶対的な優位を覆す要因になりうる。それだけは、認めてはならない。絶対に。
 大魔道士は、自分に言い聞かせる。

 かちゃり。

 と返答があった。
 それは今までゆるく握っていた刀の柄を強く握り直した音。
 歩きながら、アイラは静かに刀を前に…腰の位置にまで持っていく。
 大魔道士は、ゆっくり片手を伸ばし、胸の前に掲げる…と同時に、彼の周りに円が浮かび上がる。
 『防護結界』…人の力では毛の先ほどの傷もつけることはかなわない魔道の壁。この瞬間、かの大魔道士に触れられる存在は地表から消失した。
 少女が足を止める。この時、互いの距離は約5メートル。
 少女、大魔道士共に、もはや眼前の敵しか見えていない…実際ヴァールの眷属は指一つ動かすことが出来なかった…
 「よかろう、フェルミナが剣の姫よ。それだけの力持ってなお、人では超えられぬ領域があることを教えてや…!?」
 大魔道士は弾かれたように後ろに飛び退く。飛び退いた大魔道士の左肘から下が大理石の上に落ちる。
 放たれた銃弾さえ、撃たれた後で躱せるだけの運動神経を持つヴァールは、完全に斬られた後に飛び退いた。自分が斬られたとは気づかぬままに。
 大魔道士が立っていた場所には、刀を正眼に構えたアイラが立っている。
 結界のおかげで、左腕ですんだ…否。この一撃は最初から、結界を斬るためだけに繰り出された一撃だ。にも関わらず、彼は左腕までをも斬り落とされた。これが、例えば真剣での試合であったのならば、今の初撃で、審判がこれ以上の続行は無意味だと判断して、試合を止めることだろう。ソレほどまでに、両者の力の差は明白であった。だが、これは試合ではない。審判もいない。どちらかの命が尽きるまで、誰にも止めることはできないのだ。…いや、どちらかの命ではない。それが、ヴァールの命であることは、誰の目にも明らかだった。

 すぐ、そこまで、「死」はやって来ている。
 ヴァールは理解できなかった。
 人に、たかが人如きに、何故、自分が追い込まれているのだ。何故、魔道使いが人を畏れなければならないのだ。何故、大魔道使いヴァールが人に殺されるのだ…人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ひと、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、
ヒト…………………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………………

 「人であることから逃げた身で、人を語るな」

 澄み渡る水のような声が聞こえた気がした。



X.


 「人であることから逃げた身で、人を語るな」
 静かに言いながら、少女は刀を納める。
 足元には、左腰から、右肩まで斬り上げられ、返す刀で左肩から、右腰までを斬り下ろされ、止めとばかりに正中線で真っ二つにされ、首を刎ねられた。己の生命の終焉に気づくことなく、生命を終えた大魔道士の亡骸が、散らばっている。

 刀を納める音に呪縛を解かれたのか、大魔道士の眷属達は、一斉に少女に襲い掛かってきた…イヤ、長の仇などどうでもいいとばかりに、我先にと、まさに蜘蛛の子を散らすようにして、四方八方へと、逃げていく。
 「…逃がすワケないでしょう…」
 逃げる相手、無抵抗の相手には刀を向けない。などというのは人間同士だから成立する美学なのであって、相手が魔道士だというのなら、話は全然別である。彼らを逃がす事は国の存亡に係わる。そう、かつてこの地にあった大国がそうであったように、魔道士は時に国を滅ぼす。国を滅ぼす気が彼らに無くとも、彼らが存在するには当然、食事が必要になる。食物連鎖の頂点に君臨する彼らの贄は人だ。彼らを生かしておけば、また、人が死ぬ。喰う為だけでなく、魔道の実験と称して人を殺す。戯れでも、彼らは殺す。人を殺す。

 …だから、私は、彼らを殺す。

 少女は納刀した刀の柄に右手をそえると、掃討戦に移行した。



Y.


 朦々と土煙が立ち込める中、少女がゆっくりと歩いてくる。
 純白に輝く戦闘服には土埃1つ無く、その純黒の眼差しには一点の曇りもない。

 「お疲れ様でした。アイラ様。フェルミナ魔道騎士団第3師団ステパナ。団員全員配置完了しております。ご命令いただければ、5分後には術式の開始が可能です。」
 師団長の言葉に少女は頷き、
 「ご苦労様です。こちらの作業は全て終了しています。事後処理、よろしくお願いします。」
 と、優雅に一礼する。
 「了解いたしました。それと、もう1点…」
 「なんでしょう?」
 アイラ様への書状をお預かりしております。と、手渡された一通の封書。刻印はフェルミナ王国のもの。つまり、国からの手紙という事になる。
 新しい指令だろうか?いや、それならば、王立騎士団。或は魔道騎士団。王立直下近衛騎士団。いずれかの刻印が記されているはずだ…
 少女は、疑問に感じながら、やや無作法ではあるが、素手で封書を開封する。
 その中には国王の字で
 「月華舞闘曲開宴。至急、城に戻れ」と、だけ書かれた簡単なものであった。しかし、文脈が簡単である事と、内容の重要性は必ずしも比例するものではない。事実

 「…月華舞闘曲…」

 そう呟いた少女の眼は、腰に提げた刃よりも鋭かった。



〜 Fin 〜




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