〜阿修羅さまがみてる〜
『 〜1年生のお仕事〜 』
作:渡辺浩造
「阿修羅さまがみてる」
〜1年生のお仕事〜
「オハヨー」
「ごきげんよう」
「うーす」
「もーにんっ」
「ちょいや」
さまざまな朝の挨拶が澄みきった青空にこだまする。
甲府の盆地に集う生徒たちが今日も天使のような無垢な笑顔だったり、割りと悪い事思いついちゃった的な顔で、学校名の代わりに『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と書かれた門をくぐって行く。
なんとなく青春真っ盛りな心身を包むのは、思い思いにコーディネートされた私服。
スカートのプリーツってなんだ?白いセーラーカラーがついてるヤツなんか、まずいねぇ。ゆっくり歩く人もいれば、わりとツカツカと歩いていく人もいる。もちろん、遅刻ギリギリだったら、達観している一部の生徒を除いて、全力ダッシュである。
私立星影学園
『自称』卒業生第一号が聖徳太子だというこの学園は、もとは豪族の令嬢、子息のために作られたという、全寮制の学校である。
山梨県甲州。環境破壊が叫ばれて久しい昨今にあって、未だ緑の多いこの地区で、寮に入れられ、その割に、校則があるんだかないんだかイマイチ解らない自由主義のある意味無法地帯。
時代は移り変わり、17条だった憲法が(!?)11章103条に増えた今日でさえ、卒業するころには、大抵のことでは驚かない、頑強な精神力が養われる、とういう教育の現場としてどうにも個性的過ぎるスタンスの学校である。
1年生というものは、何かと大変だ。
何が大変かって。入学したばかりで、学園にも慣れていない。しかも、ここ星影学園は全寮制なので、生活そのものが変わってくる。
私としては、1日が終わるのが早いこと早いこと。
部活動をしていれば、それだけ時間も割かれていく。まぁ、好きでやってることだから、これは寧ろ、OK。
でも、2,3年生と違い、1番下っ端の1年生はやることが多い。雑用といえば1年生の仕事。1年生の仕事といえば雑用というくらい。
と、いっても柔道部は雑用が少ない方だと思う。毎日の日課といえば、練習が終わった後の道場の清掃くらい。みんな、自分の胴着は自分で洗う(昔は、下級生が洗っていたらしい)し、他のスポーツのように、ユニフォームなんて洒落た物
もないから。
他にも少しあるけど、やっぱり、他の部活に比べたら、マシな方かな?大会の直前だと、もう少し忙しいけど。
今回は、私、佐川官(サガワ ツカサ)がやったお仕事のお話。
「只今、絶賛、練習中」
5月の大型連休。
部活のやってない人たちは休みを満喫してるけど、今日も今日とて、私たち柔道大好き人間たちは元気良く汗を流している。
今は「乱取り」の時間。乱取りとは云わば、立ち技の実戦練習。乱取りの良いところは、他にはない爽快感。自分よりも大きい相手を投げた時は体が震えるほど嬉しかった。
「タァァァァァァ!!」
古屋主将の掛け声に導かれるように、宙を舞う私。主将のトレードマークである1本に纏められた長い髪が私と一緒に踊っていた。
ドサッという音が辺りに響いて、畳の上に投げ出される体。痛いと思ったけれど、その衝撃は思ったほどじゃない。よく見ると、畳に叩きつけられる瞬間、古屋主将が私の体を少し引き上げてくれた。こうされると、投げられた方は全然痛くない。本当よ、これ。
そんな優しい私の対戦相手は、我が柔道部の主将であり、3年生でもある古屋咲(フルヤ サク)先輩。
「ツカサ、大丈夫?」
中々、起きなかったから心配したのか、主将がそんな声を掛けてくれた。スミマセン、そんな貴方に感動してました。
「はい、大丈夫です!」
私は立ち上げると、直ぐに主将に向かっていく。いつまでも、感動してられない。なんとか、1回くらいはこの人を投げてみたい。
組んだ瞬間に足払いをかける。あくまでも、これはフェイント。主将の意識を足の方に向かわせて、背負い投げをかける。………予定だったんだけど、
「あれ?」
刈るはずの足が在った場所にない。私の足払いはかわされて、逆に足払いを掛けられ、ジ・エンド。これを「燕返し」という。
(こうなったら、小細工なし!!)
ザッと立ち上がると、すぐさま組んでいく。そして、即行、1本背負い!
体を反転させた瞬間、背中に主将の体を感じる。これは完全に入った。
でも、ここからが動かない。まるで、畳と繋がってるんじゃないかと思うくらいに。
強い人たちは、みんな、そう!! 中野先輩と芹沢先輩も同じ。あの2人は単純に重いのもあるけど、胴着の中にダンベルでも仕込んでいるのかというくらいに重い。
私が諦めかけた、その時、
「そのまま!」
と、主将の声が届いた。
「そのまま、諦めないで!!」
その声に反応するように、力を容れ直す。
「うぅぅぅぅ………」
力一杯、主将を担ぐ。ゆっくりとだが、主将の体が持ち上がった。
「……ニャーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
私の声と供に、主将は畳に横たわった。投げた直前に引き上げる余裕なんてない。本当に必死だった。
「よく、諦めなかったわね、ツカサ」
笑顔で立ち上がった主将は、私の肩に手を置きながら、
「貴方の背負いに入るスピードは、他の技に比べて格段に速いの。相手が反応できないくらい速さを追求していけば、大きな武器になる。
しっかりと、相手の懐に飛び込むこと。そうすれば、大きな相手でも投げられるから」
そんな、アドバイスまでくれた。
「はい! ありがとうございます!!」
やっぱり、凄いと思う。ここまで、相手のことを考えてるなんて。そんな余裕は私になんてない。
それが、少し恥ずかしかった。
「ツカサは次、休憩でしょ。再開しましょう」
「はい!!」
でも、主将がいるうちに、必ず、1本取ってみせる。これが、私の目標だった。
ビーーーっと電光掲示板からブザー音が格技場に響く。これは、5分経ったから交代という合図。
ここ、星影学園の寝技、乱取りの練習は5分交代で10セットが基本。これ以上は集中力が持たないということで、やらないようにしている。短期集中、怪我をしたら何もならないってことで。
「し、シタ!!」
「はい、お疲れ様でした」
バテバテな私に対して、まだまだ主将は余裕タップリ。ニッコリと微笑んでいる。
赤く染まった頬が、ちょっと色っぽい。
「?………どうかした?」
ポーーーッと、主将の顔を観ていたら、怪訝そうに聞かれてしまった。
「い、いえ!! 何でもないです!!」
私は顔を赤くしながら、壁際まで走っていった。
「主将、手合わせ、願います」
私の背後から聞こえる低い声。それは『星影の重戦車』こと芹沢・カモミール・浪(セリザワ・カモミール・ナミ)先輩だった。
「よろしくお願いします」
お互いに礼をして、ゆっくりと対峙している2人。
なんだか『近寄り難いオーラ』を感じてるのは私だけじゃないと思う。2人の周りから、みんなが遠ざかり始めたから、感じたのは私だけじゃないみたい。
「ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!」
芹沢先輩が牛のように主将に突進していく。これを、一般人が真正面から受けたら、どうなるか。
だけど、主将はそれを逃げることなく軽く受け止める。芹沢先輩も驚く様子もない。2人にとっても、周りにとっても、これでグラ付く主将じゃないことは分かってる。逆にグラ付いたら、どこか怪我をしてるんじゃないかと心配になる。
「ウオォォォォォォォォ!!!」
先に動いたのは芹沢先輩だった。気合の目一杯入った内股をかける。主将はそれを軽くかわして、芹沢先輩を1回転させた。
「流石です、主将」
芹沢先輩は、そんなこと言いながら、立ち上がると、すぐに組み合った。足払いを掛けようとしたが、それもかわされて、燕返しを喰らっている。
さっき、私も喰らってしまった。あんなに綺麗に決まってたんだ。
芹沢先輩も直ぐに立ち上がると、また、組み合う。
改めて2人を見ると、体格の差に驚いてしまう。見事に、主将の体が芹沢先輩に納まってしまうほどの差。だけど、主将は投げられることなく、逆に投げ飛ばしている。極めつけに主将の放った一本背負い。芹沢先輩の巨体がを弧を描いて、綺麗に決まった。
やっぱり、格好いい。それに、あんなデッカイ人を投げ飛ばしたら、気持ちいいだろうなぁ。
「まだまだぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
芹沢先輩の景気のいい声が響いてくる。それが、合図のように、みんなにも移り始める。
「さぁ、継夜。私たちも負けてられないよ」
「…………はい」
中野先輩は人懐っこい笑顔を浮かべて、継夜を促す。
ポヨンポヨンとした体格を揺らしながら、継夜を振り回している。中野竹美(ナカノ タケミ)先輩は主将と同じ3年生。
弾力性のある体は、抱きしめられると、ちょっと幸せな気分になれる。頼りになる癒し系(?)な姉御肌。
そんな先輩に1年生の河合継夜(カワイ ツグヨ)が挑んでいる。
中野先輩も主将ほどじゃないけど、やっぱり強い。
しかも、かなりの体格差だけど、3年生の2人は1年生には優しい。2人から見ると、私たち1年生は孫のような存在らしい。お祖母ちゃんは孫には甘いみたいなところかな。
継夜は小さな体を動かし続けて、自慢の足技で中野先輩に挑むが、それは、悉く失敗している。だが、
「おっと!!」
いきなりの体を預けたような小外刈りに流石の中野先輩も驚いている。それでも、内股で返す辺りが、やっぱり3年生の実力だろうな。
とはいえ、クゥ、継夜、やるなぁ。
私としては、同じ1年だから、負けたくない気持ちは一段と強い。それは、継夜も同じだと思う。
なんだかんだと、つるむ事が多い継夜の事は、顔色から、何となくだけど考えているか分かってもきた。
だからといって、普段からいがみ合ってるなんてことはないけどね。
さて、3年生が私たちの「祖母」だとすると、「親」に当たるのは2年生。
そんな、2年生の中でも、私的に苦手な先輩、伊庭八耶(イバ ハチヤ)先輩。
「クックック、さぁ、俺たちも楽しもうぜぇ」
あの笑い方が、どうしても、馴染めない。いつも含み笑いをしていて、何を考えてるのかも謎だし、いやらしさを感じてしまう。
「ほーーーら、どうしたぁ。恵介」
そんな先輩とやっているのが、同じ1年生の大鳥恵介(オオトリ ケイスケ)
柔道部の中でも背が高くて、1番恵まれた体格を持つ彼は、
「ももも、もう、駄目ですぅ」
………1番情けなかった。
そんな中、
「タァァッ!!」
と言う声と供に、また1人宙を舞った。
投げたのは、飯沼貞義(イイヌマ サダヨシ)君。彼も私と同じ1年生。
彼は綺麗に背負い投げを決めていた。練習相手は2年生なのに。うそ、凄い。
でも、ボーーーっとしている。投げた本人が1番驚いているようだった。そして、右手を握って、小さくガッツポーズ。しているように私には見えた。
先輩を投げられたという嬉しさも私には分かる。
負けてられないな、私も。
この日、何度目かのブザー音を合図に私たちの作る輪は回転した。
「どうした、ツカサ」
芹沢先輩の声が私には遠くに聞こえる。先ほどの気持ちとは裏腹に、グッタリと畳に横たわる私。
芹沢先輩相手に何度となく挑んでみたが、結果は惨敗。やっぱり、芹沢先輩は強い。
「お前の力は、まだまだ、こんなものではないだろう」
芹沢先輩の声が私の頭に響き渡る。私を励ましているようだった。
そう思うとへばってはいられない。
ゆっくりとだが、立ち上がる。
「よくぞ、立ちあがった」
優しげに笑みを浮かべる先輩。だが、すぐに微笑みを消すと、「さぁ、もう、一丁!!」と、向かってきた。
だが、その足取りは急に止まる。
「ん? ツカサよ、襟に血が付いているぞ」
なんてことを言ってきた。
襟元を見てみると、確かに血が付いている。首でも擦り切れたかな?
だけど、首を触ってみても、痛いところはない。そもそも、血が付いているのは、襟の内側ではなく外側だった。ここじゃ、自分の血は付かないんじゃ。
相手は誰だろうと思っていたが、その相手は身近なところにいた。
何気なく見た芹沢先輩の右手の人差し指から血が流れている。
「先輩」
「ん? なんだ、ツカサよ」
どうやら、芹沢先輩は全く気が付いていないようだ。痛みに強いのか、恐竜なみに鈍いのか。
「先輩ですよ、血を付けたの。ほら、右手」
「おぉ、こいつは気が付かなんだ」
自分の血が流れているところを見て、豪快に笑う芹沢先輩。この人にとっては怪我をすることは名誉なのかもしれない。
「しかし、スマンなぁ。お前の胴着を汚してしまって」
「いいんですよ、洗えば落ちますから。それより絆創膏くらい張っておかないと」
「そうだな、他に被害を及ぼすのを防がねばならん」
自分の怪我を気にしてない芹沢先輩。そのうち、骨折しても気にしなさそうだ。でも、この豪快さは私としては好意的に受け止められる。
私は救急箱を持ってくると、中から、絆創膏を取り出した。
「おぉ、ツカサ。そいつを張る前に、そこの青色のビンを取ってくれ」
「青色のビン、ですか?」
救急箱の中を見てみると、確かにそれと思しき青色のビンがあった。私はそれを手にしてみると、薬品名に『大復活X』と書かれている。しかも、手書き。
………怪しい。あからさまに怪しすぎる。
「そいつはな、傷口に塗ると、たちどころに塞いでしまうのだ」
なんか、芹沢先輩は興奮気味に語ってる。
「さらに力が湧き上がるのを感じる魔法のような薬だ」
沸き上がる? 魔法?
今、おかしなフレーズが聞こえなかった?
「せ、先輩。ちょっと待ってください」
「ン? なんだ、ツカサよ」
「それって、ドーピングなんじゃ………」
「ツカサよ、考えてもみろ。塗り薬で、筋肉が増強されるか? あくまでも感じるだけだ」
なんて、答えながら、笑っている芹沢先輩。
確かに、考えてみれば、そうかもしれない。そんな物ができた瞬間、スポーツ界に繁栄はないよね。
「とはいえ、止血する効果は絶大だ。こいつに命を救われている俺が保障しよう」
「命!?」
「そう、命だ!!」
芹沢先輩は、少しだけ、遠い目をした。
「…………あれはな、ルームメイトと、どちらがより格好よく、向かってくる戦車を真正面から止められるか勝負した時の話だ。
俺はつい、足を滑らせて、戦車の下敷きになった。
流石の俺も死を覚悟したが、たまたま、その薬を持っていたルームメイトが塗ってくれてな。それで事なきを得た」
それは、芹沢先輩だから、死ななかっただけじゃ………。
この薬のどこに、そんな効果があるのかな。そんな物を造れる人がいれば、間違いなく、ノーベル賞を戴いているはず。
蓋を開けて、中身を確かめようとするが…………あれ?
「あれが、俺とこの薬との出会いだった。近未来の格闘技界に必要不可欠な物だろうな………」
「先輩、話の途中で申し訳ないんですけど………」
「ん? なんだ?」
「………あの、空っぽなんですけど」
「な、何!? 本当か!?」
慌てた様子の芹沢先輩。うぅ、こういう雑務は私たちの仕事なのに。
「スミマセン、先輩」
「………いや、救急箱の補充は俺も失念していた。テーピングとかは自分のを使うからな」
誰も教えてないだろうと、付け加えてくれる。練習ではもの凄く厳しいのに、こういうところは凄く優しい人だ。
「取り合えず、絆創膏を張っておくか」
「はい」
その後も芹沢先輩の励ましのような声を何度となく聞いた私だった。
「ニャーーーーーー!!」
私の小内刈りが不発する。それどころか……返された。
本日、最後の相手は継夜。今日の練習の締めくくりとしては、丁度いいかも。
継夜を爽快に投げ飛ばして、気分よくお終いなんて思ってたのに。
「………効かない」
あの娘はいつものように蚊の鳴くような声で呟くと、口の端を微かに上げた。
………今、笑ったよね?
継夜ったら、私を投げて笑ったわよ。
む、ムカツクーーーーーーー!!
「もう、一丁!!」
「…何回、やっても同じ」
継夜の割りに早い回答してんじゃないわよ。
私は、即座に組むと、背負い投げから小内刈りの連携技をお見舞いする。
だが、これも返された。しかも、比較的、簡単に。
この娘には、何故か私の足技が通用しない。のらりくらりと避けられて、返し技の餌食にされる。
何!? この娘、酔拳でも使えるの!?
継夜の顔を見上げる。
おデコの汗を袖で拭いて、全部は見られなかった。だけど、口の端を上がってるのだけは、私は見た。しかも、さっきより上がってる。
くやしーーーーーーー!!!!
「落ち着いて、ツカサ」
そんな私に後ろから声がかかる。その声の主は……
「…主将」
振り返ると、練習も最後だというのに、まだ、余裕のある顔で笑ってる主将の姿があった。その横には、受身に失敗したのか、胸を抑えて蹲ってる大鳥君がいる。
「私が言ったこと、思い出しなさい」
主将も汗を拭いながら、私にそんな言葉をかけてくれた。
「今は、それだけを考えて、ね」
「はい!!」
そして、主将は継夜にも「自分から技をかけるようにね」と、声をかけて練習に戻っていった。
練習相手だけじゃない。どこまで、周りが見えているんだろう。
本当に凄いと思う。
………これでは、いけない。
今は練習に集中しないと。
「シャース!!」
「…シャス」
掛け声と同時に前に出て行く。
私は組みながら、主将の言葉を思い返した。
(トップスピードで……相手の懐に飛び込む)
よく見ると、継夜の両足が少しだけ開いている。
ここは、攻めるのみ!
継夜の上半身を引っ張りながら、私は勢いよく回転する。
「…!」
すると、継夜の体は羽のように、宙を舞い、畳に落ちた。
「あら、継夜さん。何回やっても同じだったんじゃないかしら?」
肩で息をしながらも、オホホと笑ってみる。
「……もう、一丁」
「何度でもいらっしゃい」
顔色を変えずに継夜は立ち上がる。だけど、イラ付いているのが雰囲気で分かる。
ここからは防御なしの投げ合いだ。
まさに、私たちのプライドがぶつかり合う、ガチバトル。
こんな感じで、今日の練習も終わりを迎える。
「練習、終了!!」
「では、本日の練習は終わりとします。皆さん、ゆっくりと休んでください」
その声に習って、私たちはそれぞれの学年に別れて、横3列に並ぶ。
格技場には大概、神棚が置かれてあり、それに向かって練習の開始と終わりに主将の号令で挨拶をするのだ。勿論、並びは3年生からの学年順である。神棚に礼をし、先生に礼をし、最後に互いに汗を流した部員に礼をする。それが、柔道部の伝統。
柔道は礼に始まり、礼に終わるってこと。
「神前に礼!」
「「「「「シタ!!」」」」」
一同、土下座。………一際、大きな声は芹沢先輩だろう。
「先生に礼!」
「「「「「シタ!!」」」」」
「はい、お疲れさん」
柔道部顧問、桂先生の呑気な声が聞こえてくる。
「お互いに礼!!」
「「「「「シタ!!」」」」」
これで今日の練習も本当に終わり。2年生たち部員たちはそれぞれ更衣室に入っていくが、私たち1年生はここから仕事がある。
使い終わった練習場の清掃だ。広い場所なだけに、大変な作業になるのよ、ホント。しかも、練習の後で疲れてるし。
「さぁ、チャチャっと終わらせましょう」
他のみんなを促して、立ち上がると、すでに継夜がいない。
どこかな?と見回してみると、あの娘は掃除用具を持ってきていた。
継夜は次にやることが決まっている時、そのスピードはピカイチだった。サッサと終わらせたいのか。
なにはともあれ、私たちは継夜から箒を受け取り、奥に歩いていく。
みんなで、さっさか、さっさか箒をかける。
手を止めることなく、脚を休ませることなく。私は疲れていたけど、鼻歌を歌って気分を変える。
「ご機嫌だな」
そんな私に飯沼君が話しかけてくる。
「疲れてる時に疲れたぁとか言っても、意味ないでしょ?」
「そんなもんか?」
どうやら、飯沼君には分からない模様。
「黙々とやっても、疲れるだけだしね。何事も楽しく楽しく♪」
この広い道場を掃除するのだ。やるからには楽しくやった方がいいに決まっている。
「まぁ、確かにな」
飯沼君はそう言うと黙ってしまう。本当に私が言ったこと、理解した?
だが、フッと顔を上げると、「なら、この後の雑巾掛け、どっちが早く終わるか、勝負するか?」なんていってきた。
疲れてる状態なのに、何故、そんなことを思いつくかな。でも、
「その勝負、乗った!」
挑まれた勝負は全部乗らなきゃ女が廃る。でも……、
「ただ、勝っても面白くないなぁ」
なんてことを私が言っていると、
「………ビリの人が、1番にジュースを奢る」
突然の継夜の提案してきた。うん、この方が燃えるってものよ。
「それでいこう」
飯沼君もそれに笑顔で同意。
「恵介も、それでいいな?」
「え!? 僕も!!」
我関せずみたいな顔をしていた大鳥君は驚いている。
「いや、疲れてるし、この方角は運勢が悪いし」
「意味不明だから、却下♪」
私の宣告にガックリと項垂れている大鳥君。
「せ、せめて、ハンディを………」
情けない声と、これでもかという程の見事なまでの土下座をする彼。そんなに勝つ自信がないかなぁ。もっと、自分に自信を持って!!
「分かったわよ………じゃあ、畳2枚分、先からね」
「あ、ありがとう!!」
と、私の足に縋り付いてきた。
結局、そのハンディを貰ったにも拘らず、彼のドベ。継夜が1番になって軽くご満悦の様子。
先輩たちに呼ばれたのは、そんな賑やかな掃除が終了した直後だった。
「買出しですか?」
「えぇ」
主将の笑顔が眩しく写る。貴方の指令なら、どんなミッションもこなしてみせます。
継夜は救急箱を両手に持って、隣りで頷いている。この娘もおんなじこと考えてるのかな?
「あ、それと、今回は1年生全員で行ってきてね」
「全員でですか? 私と継夜だけで大丈夫ですよ」
「いえ、買出しは1人で大丈夫なんだけど、お店の場所を覚えてもらいたいから」
店の場所を覚える?
それは、そこらにある薬屋や、スポーツ用品店では駄目だということか?
「普通のお店では揃わない物もあるから。あ、その代わり、救急箱を持っていくだけで、お店の人が補充してくれるの」
主将は私の心意を読み取ったように、補足する。………確かに、大復活Xは店の棚に並んでいるのは想像できない。楽なことは楽なんだけど。
「と、いう訳で、飯沼君、大鳥君、お願いね」
「「ウッス!!」」
2人の元気な声を聴くと、主将は満足そうに頷いた。
「誰か、案内してくれない」
そんな主将の言葉に名乗りを上げたのが、細い眼鏡をクイッと直した、八耶先輩だった。
「主将、俺が案内しますぜぇ」
「誰か、いませんか?」
それを、主将が華麗にスルー。
「ちょうど、町に繰り出す予定だったし」
だけど、八耶先輩も負けずに話を進めようとしている。
主将は、他の部員を見渡している。もしかしたら、違う人に頼もうとしているのかな。
でも、他の先輩たちは更衣室に入っていて、ここには八耶先輩以外、誰もいない。
「………では、お願いね」
渋々といった感じで主将は了承した。
「大丈夫ですよ。あいつらに人生の楽しさを、しっかりと教え込んでおきますぜぇ。パチンコ、競馬に競輪、競艇……」
「道案内だけでいいから。純粋な1年生に変なことは教えないで」
ピシャリと言われた八耶先輩。でも、懲りてないのか、ニヤニヤと締まりのない顔をしていた。
「了解しやした」
「本当にお願いね」
そんなやり取りが私たちの前で行われると、正直、困る。本当に大丈夫なのかな?
先輩は変わらずの含み笑いをしながら、私たちに声をかける。
「明日の集合時間なんだけどよ。10時集合でいいかぁ?」
「私は大丈夫ですよ、みんなは?」
他の3人からも異論は出なかったので、明日は10時集合と即決。
「で、集合場所は三叉路でいいだろう」
三叉路とは女子寮と男子寮の道が合流する場所。校門で待ち合わせるって手もあるけどね。
これも全員、異論なし。
「明日は楽しい買出しにしようぜぇ」
「先輩、道案内だけですよね?」
「おっと、そうだった。クックック」
凄く、嫌な予感がする。
「そんな、不審がるなよぉ。今月はお前らを構ってやれるほど暇じゃねぇんだよ、残念ながらなぁ」
「そ、そうですよね!」
そうだ、八耶先輩には用事があったんだ。これなら、安心かも。………安心よね?
「クックック、じゃあ、よろしく頼むぜぇ」
「はい、分かりました」
八耶は含み笑いと、1年生に一抹の不安を残して、更衣室に姿を消した。
「………今日は早く寝て、明日に備えようかな」
「…………それが、賢明」
「遺書でも書いときな」
「遺書!? 不吉なこと言わないでくださいよ、八耶先輩!」
大鳥君の泣きそうな声がこだまする。
こうして、1年生の初めてのお使いが行われることと、相成った。
「買出しに行こう」
「う〜〜〜ん、いい天気〜〜〜〜」
背伸びをして、空を見上げる。五月晴れとはよくいったもので、今日は雲1つない晴天だった。最高のお出かけ日和。
ここは寮の真ん前、継夜と待ち合わせしている場所。
「…………おはよ」
眠そうな顔の継夜がトコトコと玄関を出てきた。
「オッスって……大丈夫? かなり、眠そうよ」
継夜は、私の横を通り過ぎていく。ちょっと待ってよ。
「寝てないの?」
「…………逆、寝すぎた」
「寝すぎたって、何時から寝てたの?」
「…………8時頃」
「そりゃ、寝すぎよ」
朝の9時に起きたとして、有に13時間。半日以上は寝ている計算になる。それだけ寝れば、頭もスッキリしないだろう。
「まぁ、寝てないわけじゃないから、時間が経てば、眼も覚めるでしょ」
「(コクリ)」
前を向きながら、頷く継夜。相手の話に反応できるなら、もうすぐ眼もさめるだろう。
「…………部費」
「え!?」
話を振られて、私は驚きの声を上げる。完全に油断していた。
「…………部費は持ってきた?」
「あぁ、うん。持ってきてる」
ホラ、と、私はGパンの後ろのポケットから無造作に封筒を取り出す。
「…………危ない」
「何が?」
「…………部費」
え? なんで、危ないの?
私が分からないみたいな顔していたからか、
「…………無くしたら、大事(オオゴト)」
継夜が、そんなことを言ってきた。なるほど、そういうこと。
「大丈夫よ」
そんな間抜けなことは致しません。それよりも、私って、そんなに抜けてるように見えるのかな。
「…………案内役は、八耶先輩」
「それって、身内にスラれるってこと?」
「…………ないとは、言い切れない」
そこまで、下級生に信用のない八耶先輩って。とは、いえ、ちょっと想像してみる。
店の中で部費がないと騒ぐ自分たち。それを笑って観ている八耶先輩。
十分、有り得る!!
「あの人、他人が困っている姿を観るのが、大好きな人だからなぁ」
「…………性格が歪んでる、ともいう」
困ったことに否定しようもない。
「…………カバン…持ってないの?」
継夜は私の姿を確認して、呟く。私は観念したように両手を挙げた。
実は私は、その手の物は持ち歩かない。着替えとか荷物がある時は別だけど。手が塞がるのが基本的に苦手というか。
「…………私のカバンに入れる」
「ありがとう、継夜ぉ」
自分より、しっかり者の同学年に感謝の意味を含めて、抱きついた。
「あ、代わりに救急箱は私が持ってく」
「…………ん」
そんな会話をしながら、私たちは待ち合わせ場所まで歩を進めた。
三叉路に到着すると、そこには男子が到着していた。携帯の時計を見ると9時53分を指していたが、小走りで向かっていく。遅れてきたわけではないが、やはり、先輩を待たせるのは気が引けるしね。そう、どの様な先輩であろうとも。
「ザス! すみません、待たせちゃって」
「オッス、気にすんなよぉ。俺たちも今、来たところだぜぃ」
「で、先輩」
「ん?」
「先輩の私服って学生服なんですか?」
八耶先輩は何故か学生服を身に纏っていた。
通学が私服で、私生活が学生服? それは、おかしくはない。
「こいつかぁ。ちょっと、訳有りでなぁ」
「先輩の用事と関係があるんですか?」
「なんだぁ、俺のプライベートが知りてぇのか?」
「そんな訳ないじゃないですかぁ。単純に疑問に思っただけです」
逆に「心外です」と言わんばかりに、私は笑いながら、八耶の背中をバンバン叩く。
「おめぇ、大物になるぜぇ」
八耶先輩はずり下がった眼鏡を直しながら、私の質問に答えた。
「クックック、深い仲になったら話してやるよ」
なら、この話は未来永劫、聴くことはない、と私は心の中で、呟く。
先輩は昨日とは違う、牛乳瓶の底の眼鏡を上げると歩き出した。勿論、1年生もそれに続いた。
「そういや、貞義ぃ」
「ウッス」
「昨日、天野を投げたじゃねぇか」
含み笑いをしながら、眼鏡を軽く下に下げて、先輩は舐めるように飯沼君を見つめている。私としては、あんな風に見られたくない。
「浪が機嫌がいいぜぇ、活きのいいのが入ったってな」
「ウッス!」
「俺もウカウカしてられねぇな」
そんなことを言いながら、クックックと笑い出している。このヤラシイ笑い方はどうにかならないのかな。
「歓迎会でやった全国制覇っての、覚えてるか?」
私たちの答えはイエス。
突然、始まった『阿』といえば『云』みたいなやり取りだった。中々、忘れられるものじゃない。
「あれをやるのは、うちの伝統だ。去年も、やってたからよ」
八耶先輩は、それが気に入らないのか、細い眉毛を上げていた。
「だが、少なくとも、主将たち3年と浪は本気だぜぇ」
「マジですか!?」
全国ウン千高の頂点に立つ。それは、本当に一握りの者しか夢みないものような気がしていた。
だけど、今、私たちを引き連れている先輩は、それを本気と言っていた。
「鳩が豆鉄砲食らったみてぇな面してんな」
八耶の言葉に1年生ズは互いの顔を見合わせた。どうやら、全員、そんな顔をしていたらしい。
「まぁ、どっちかってぇと女子の方が信憑性があるんだけどよ」
「そうなんですか!?」
「主将は去年、個人戦全国ベスト3。県内じゃ、体重問わず敵はいねぇ」
「「「ベスト3!?」」」
「話を聞いてねぇのか?」
「は、はい」
毎日、一緒に練習をしている私も強いのは分かっているが、まさか、そこまでとは。
「クックック、あの人らしいなぁ」
先輩の含み笑いが聞こえる。なんだか、あざ笑っているように聞こえるのは私だけ?
「因みに、主将が負けた相手は、その年の優勝者だ」
しかも、「3年生だったなぁ」と付け加える。て、ことは……
「今年の優勝候補ってことじゃないですか!!」
「まぁ、そうなるな」
……す、凄い。
私、そんな人と毎日練習してるんだ。
「油断して、途中でコケたら、おもしれーんだけどよ」
なんてトンでも発言をする、このバカ眼鏡。主将が油断するなんて、あり得ない!!
「それと副主将も県内じゃ強豪の1人だ」
「………納得」
継夜も言うように、竹美先輩の強さは芹沢先輩には及ばないにしても、うちの柔道部でトップクラスだ。いうなれば、ナンバー3ってところ。
「女子の団体は3人制だから、無敵のポイントゲッターがいる時点で既に勝つ確立が圧倒的に上がってる」
「確かに」
3人のうち、2人が勝てば、チームの勝利。代表戦に持ち込めば、必ず勝利するという精神的優位にも立てる。
「まぁ、お前らのどっちかが団体戦に選ばれるわけだが……さーて、どっちかねぇ」
現、女子柔道部の総数は4名。先輩2名は確定として空いている席は1つのみ。
私たちのどちらかが。
その言葉は、私たちに、現実を突きつけた。
正直、全国大会とは無縁の中学に通っていた私としては、かなり高い目標だ。でも、手の届くところに、そのチケットがある。
とはいえね、それも、連れていってもらったのでは、意味がないと思う。少しでも戦力として畳の上にいなければ。
見るからに、燃え盛る闘志を出している私と、逆に静けさが増していく継夜。
継夜の眼を見ていると、益々、負けたくないという気持ちになる。私たちはヤル気の火花を散らした。
「ぅおーーい、蚊帳の外だからって、しりとり始めた男2人ぃ」
「ナパームだ………え!?」
「何ッスか?」
「おめぇたちも例外じゃねぇからな」
「でも、男子は2年生が一杯いるから、団体戦に出るのは無理なんじゃ………」
大鳥君の情けない発言。レギュラーを奪うくらいの野望を持てと思う。
八耶先輩も同じことを考えていたのか、ヤレヤレと肩を竦めた。先輩と同じことを考えていたなんて、かなり複雑な気分。
「誰が2年だけで組むって言ったぁ?」
「……いえ、誰からも聞いてないですけど」
「さっきも、言ったろう。うちは全国制覇を狙ってるって」
「はい」
「だったら、馴れ合いみてぇなことはしねぇよ。完全な実力主義で組む」
「と、いうことは」
飯沼君は少し興奮気味に先輩の言葉を待っている。
「……お前らの実力次第で、団体戦のチケットが回ってくるってわけよ」
先輩はニヤリと笑うと、飯沼君の肩を掴んだ。
「そう簡単に、渡さねぇけどな」
「全力で、奪いに行くッス」
「ぜ、善処します」
「クックック、楽しみにしてるぜぇ」
ここ、タバコ屋を右な。と言いながら、先輩の話は続く。
「まぁ、浪のレギュラー入りは鉄板だからなぁ、余った席は4つだ」
「やっぱ、芹沢先輩も全国クラスなんスか」
飯沼君は、歓迎会の時の芹沢を思い返しているのか、そんなことを聞いていた。
「まぁ、全国大会個人戦ベスト8だがな」
芹沢先輩でもベスト8。普段は無表情な継夜も少しだけ驚いている。
「全国には、まだまだ、つえぇ奴がいるってことよ」
「は、はい」
現実を突きつけられて、私たちの声のトーンも下がっている。
「まぁ、県予選で浪に勝てるような奴はいねぇよ。寧ろ、弱点なのは、俺たちの方だぜぇ」
「というと?」
「考えてもみろよ。全国トップクラスをまともに相手にするわけねーじゃねーか」
意味が分かってないのか、沈黙する私と飯沼君と大鳥君。
「…………トランプの大富豪」
ただ1人、継夜だけが理解していたようだ。
「おぉ、いい例えだなぁ」
「どういうこと?」
私たちは意味が分かってない。柔道の話をしていたのが、どこから、トランプの話になったの?
「…………1番強いカードで、1番弱いカードを取っても意味がない」
「「「あぁ、なるほど」」」
芹沢先輩というジョーカーを活かしきれてないってことか。
「だから、その被害を被るのが俺たちってわけだ」
「他校のエースが他を潰してくるってことッスか?」
「そうだ。場所によっちゃあ、当たるの当たるの、皆エースってことも有り得るぜぇ。新人戦の個人の優勝者や140キロを越える肉塊」
「………アババ………アババ」
想像してしまったのか、大鳥君の顔はミルミルうちに青くなってしまう。想像だけで青くならないで! どこまで情けないのよ!
「望むところッス」
こっちは、何かに火が着いたのか、静かに燃えている飯沼君。
ただ、私にも「団体戦レギュラーの座を確保する」という明確な目標ができたわけで、その気持ちも分かる。
「継夜! 負けないわよ」
「…………こっちの、台詞」
「クックック。まぁ、まずはレギュラーの座を奪うこったなぁ」
私たちの反応を面白がるように、先輩は笑っていた。もしかしたら、こうなることを予想していたのかもしれない。だが、私はその時は気にすることなく、テンションの高いまま、薬屋への道を歩いていった。
「御用達の薬屋」
商店街を練り歩く、私たち柔道部一行。10時過ぎなので、買い物をしている人も多くはなかったが、それでも商店街だから、それなりに人通りはあった。先輩はそんな中を脇目もくれずに進んでいく。
「うぅ、人の多い場所って苦手なんだ」
大鳥君の、突然のカミングアウト。その言葉に溜息が混じっている。
「え、なんで?」
「ほら、僕、この背丈でしょ。目立っちゃって………」
確かに、彼の背丈は192センチ。私が154センチ、継夜が143センチ、同じ男子の飯沼君でも175センチと、1年生の中でも群を抜いている。それどころか、学園の中でもトップレベルだ。それゆえに、何処にいても大概、分かる。
これでも、まだ、成長しているらしいので凄い。
「いいじゃない、体格がデカイってことは、それだけで有利でしょ」
「いや、格闘技に限って言えば、そうかもしれないけど………普段は辛いよ」
デカイ彼には彼なりの悩みがあるのだろう。
「…………背は、高いに限る」
140センチ、そこそこな継夜は真摯に頷いている。
「…………黒板の上にも、字が書けるから」
なんだか、とっても切実だ。
「こればっかりは生まれ持ったもんだからな、諦めが肝心だぜぃ」
「はぁ」
「親から貰った体だ、大切に使え」
なんて、飯沼君の親感謝発言。思っていても、中々、言えるもんじゃない。ちょっとだけ感心しちゃった。
「……そうだね」
「まぁ、使い切ったら、土に返るだけだ」
「八耶先輩、昨日から死を連想させるのは止めてよ」
先輩は笑いながら、私たちの方へ振り返った。
「クックック。さぁ、楽しいお喋りもここまでだぁ」
先輩は歩みを止めて、目の前の店を指さしていた。
そこは同じ道路に面してはいたが、商店街を抜け、少し進んだ場所にあるドラックストア。
清潔感を漂わせる白い壁、外に並ぶティッシュやトイレットぺーパーや洗剤たちに、店の横には駐車場と、見た目は何処にでもある普通の店だ。
「ここが、その店だ」
ただ、どうしても気になることがある。みんなも絶対に思っているはず。
ここは私が代表して聞いてみよう。
「先輩………」
「なんでぃ?」
「この店、商売する気あるんですか?」
「なんでだよ?」
「いえ、名前が………『ドラックストア・病は気から』って……」
「シャッターが上がってんだから、あるんだろうよ」
「だって、自分んとこの飯の種を全否定じゃないですか」
八耶の含み笑いが止まらない。どうやら、こういう反応が返ってくることは予想していたようだ。この先輩、性格がよろしくない。
「まぁ、それは店の人に聞いてみな」
「もう、聞ける訳ないじゃないですかぁ。毒薬でも仕込まれたらどうするんです?」
「おめぇ、薬屋を何か勘違いしてねぇか? まぁ、俺の仕事も、ここまでだ。後は頼んだぜぇ」
手をヒラヒラと振りながら、踵を返していく先輩。私たちは「シタッ!」と挨拶した。
「さぁ、ちゃちゃっと終わらせましょう」
私は3人を促したが、何故か男2人が動かない。どうやら、幟を見ているようだ。幟には『コンビニが、薬始めた、腹いせに、色んな物を、始めなりけり』という文章が綴られている。………何故に七五調?
「…………逆恨み」
「こういうのって、せめて対抗してって書かない?」
というよりも、普通は裏事情は書かないでしょ!!
「店長の器の小ささが伺えるな」
「でも、まぁ、いいんじゃない。私は好きよ、腹に何か抱えてるよりはね」
付近のコンビニと全面戦争に突入。それが、この店の覚悟なのだ。それはそれで潔いと私は思う。
「それと、商売は別なんじゃ………」
「…………ツカサは商売に、向いてない」
「お前を社長に仰ぎたくはないな」
みんなから浴びせられる非難の言葉と、冷たい視線。そこまで、言わなくてもいいじゃない!!
「うう、五月蝿い! そんなことより、ほら、私たちもお仕事するわよ」
私はみんなの視線か逃れるように店の自動ドアを開けた。
「いらっしゃませーーー」
店に入るなり、聞こえてきた爽やかな店員の声に私は違和感を覚える。
なんだろうと、店員さんを見ても、至って普通だった。
そのまま店内を見てみると、薬は勿論のこと、幟に書いてあった通り、日用品に食品、野菜なんかも売られていた。しかも、生産者の写真とコメント付き。
麦わら帽子を被って、最高な笑顔を浮かべている。
『オラの嫁に来い!!』 41歳、男性。
年齢にリアルを感じる。せめて、野菜に関するコメントを載せるでしょ。
「いらっしゃませー、何かお探しですか?」
ん?
いま、「い」が抜けてなかった?
軽い口調で聞いてくる店員さんを見つめる。
でも、店員さんは何も気にした様子はない。私の聞き間違い?
「…星影の柔道部なんですが」
「あ、連絡頂いてますよ。では、救急箱をお預かりしまーす」
「お願いします」
救急箱を店員に渡す。彼は「少し、お待ちくださー……」と、これまた、軽い口調でレジを後にした。
………「い」を言ってないよね?
でも、本当に救急箱を渡すだけで、良かったみたい。便利なところもあるのね。
だけど、こうなると、待っている間が手持ち無沙汰になってしまう。
案の定、男子2人は店の中を物色し始めていた。
そんな2人が興味を持ったのが、レジの隣りの棚だった。
「花火も置いてあるね」
「まだ、時期じゃないだろう」
ポップを見ると、『慌てんぼうの花火♪』とある。どうやら、店の人も早いのは理解しているようだ。
「小さな光が儚いと、書いて「線香花火」もあるね」
発言のところどころに影が潜む大鳥君。
「大鳥君ってさ、後ろ向きで全力疾走してるよね」
「うそ!?」
マジ驚きの大鳥君。そっかーーー。気が付いてないのかーーー。
「だって、小さな光が儚いと書いて、線香花火って。アツシ・ワタナベが聞いたら、ハァ?ってなるわよ」
「…………そんな人に、本当にお宅訪問されたくない」
「うーーん、女の子には理解されないかぁ」
「いや、男でも無理だ」
最後の飯沼君の突っ込みに泣きそうになったのか、彼は天井を見つめていた。
などと、話していると、店員さんが戻ってきた。
「お待たせしましたーー。中身をご確認くださー」
この人、意図的に言ってない!!
私たちは促されるままに救急箱を確認する。ビンには薬が入っているし、絆創膏や、テーピングも補充されていた。これなら、大丈夫。
だけど、軽い違和感がある。それは、救急箱にビン1つ分の空間が開いていること。昨日は隙間はなかったような気がしたんだけど。
あ、分かった。違和感の原因が。
『大復活X』
あのビンは芹沢が持って帰ったのだった。恐らく、ビンがなかったから補充されていないんだ。
確認して良かった。あれがないと、完全にミッションをクリアーしたとはいえないもんね。
なには、ともあれ、私は店員にお願いすることにした。
「あの、大復………」
ここで言いよどむ。
………だって、大復活Xよ!!
恥ずかしくて、そんな単語、言えないわよ!!
「はい? 何か不足してましたか?」
「大ふっ………が、入ってないですけど」
「え? なんですか?」
涼しい顔をして、聞き返してくる店員さん。そりゃ、聞き返してくるよね。言ってないもん。
「ちょっと、継夜。代わりにって、あれ?」
さっきまで隣にいた継夜の姿がない。店内を見てみると、遠くにいた。
………に、逃げたな。
こうなったら、標的を変更。
「ちょっと、大鳥君、代わりに言って」
「ヤダよ!! 恥ずかしい」
「さっきの台詞より恥ずかしくないわよ」
「いーやーだ!!」
なんだか、駄々っ子のようになってしまった大鳥君。
店員さんを見ると、ニヤニヤと笑っていた。絶対に分かっているな、こいつ。
なんて、考えてると、
「大復活Xが入ってないんですけど!」
と、飯沼君が横から(何故か)力強く言ってくれた。
た、助かった。ありがと、飯沼君。
「あ、そうでしたか。今、持ってきます」
涼しい顔をして、店員さんは奥へと引っ込もうとする。
私はこの薬に疑問を持っていた。本当に芹沢先輩にの言うような効果があるのかな。
……こうなったら、直接、聞いてみよう。
「…あの、大復活Xって、どんな薬なんですか?」
「え、アロンアルファですよ」
なんて、答えると店員さんは店の奥へと引っ込んでいった。
………しゅ、瞬間接着剤ですか。
「またのご来店をお待ちしてまーーーす」
少し、疲れた顔で店を後にする私たち。だが、いつまでも感傷に浸ってもいられない。
「ともかく、終わったから、良しとしましょう」
私は気分を変えたくて、みんなに言い放つ。それは、伝わったのか、みんなは顔を上げて頷いてくれた。
ただ、店の外に出ると先輩の言葉が脳裏に浮かぶ。
「継夜、この後、予定ある?」
私の質問に彼女は首を振った。
「ならさ、この後、練習しない?………まぁ、先生もいないから、大したことも出来ないけど」
「…………打ち込みくらいは、できる」
「うん」
「…………ツカサの小内刈り、修正箇所が多い」
「うそ!?」
「…………私が教える」
「いいのぉ? 敵に塩を送って」
「…………有事の際の…………補欠の底上げも…………大切」
「ふぅん、あくまで譲る気はないのね」
私の挑発的な物言いにも継夜はVサインで答える。
「じゃ、今日は素直に受け取ってあげる」
そんな彼女の対応に私は笑って答えた。そうでなくては、面白くないもの。
「俺たちも、練習するか」
「そうだね」
どうやら、男子もやる気のようだ。もう、大会まで時間がない。少しでも、体を動かしていた方が心にもいいだろう。
「なら、お昼を軽く食べて、1時に格技場に集合しましょ」
「…………鍵は私が、調達する」
「その前に、俺たちは芹沢先輩に薬を届けるか」
「うん、待ち焦がれてるだろうからね」
あの先輩のことだから、ビンの前に正坐しながら、帰りを待っているのかもしれない。それは何というか芹沢先輩っぽい。
一同は笑いながら、その場を後にした。
5月の暖かな風に、幟がはためいていた。
〜 Fin 〜
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