〜阿修羅さまがみてる〜
『 〜豪傑たちの黄昏〜 』前
作:渡辺浩造

 「オハヨー」
 「ごきげんよう」
 「うーす」
 「もーにんっ」
 「ちょいや」
 さまざまな朝の挨拶が澄みきった青空にこだまする。
 甲府の盆地に集う生徒たちが今日も天使のような無垢な笑顔だったり、割りと悪い事思いついちゃった的な顔で、学校名の代わりに『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と書かれた門をくぐって行く。
 なんとなく青春真っ盛りな心身を包むのは、思い思いにコーディネートされた私服。
 スカートのプリーツってなんだ?白いセーラーカラーがついてるヤツなんか、まずいねぇ。ゆっくり歩く人もいれば、わりとツカツカと歩いていく人もいる。もちろん、遅刻ギリギリだったら、達観している一部の生徒を除いて、全力ダッシュである。
 
 私立星影学園
 
 『自称』卒業生第一号が聖徳太子だというこの学園は、もとは豪族の令嬢、子息のために作られたという、全寮制の学校である。
 山梨県甲州。環境破壊が叫ばれて久しい昨今にあって、未だ緑の多いこの地区で、寮に入れられ、その割に、校則があるんだかないんだかイマイチ解らない自由主義のある意味無法地帯。
 時代は移り変わり、17条だった憲法が(!?)11章103条に増えた今日でさえ、卒業するころには、大抵のことでは驚かない、頑強な精神力が養われる、とういう教育の現場としてどうにも個性的過ぎるスタンスの学校である。
 
 続くことが伝統であり、ぶっ壊すのも伝統だ!
 自分の近くに伝統がないというなら、この生き様をしかと見よ!!
 星影学園柔道部の伝統行事が、今、開かれた。
 
 
 
「4月半ばの出来事」

 
 
 ズダン!! 
 豪快な音が幾度となく、室内に響き渡る。
 腹の底から出ている気合を込めた声は、そん何倍も轟いていた。
 ここは、格技場。色とりどり、選り取りみどりの格闘系の運動部が集う場所。私立の強みをフルに生かし、武道館を思わせるだだっ広い練習場には、今日も格闘、大好き!な男女が汗を流していた。
 ラジカセから流れる「燃えよ! ドラゴン」のテーマソングが、聞いている者のアドレナリンを増幅させ、「なんだか、格闘技をやりたくなる」状態にしてしまう。
 「ウリャアアアアアァァァァァァァァァァ!!!」
 豪快な声と共に、人間の体が空を飛ぶ。
 ズダン!!
 「クッーーー!!」
 『佐川官』(サガワ ツカサ)は苦痛に投げ飛ばされた衝撃に顔を歪める。受身をしても痛いものは痛いのだ。
 「ばてたのか?」
 「まだまだーーーー!!!」
 官は、短めの髪を揺らしながら立ち上がると、相手に向かっていく。
 もう、練習も終盤に差し掛かっている時間。ほとんどの生徒がかなり、グロッキー。官本人も肩で息をするほど疲れていた。
 だが、疲れていようと、相手が男子であろうと投げられっぱなしではいられない。
 相手の飯沼貞義( イイヌマ サダヨシ )は同じ1年生。飲まされた苦汁は百倍にして返すのが彼女の流儀だ。
 お互いに技を掛け合うが決め手に欠いた状態が続き、ただ時間が経過していく。
 残りも30秒ともなろうかとした時、ついに均衡が崩れた。畳に広がっている汗に貞義が足を取られてバランスを崩したのだ。
 このチャンスを官は見逃さない。咄嗟に背負い投げをかける。貞義の懐に飛び込み、そのまま担ぎ挙げ、後はテコの原理で一回転、するかに見えたが、そこは貞義も男の子。
 足の指に懇親の力を力を込めて、畳から離れないように踏ん張る。
 両者はそのまま転がり込む。
 投げるには至らなかった。
 「う〜〜〜ん、駄目だったかぁ」
 「官、今のタイミング、良かったですよ!! 次は引き手を最後まで持って!!」
 項垂れていた官に、休憩中の主将から声が届く。
 「はい!!」
 元気に声を出す官。少し現金かなと思うが、主将に褒められたのだ。褒められたら、やはり嬉しいものだ。
 こうして、彼女の本日の稽古は、元気よく終わりを迎える。
 
 柔道は礼に始まり、礼に終わる。
 「一同!正面に礼!!」
 格技場に主将の古屋咲(フルヤ サク)が澄んだ声が響いていく。
 今日の練習も怪我人もなく無事に終わり、ホッと安堵の顔を浮かべる咲。彼女は女性でありながら、星影学園の主将を勤める女丈夫。
 その実力は歴代の主将の中でも一際、際立っていた。
 「今日も一日、お疲れ様でした」
 顧問の桂教諭が格技場を出たのを見送り、咲は部員たちに向き直す。他の部員たちは各々の場所で咲を見つめていた。
 「来月には、いよいよ、大会が始まります」
 「おう!!」
 大会という言葉に触発されたのか、部員たちの声は一段と力がこもっている。
 「皆さん、練習に熱をいれるのも、もちろんですが、怪我のないようにもして下さい」
 「オッス!!」
 「以上、解散です」
 「シターーー!!!!!」
 大会という言葉、練習が終わった開放感が混ざり合い、ちょっとだけ異様な雰囲気に包まれる部員たち。
 そんな彼らに咲は改めて、声をかける。
 「明日は日曜日ですが、朝10時に、ここに集まって下さい。但し、柔道着はいりませんので」
 ニッコリと菩薩様のように微笑む咲。
 柔道着がいらないということは、練習をするんじゃないということか。だが、何故、日曜日に集まることに?
 官の頭の上に?マークが何個も浮かぶが、無論、答えは出なかった。
 2年生は咲の言葉に歓喜の声を上げている。
 なんだか、嫌な予感に駆られながらも、1年生の仕事である、道場の清掃に入る官であった。
 
 
 
「開催」

 
 
 時間にして、9時30分。
 春の気温を感じながら、官は学園へと続く道を足取りも軽く歩いていた。
 今日は日曜日。
 本当なら、部活で疲れた体を癒すため、というのを名目に午前中はゆっくり眠っていたい。だが、集合しろと言われれば、行かねばならないのが部員である。
 「………おはよう」
 官に後ろから声がかかる。
 官が軽快に振り向くと、そこには同じ1年生である河合継夜(カワイ ツグヨ)の姿があった。
 「オイーッス!」
 「………官、寝癖」
 「うそ!?」
 元気に挨拶を返して、こんな事実を知らされるとは!!
 乙女の一大事と慌てる官。手で剥いて、直そうとしているが、如何せん、直ったかどうか分からない。
 「…………ホント」
 それを見かねた継夜は、後ろから官の髪を弄る。直そうとしているのだろう。
 「うぅ、ありがと〜」
 官は情けない声を出しながら、礼を言う。実際、情けなく思っているのだ。
 今朝はウッカリ寝坊をしてしまい、急いで、身支度を整えて出てきたのが原因だろう。しかも、目覚まし時計の時間を進めていたのを忘れていた。これでは情けなくもなる。
 「…………気にしない、官」
 顔に出ていたのか、継夜がそんな事を言ってきた。彼女は物静かだが、妙に鋭いところがあった。
 「アハ、大丈夫。もう、忘れたから」
 落ち込んでても仕方ないし、友人に心配させるわけにはいかない。この件は笑ってやり過ごすことにしよう。
 「…………終わった」
 「あっりがとーー!」
 元気よく振り向いた官は継夜の姿を観て、軽い違和感を覚える。
 手の甲が隠れるくらい長いTシャツ。ズボンの裾は大きく裏返されていた。
 「あれ?あんた、服がブカブカなように見えるんだけど、気のせい?」
 「…………気のせいじゃない。これが、仕様」
 継夜は自分の腕より長い袖を振る。
 「へぇ、そうなんだ」
 官は、それ以上は突っ込まないでおく。自分のファッションセンスがないのを自覚している(これは寝癖とは別問題らしい)ので、「こういうのもあるんだね」ぐらいの感覚だ。
 かくいう官は、パーカーにショートパンツ。動き易さを重視した格好だった。
 「…………巷で大人気」
 「巷って、どこ?」
 そんな他愛もない会話をしながら、校門を通り抜け、マリア像の前を通過し、そのまま甲府ドーム( 体育館 )に向かう。別に校舎に用があるのではない。
 彼女たちの目的地は格技場である。
 「でも、今日は何をするんだろう? 格技場に集合なんて」
 「………行けば、分かる」
 確かに、そうだ。疑問は残るし、不安にもなるが、考えても分からないことに答えは出るはずもなく、2人は格技場に急ぐことにした。
 
 「ザスッ!!!」
 「…………ザス」
 男子2人の大声が格技場にこだまする。格技場に入る時、必ず挨拶をするのがここでの嗜み。
 腹がはち切れんばかりに酸素を送り込み、その全てを惜しみなく格技場に向かって出し切る。そうすることで、ここから先に入れば、日常から離れることを確認する。
 そう!この格技場は彼らにとって、いや!!格技場に青春の汗を染み込ませる者にとっては戦場なのだ!!
 「おーーー、よく来たなぁ。2人とも」
 力士かと思わせる男子が出迎えた。
 「芹沢先輩! ザスッ!!!」
 「………ザス」
 「ハッハッハッ!! おはよう!!」
 この相撲取りのような男子、名前を芹沢・カモミール・浪( セリザワ・カモミール・ナミ )父方の祖夫が由緒正しきフランス人で日系三世だ。官たちの1つ上の2年生にあたる。
 芹沢は大きな体と揺らしながら、軽いステップで2人の元までやってきた。
 「先輩、今日は練習じゃないですよね?」
 「そうだ。」
 「じゃあ、何故、ここに?」
 「まぁ、待て。そう焦ることはない」
 北京オリンピック、女子レスリングの銅メダリストの親父のような笑い方をしながら、芹沢は柔道部の占領地域に向かって歩き始めた。
 よく見ると脇には、これまた、大きな男子を挟んでいた。
 「………先輩。く、苦しいッス」
 脇に挟まれているのは、大鳥恵介(オオトリ ケイスケ)だった。官と同じ1年生で、その体格は1年生の中でもダントツに大きい。
 そんな恵介を易々と組み伏してしまう芹沢は、やはり、只者ではない。
 芹沢はダルマのような体格なのに、その実、全てが筋肉で出来て、余分な肉がない。腕は丸太のように極太である。因みに、彼の今の悩みは腕が太過ぎて着られる柔道着が特注しかないこと。
 そんな人間に首根っこをロックされては、痛い、重い、暑苦しいの三拍子。
 だが、芹沢本人も痛めつけようとして、やっている訳ではないだけに、後輩である恵介は、それを受け入れるしかない。
 芹沢の腕にキュッと力が込められ、恵介の首を圧迫する。苦しかったのが、さらに苦しくなる。これでは呼吸をすることさえ困難だ。
 そのキュッとなる力は緩まることはない。芹沢が一歩進むごとに小さな力は加算され続ける。まるで、蛇の皮を首に掛けられた状態で灼熱の太陽の下で張付けにされたよう。
 これは軽い拷問では?
 恵介の脳内にそんな言葉が浮かび上がる。
 格技場の半ばまで来た時には、彼の首には極太の頚動脈が浮き上がっていた。柔道部の私有地ともいうべき畳張りは格技場の1番奥にある。まだ、先は長い。
 彼の顔にチアノーゼ的な症状が出始め、指先が痺れてくる。だが、それに芹沢は一向に気付いていない。
 「どうした?ピクンピクンして」
 「こぉ………呼吸…が…………」
 「おぉ!スマン!スマン!!」
 芹沢は急ぎ、恵介を開放する。
 彼は一気に肺に空気を流し込んだ。肺は新鮮な酸素を無性に取り込み、それを体中に送り込む。血管が熱くなり、指先の感覚が戻っていくのが、はっきりと感じられた。
 青ざめていた顔が次第に赤くなる。頭に血が上ってきたのだろう。
 軽い眩暈を覚えた恵介だったが、ゆっくりと意識が戻ってきた。
 「情けないわねぇ。これくらいのことで」
 言い切る官。そこらへんは容赦がない。
 「………じゃあ、佐川さんが食らってみなよ」
 「いや〜よ! だって、私、食らわせる専門だもん」
 官は立ち上がった恵介を肘で小突くとフラフラと揺れていく
 「………押さないで。今、押されたら………」
 「ふぅん、そうなんだぁ」
 でかい男が女の子の力でフラフラと揺れる。それが官のSっ気に火を灯した。
 「……ほれ……ほれ」と、官は指で恵介を突付く。すると、恵介は面白いように右へ左へとふらついていた。
 最後には、ドサッと倒れこみ、ハァハァと荒い息使いをしている。まるで、丘に上がった魚のようだ。
 「………こ、殺して。………いっそ、殺して」
 「お楽しみは、これからよ」
 官は、ペロリと舌で唇を舐める。その妖艶な表情を恵介は、在学中、忘れられることができなかったという。
 「危うく、今日の主役を落とすところだった。」
 芹沢は笑いながら、その光景を見つめていた。そんな中、痺れを切らしたのか、畳の上にいる女子が手を振りながら催促している。
 「もう、遅ーーーい!! ほら、芹沢も早く来なさい! 1年生も!!」
 「おぉ! こりゃあ、スミマセン!!」
 芹沢は大声で答え、ノッシノッシと歩き出した。官と継夜も後に続く。恵介は、親を追う産まれたての子馬のように、フラフラとしながも歩いていった。
 「先輩、今日は何をやるんですか?」
 芹沢の傍らを歩く官は疑問を素直にぶつける。
 官たちには1ヶ月、星影学園に通って分かったことがある。それは、ここでは他の常識が通用しないということだ。
 良くも悪くも、やることが彼らの想像を斜め前をいくどころか成層圏に達している。
 そりゃ、不安にならない方がどうかしているだろう。
 芹沢は官たち1年生の真剣な眼差しを見た後、視線を前に戻した。
 「まぁ、教えてもいいか。」
 畳の前で止まると、体ごと官たちに向き変え、大きく息を吸い込むと豪快に解き放った。
 「本日!!星影学園柔道部、新入生歓迎会を開催する!!
  主役はお前たちだ!!!」
 
 
 
「歓迎会」

 
 
 芹沢の大声に吹き飛ばされる1年生。この魂のこもった言葉の衝撃には何度も食らっている彼女たちでも腰を抜かしそうになる。
 そんな1年生を尻目に、
 「入り口から、ここまで来るのに何分かけるつもり?」
 中野竹美(ナカノ タケミ)が彼に似た大きな身体を揺らしながら、芹沢を睨む。
 「すみません、自分のせいです!」
 芹沢も上級生にかかっては、形無しである。
 「しかも、1年生にバラしちゃうし。」
 「いや、コイツらの不安そうな顔を見てたら、つい」
 「ついな、じゃないわよ〜。それを見るのも、先輩の特権でしょう!」 
 竹美の非難する眼差しを向けている。よほど楽しみにしていたのだろう。
 「全く、あんたは後輩に甘いんだから」
 (甘い?)
 先ほど、男子1人を三途の川流しにしかけたお方を甘い。一部始終を観ていた官としては、納得のできる意見ではない。
 恵介は見てみるとイグアナみたいな顔をして、驚いていた。
 「まぁ、いいわ。ほら、あんたたちも座りなさい」
 竹美の言葉に官たちは畳の上に腰を下ろす。目の前にはお菓子の山にジュースのペットボトル。普段、フラフラになるまで、練習している場所だけに違和感がある風景だ。
 「乾杯するから、ジュースを注ぎなさい」
 咲の号令で1年生は動き出すが、これは咲に止められた。
 彼女曰く、「今日は貴方たちが主役です」とのこと。
 「そういう訳だ。明日からしっかりやってもらうけどな。ほれ、コップ出しな」
 官の背後に回った伊庭八耶(イバ ハチヤ)がペットボトルを差し出す。
 後ろを見ると、1年生全員の背後にはそれぞれ2年生が配置していた。
 「はい! 有難うございます!」
 「俺も去年、注がれたんだ。伝統行事だしな。お前も来年、やってやれや」
 「分りました!」
 その言葉を残して、八耶は自分の席に戻っていった。
 こうして、先輩から後輩に伝統は引き継がれていく。2年生はこの瞬間、自分のことを思い出す。
 そして、1年生は来年、同じことで思い出すだろう。
 来年も再来年も、柔道部が残っている限り。
 
 官たちが2年生にジュースを注がれている間、咲は小声で、隣にいる竹美に話しかける。
 「本当にやるの?」
 「当たり前じゃない。去年もやってたでしょ」
 咲の問いかけに、竹美が当然と言わんばかりに答えた。
 「うぅ、恥ずかしい」
 「旅の恥はかき捨てっていうでしょ」
 「格技場にいるのが旅なの?」
 「人生が旅なの。分かる?」
 うまい事言ったみたいな顔をしている竹美。
 「できれば、代わっ…………」
 「あんたが主将。私が副主将。なんだから、あんたがやらなきゃ締まらないでしょ」
 咲が言い終わる前に竹美は正論を説く。これで、詰みだろう。
 「そうよね。………でも、恥ずかしいよぅ」
 最上級生同士のトップ会談は、殆ど無意味な様相を呈して、終わりを告げた。
 「では、皆さん、コップを掲げて下さい」
 2年生が座ったのを確認した咲は静かに告げる。
 「去年、私たちは高体連、新人戦、インターハイ共に、苦杯を嘗めました」
 咲の顔が苦渋に歪む。なんだかんだ言っても、結構、ノリノリなご様子。
 「私たちには、目標がある。それは、何!! 2年生!!」
 「全国制覇!!」
 「声が小さい!!」
 「全国制覇!!!!」
 「もう1丁!!」
 「ぜ〜〜んこ〜〜〜くせ〜〜〜は!!!!」
 突如、行われた咲と2年生による大合唱。
 それは阿と言えば吽と言う呼吸のように合っていて、事態の飲み込めない1年生は戸惑いを覚える。
 「1年生!! 貴方たちの目標は何!!」
 声が出ない官たち。そんな1年生の中で、
 「………全国制覇。」
 言葉を発せられたのは、継夜1人だけだった。
 「他の、みんなは!!」
 こうなると、洗脳されたように彼女たちの心の中にも同じ言葉が浮かんでくる。
 「………………全国制覇。」
 「もう1度聞くわ。………貴方たちの目標は何?」
 「全国制覇!」
 「声が小さい!!」
 「全国制覇!!!!」
 「もう1丁!!」
 「ぜ〜〜んこ〜〜〜くせ〜〜〜は!!!!」
 パチンと1つ、拍手を打つ咲。
 「貴方たちの目標、この古屋咲が、確かに聞き届けました」
 咲は女子にしてはゴツイ手を握り締め、自分の胸に持っていくる。 
 「今日より、貴方たちは同じ目標に向かう友であり、仲間であり、姉妹です。私は貴方たちの入部を歓迎します」
 そう宣言した咲は静かに眼を閉じて黙っている。
 他の部員たちも、そんな咲にかける言葉を持ってはいない。
 騒がしかった格技場に流れる沈黙。
 そして、
 「それでは、乾杯」
 咲の言葉で歓迎会が始まった。
 
 
 
「パーティーは、テンヤワンヤ」

 
 
 「1番!! 天野龍郎(アマノ タツロウ)!! 歌いまーーす!!」
 初手から、異様な盛り上がりを見せる一同。
 「甲府の〜♪盆地に〜♪風ひかり〜〜〜♪」
 ある者は肩を組みながら共に歌い、ある者は手拍子で、歌声にノリの添える。
 
 「ふぅ、恥ずかしかった」
 大役を終えた咲は安堵の息を漏らしていた。こういうことは試合以上に緊張するものなのだ。
 「お疲れさま〜〜」
 竹美はペットボトルを掲げ、咲のコップにジュースを並々と注いでいく。
 「ありがとう」
 咲は礼を言いながら、コップの中身に口をつけた。口の中に程よい酸味が広がり、喉を潤してくれる。中身はスポーツ飲料か。
 「美味しい」
 「いや〜、最初は嫌がってたのに、ノリノリだったじゃない」
 「わ、私は主将てとして、当然のことをしただけで………」
 「あれ〜? 「代わってよ」とか言ってたのは誰だっけ?」
 「うぅ〜〜〜」
 咲は軽く涙目になる。唸りながら、竹美を睨むが、正直、全然怖くない。
 「ごめんごめん! ホント、お疲れ様」
 咲の頭を撫でながら、竹美は笑わずにはいられなかった。
 官は、そんな光景を遠くから見ていた。
 「やっぱり、格好いいなぁ、主将」
 なんて、本音が漏れる。別に、ルームメイトのように同姓愛好者ではないが、自分が3年生になった時、あの人にどれだけ近づけるのか不安が過ぎる。
 「ん? どうした?」
 隣に座っていた貞義に聞かれたらしい。彼は学園指定ジャージに身を包み、胡坐を掻いていた。顔だけ官に向けている。
 「いや、私はどんな3年生になるのかなぁって思って」
 「難しいことを」
 「いや、主将って強いじゃない。それに優しいし」
 「まぁ、確かにな」
 貞義はチラッと咲を盗み見る。官の言っていることは、その通りだろう。
 あの人が本気で怒っているところは見たことがない。現に今も優しい微笑みを湛えている。男ならずも、官が憧れを持つのも頷ける。
 「憧れってやつか?」
 「まぁ、そうかもね。………で?」
 「で?とは」
 「………男としてはどうなの?」
 ニタリと笑う官。男子がこの手の話に乗ってくるのか、興味があった。
 「まぁ、主将が強いというのは認めるが………」
 「何!? 飯沼って、咲が好きなの!?」
 今まで咲と談笑していたと思われていた竹美は目をランランと輝かせながら、2人の会話に入ってくる。因みに、耳がダンボだったのはいうまでもない。
 「そういうことは、早く言いなさいよぉ」
 身体をを揺らしながら、豪快に笑う彼女は見ていると心が和む。官は、何だか恵比寿様を見ているような気持ちに陥った。
 「そっか、そっか! 飯沼が咲をねぇ。青春よね!!」
 「もう、竹美、笑いすぎ。・・・・・・ありがとう、飯沼君」
 「いや、そういう意味では・・・・・・・・・」
 咲が窘めても、竹美の笑いは収まらない。一頻り、笑った後、
 「でも、生意気よぉ。官!!」
 「はい!!」
 「やっておしまい」
 竹美は自分の首を掻っ切る動作で官を促した。
 「了解です!!」
 官は自分の言葉が終わるよりも早く、背負い投げを炸裂させる。そのまま流れるように官は貞義の肘関節を極める。
 官の得意技は関節技全般。不意をつかれた貞義に逃れるスキなどミクロの単位もない。
 「さぁ、いい声を聞かせて頂戴、坊や」
 
 「ハッハッハ! 元気があっていいな」
 コップ片手に恵介の隣りに座った『星学の重戦車』こと芹沢は、苦笑いを浮かべる。あくまで止める気はないらしい。
 「さて、お前たちに聴きたいことがある」 
 気を取り直したように、芹沢は口を開く。
 「これは大切な質問だ。正直に答えて欲しい」
 真面目な顔付きな芹沢に緊張する恵介、あくまで無表情な継夜。
 芹沢の表情には、上級生だけに培われる威圧感があった。
 「…………な、なんでしょう?」
 ゴクリ、と生唾を飲み込んだ恵介は、いつもよりオクターブ高い声で、恐る恐る、この無闇なまでに威圧感を醸しだす上級生に尋ねた。
 正直なところ、勇気を出しての行動ではない。ただ単に沈黙に耐えかねたのだ。
 動じた様子のない継夜もお菓子を食べる手を休めている。
 そんな只ならぬ雰囲気のなか、芹沢は鋭い眼光を放ちながら恵介を一瞥し、口を開いた。
 「……………お前たちは『柔道部物語』派か?それとも、『帯をギュッとね!』派か?」
 「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………。」
 
 時が止まる。
 誰1人として、芹沢の質問に明確な答えを出せないでいる。
 「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………。」
 「ン?質問の意味が分からなかったか?
  お前たちは、『柔道部物語』の方が好きか?『帯をギュッとね!』の方が好きなのか?」
 
 因みに、芹沢の言っている『柔道部物語』と『帯をギュッとね!』とは、同じ時期に連載されていた柔道漫画である。連載当時、柔の道を志す者なら誰でも読んだ柔道家のバイブルである。
 『柔道部物語』は講談社から大好評発売中。
 『帯をギュッとね!』は小学館から大好評発売中。

 「で、どうなんだ?」
 ニンマリと笑いながら、再度、回答を求める芹沢。この先輩の中では両方、読んでいることは常識になっているようだ。
 「………柔道部物語。」
 「おぉ!!継夜は柔道部物語か!!」
 そうか、そうかと笑いながら、さも楽しそうに継夜の頭を撫でる芹沢先輩。
 「で、恵介は?」
 「俺は、『帯をギュッとね!』……………。
 「………………」
 ……………だったんですけど、たった今、『柔道部物語』がいいかなぁって。」
 「………おぉ!!そうか!!」
 違いの分かる男、大鳥恵介。
 彼の土俵際のうっちゃりが功を奏し、落ちかけた芹沢のテンションも好調をキープ。
 
 一方、貞義はというと、
 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 まだ、官に弄られていた。
 「飯沼、あんたは…どっちが…好きなの?」
 官に腕の関節を極められながら貞義は問われる。それは云わば、拷問っぽい……いや!拷問だった。
 もはや、貞義は満足に話すことも出来ない状態だ。
 しかし、問われたからには、答えなければならない。それが彼の心意気だった。
 「俺は!………じゅ!じゅ!じゅ!柔道部もの………あぁぁぁぁぁ!!!!!!」
 「何で、『帯ギュ』じゃないのかしら?」
 「幻のぉ!技がぁ!!出ないぃ!!!………あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
 「私は、『帯ギュ』派なのよ。………この意味、分かる?」
 「そいつはぁぁ!!良かったぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
 最後まで答えさせない。ドS 官の本領だ。
 ここまで来ると、完全に貞義の苦痛に歪む顔と悲痛になびく声を楽しんでいるとしか思えない。
 「あなたも、当然、『帯ギュ』派よね?」
 ここで、彼が意見を変えていたら、官の心は興醒めしたかもしれない。だが………
 
 「それはない………ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
 
 ……馬鹿正直に答えてしまう辺り、彼が彼たる所以である。
 そんな同期の男気が官の好虐心に油を注ぐ。
 「これは、教育( 調教 )が必要ね……。」
 「お前に教育される謂れはああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」」
 妖艶に微笑む彼女は関節技を外すと、貞義をそのままプロレス同好会の特設リングに連れて行く。
 グッタリとしている彼は、抵抗することが出来ずに引きずられたままだ。
 「芹沢先輩。あれ、いいんですか?」
 恵介は貞義が壊れる前に、芹沢に一応、聞いてみる。止める、止めないは別として。
 「官のことなら大丈夫だぞ。怪我をさせるようなことはないだろう」
 それを聞いて、ホッと胸を撫で下ろす恵介。その横でポテチをパリパリ食べている継夜。彼女はあくまで無関心。
 「官はプロレス同好会から、スカウトされたほどの腕前だからな。」
 「あぁ、それなら怪我はしませんね……って、違う意味で危ないんじゃ!?」
 恵介たちが再びリングを見ると、官はコーナーポストから華麗に飛び降りていた。
 
 その後は、開放された半死状態の貞義の回復を待ち、1年生の自己紹介。
 上級生の星影学園の思い出話に花が咲き、による柔道部の戦歴の紹介。
 など、1年生は先輩の話に一喜一憂し、騒がしくも楽しい時間は過ぎていく。
 そして、時刻にして、13時。
 新入生歓迎会は第2幕に突入した。
 
 
 
「遁走」

 
 
 「ハァ、ハァ…………。」
 教団の前の机の横に腰を屈め、隠れるように座る官。周りにいる数名の生徒がいたが、構っている状態ではない。
 自分の置かれた状況。その整理をする時間が欲しかった。
 まずは呼吸を整える。
 深呼吸を1回、2回、3回………。
 心臓に新しい空気を送る度、体の1つ1つを回復する。
 落ち着くと考えが及ぶのは離れ離れになった仲間のこと。
 継夜………飯沼………大鳥………。
 名前を思い起こす度、浮かんでくる彼らの顔。無事でいてほしいと祈りにも似た思いを込める。
 だが、彼女とて楽な状況ではない。
 ………相手は待ってはくれないのだ。
 教室の扉が開く音が聞こえる。
 中にいる、他の生徒が騒ぎ始めた。そして、隠れている官を交互に見ている。
 官の位置は教団の直ぐ傍の教師が使う机の横。侵入者からは、彼女の姿は見えない。
 ……だが、他の生徒の反応から、自分の位置は丸分かりだろう。
 「こうなったら、やるしかない」
 官は呟く。考えてみたら、戦うなとは言われていない。このまま逃げ続けるより、自分的には、こっちのやり方の方が性に合う。
 そうと決まれば、小細工はいらない。この状況を脱するためにも、こちらから仕掛けるべき。
 彼女は2,3回、深呼吸をすると、スッと立ち上がる。
 すると、彼女の瞳の中には鮮やかな銀と赤が入ってきた。
 「………………………………これが、鬼」
 「デヤ!!」
 
 そこには、円谷プロのトップスター、『ウルトラマン』の姿がある。
 
 話は30分ほど前に戻ろう。
  
 「缶ケリ大会?」
 「そうだ!」
 1年生の疑問に芹沢は笑顔で答える。その顔はさも楽しそうだ。
 「缶ケリっていうのは、あの?」
 「恐らく、恵介の考えているものと同じだ!」
 
 ここで、軽く、『缶ケリ』というものについて解説しておこう。
 缶ケリとは、日本昭和期以降の子供の遊びの1つである。呼び名が違う地域もある。
 ルールは、
 1、鬼を1人、または複数決め、参加者は鬼とそれ以外に分かれる。
 2、チョーク、または、小石で円を描き、その中心に缶を置く。
 3、鬼でない者が缶を円の外に強く蹴り出す。
 4、鬼が缶を円の中心に置き直し、いくつか決められた数を数え終わるまでに、鬼以外の者はどこかに隠れる。
 5、鬼は隠れた者を探す。見つけた場合、その者の名前を大声で叫び、缶の所に戻って缶を踏む。その時、踏む際に見つけた者の名前を叫ぶ。
 6、見つかった者は円の中に捕らわれる。ただし、見つかっても鬼が缶を踏みつけるよりも先に缶を蹴ってしまえれば、セーフ。
 7、鬼は見つけていない者に缶を蹴り倒されると捕らえていた者が自由になり振り出しに戻るので、死守しなければならない。
 8、鬼が隠れている者を全員見つけるか、見つけられず皆が飽きてしまった場合、缶ケリは終了となる。
 以上。
 因みに、地方によってはルールが多少違う!!
 
 「この缶ケリ大会も1年生と上級生の親睦を深める意味を込めて行われる伝統行事の1つだ。」
 「め、珍しい伝統ですね。」
 「他の学校のことは知らんが、そうなのかもしれんな。」
 まぁ、良いだろう。と笑う芹沢。この様子だと、かなり、楽しみにしていたようだ。
 「チーム分けは鬼が2年生チーム。1年生チームは逃げる側だ。」
 「あれ?3年生は出ないんですか?」
 官は当然の疑問を口にする。
 「そりゃね、出たいけど………」
 それに対し、竹美は、さも残念そうに言う。
 「私たち3年生から見たら、あんたたちは孫みたいなものよ。可愛い孫に怪我をさせられないからねぇ」
 ………怪我?
 不吉な言葉を、当然のように口にする竹美。
 1年生たちに不安が過ぎる。
 「怪我をしないように頑張ってね」
 咲は笑顔で励ましの言葉を贈る。いや、そんなに爽やかに言われても………。
 「………質問です」
 「うん? 何だ、継夜」
 「…………戦力比が2対1で逃げる側が…………圧倒的に不利だと……………思うのですが。」
 「うむ。普通の缶ケリでは、な」
 「………普通じゃない?」
 「勿論だ!!」
 「………やっぱり」
 継夜は、こうなることが予想していたのか、顔色を変えずに一言だけ発した。
 「普通の缶ケリなら、鬼は見つけるだけでいい。だが、今回の場合はそれだけでは駄目だ。」
 「………というと?」
 「継夜、俺たちは何部だ?」
 「…………柔道部ですが。」
 「それが答えだ!!」
 「………スミマセン。意味不明です」
 「な、何ぃ!?」
 驚愕する芹沢。彼の中では質問の回答内に柔道( 部 )という単語があると、全てが通じると思ってるようだ。
 「う〜〜〜ん、何と言ったら良いのか………。」
 「お〜〜い。ここは俺、伊庭八耶が代わりに説明するぜぇい」
 「おぉ、頼むぞ。」
 「任せとけぇい。
  先ほどの『駄目だ』の件だが、確かにこのままだと逃げる側が不利だなぁ。
  だから、そのハンデとしてだぁ。鬼は逃げる側を捕まえて、自分の組み手に持ち込まなければならないという星学柔道部ルールを適用する。
  鬼が自分の組み手を取り、缶を踏めば、組まれた者はアウトって訳だぁ
  組んだかどうかは、各々のスポーツマンシップに任せるぜぇ」
 クククと含み笑いをする八耶。そんな笑い方をされると、裏がありそうで恐い。
 「逃げる側は見つかっても、そのまま逃げ切れば良いから、戦力的にも大丈夫だろぉ。
  1年生が全員捕まるか、捕まえられず、3時間経つか、若しくは、1年生が缶を倒したら終了とする」
 「な、なるほど」
 官にとっては、この歳になって、こういう遊びをやるとは予想外だった。
 「ただし、缶が倒れた時点で終了だぁ。と、いうことは1度鬼に組まれたら、そいつは戦線復帰はできねぇから、気をつけな。因みに、鬼は見分け易い格好をしてるから、安心しろぃ」
 「見分け易い格好ッスか?」
 「今日は日曜日だけど、他の部活の生徒とかいるからねぇ。」
 「な、なるほど。」
 やるからには勝つ、と考えている官。
 さらに裏があるのでは、と深読みしている継夜。
 納得している貞義。
 帰りたい、と思っている恵介。
 と、1年生の反応は様々だ。
 「了解でーす!!」
 「さぁ、ルールも分かったところで、早速、缶の場所へレッツゴー」
 「オォーーー!!!!!」
 八耶の言葉で全員が意気揚々と移動を開始した。
 
 場所は変わって、体育ドーム裏。
 ここに缶があるはずだが、たちには、それらしい物が見つけられない。
 「あの〜、伊庭先輩、缶がないんですけど?」
 「……あるじゃねぇか、恵介の隣りに」
 クククと笑っている八耶の対応。まるで、その質問が来るのが分かっていたというか、待っていたというか。
 いや確かに、恵介の隣りには、ドラム缶があるわけだが。
 「ドラム『缶』…………えぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
 「じゃあ、それを蹴り倒しておけよぉ。その間に俺たちゃぁ着替えてくるから。」
 「蹴り倒すって、ニトロ( 危険物 )って書いてますよ、これ!!
  しかも、オモッ!!中身入ってるし……って、中身入ってるし!!!!」
 「大丈夫だって。ちょっとや、そっとじゃ爆発しねぇ」
 八耶はガツンと1発、ドラム缶に蹴りをお見舞いし、
 「じゃあ、頼んだぜぇ」
 と軽く言い放ち、上級生は楽しそうに姿を消した。
 
 残された1年生は堪ったものではない。
 八耶が蹴りを入れた瞬間、不覚にも驚く事しか出来なかった官と貞義。立ったまま気絶している恵介。その恵介の後ろに姿を消した継夜。
 互いの顔を見合わせて、継夜以外は困り果てている。
 しかし、何時までも、このままではいられない。缶ケリを始めるためにも、このデカ物を倒さねばならないのだから。
 貞義は決意し、皆に言う。
 「ここは俺と恵介でやるから、2人は先に隠れててくれ」
 「え? 言ってんのよ?」
 「これは女子には重たすぎるだろう」
 ドラム缶をコンコンと叩きながら、貞義は2人を促す。
 「飯沼君の言い分も分かるし、ありがたいけど………」
 だが、官の考えは違っていた。
 「あぁ」
 「4人で持っていった方が早いでしょ」
 ニコッと笑う官。確かに、2人で運ぶよりは明らかにいいだろう。
 「だが・・・・・・」
 「私たちは全員、1年生。違う?」
 「違わん」
 「なら、全員でやりましょ♪」
 薄っぺらい胸を張り、言い切る官。こうまで言われては貞義は降参するしかないようだ。
 「分かった。………全く、格好くらい付けさせろ」
 「大丈夫、格好良かった格好良かった」
 頭を掻きながら、溜息を吐く貞義の背中を官は軽く叩く。確かに申し出は有難がったが、どうしても、やりたい気持ちが強かったのだ。
 「継夜もいいわよね?」
 「…………(コクリ)」
 と無言で首を縦に振る。内心、楽ができたのにとか思っているかもしれない。
 「おい、恵介、起きろ」
 「ふぇ?」
 貞義は気絶している恵介を、揺すって起こす。1番の力持ちをこのままにしておく訳にはいかないし、彼も1年生だ。仲間外れにするわけにもいかないだろう。
 「仕事の時間だ」
 「仕事って何? バイトしてたっけ?」
 「これを運ぶんだ」
 貞義はドラム缶を指差して、促す。
 「何で運ぶの?」
 寝起きみたいな状態の恵介は話を飲み込んでいない。だが、これまでの経緯を説明すると、駄々をこねそうなので省いた方がいいだろう。
 「いいから、そっちを持て。1,2の3で上げるぞ」
 「え?どういうこと!?」
 「早く位置に着きなさいよ!!」
 「いや、説明くらい………」
 「………御託はいいから………早く」
 「どういうことーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!?」
 ………
 ……
 …
 「キエエェェェェェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!!!!」
 
 恵介の奇声が辺りに木霊する。因みに、彼は気合を入れて力を込めると奇声を上げる癖があった。
 「うるさいわよ! 大鳥くん!!」
 「だ、だって、………これ……重いぃ………」
 「……重いのは……みんな一緒よ!!」
 「……だってぇ!!」
 「……ここいら辺でいいだろう」
 取り合えず、グラウンドに運んだのはいいが、これをこのまま放置するのは、なんだか面白くなかった。
 「あれ?継夜は?」
 「ん?……さっきまで居たぞ」
 「……………これ」
 「うわっ!!ビックリした!!」
 継夜は、いつの間にか姿を消していたと思ったら、何やら、リヤカーを引っ張ってきた。
 中には、スコップと有刺鉄線。
 こうして、継夜の提案に従い、行動することにした。
 まず、グラウンドにドラム缶を埋めた。その場所に格技場から持って着た有刺鉄線( プロレス同好会の所有物 )を張り巡らせ、「柔道部、缶ケリ中!!」の立て札を立てた後、4人は校舎に向かって走り出した。
 地面に埋めたのは、隠すのが目的ではない。缶は元の場所に戻さねば缶ケリは始められず、当然、埋められると掘り返さなけれならない。地中のどの深さに危険物と書かれたドラム缶があるのか分からず、思い切って掘れないことを計算してのことである。
 有刺鉄線は、張っておけば撤去するのに多少の時間がかかるだろう。また、目立つので先輩たちが発見しやすい上に無関係の生徒が巻き込まれないようにするための配慮でもあった。
 「河井、…………えげつないな。」
 「……………褒め言葉」
 「いや、褒めちゃいないが」
 無表情で走っている同期の顔は、いつもより、少しだけ輝いている。
 3人は、継夜の知られざる一面を垣間見た気がした。
 だが、これで時間が稼げる。
 
 官の心には少しばかり、余裕が生まれていた。
 しかし……………、
 (………この時、私はまだ、この缶ケリの奥深さを知らなかった。)
 ドラム缶は想像以上の速さで元の位置に戻され、1年生は満足に隠れることは叶わなかった。
 そして、現在に至る。
 
 「デヤッ!!!」
 言葉が出ない官に対して、ウルトラマンは戦闘態勢にはいっている。
 学園の教室には余りにも似つかわしくないヒーローがやる気でいる。
 その気迫は官にもビシビシ感じ取れた。これが、長きに渡り、銀河の平和を守っていた者の闘気なのか。
 「面白いじゃない」
 こんな機会は滅多にない。
 官は決意し、全身に気合を入れる。
 そして、両手で頬を叩き、心にも戦闘態勢を敷いた。
 
 対峙する両者。
 先に動いたのは官だった。
 官は勝負を急ぐ。ここでグズグズしていると、相手の増援が来る確率が高い。
 こんなところに兄弟、ご両親、果ては王様まで来られたら、彼女に勝ち目は万に一つもなくなる。
 体勢を低くし、相手の懐に飛び込む。それはまさに獣のような動きである。自分の間合いに一気に詰めると、手を伸ばせば届く距離だ。それは官にも危険な間合い。
 だが、彼女は怖じることなく飛び込んだ。これは、相手に対する敬意をも含まれているのかもしれない。
 互いの手が交差した時、
 
 ピコーーーーン!ピコーーーーーン!
 
 と、音が聞こえ、両者の動きが止まる。
 音の出所は、ウルトラマンのカラータイマー。
 「デヤ!?」
 慌てふたく我らがヒーロー。
 ウルトラマンはキョロキョロと辺りを見渡している。明らかに何かを探しているのだが、このような状況なら、このヒーローは勝負を急ぐはずである。
 だが、彼はデヤッ!デヤッ!と叫びながら、壁に視線を向けている。
 そして、遂にお探しの物を発見したのか、今まで聞いた中で1番大きなデヤッ!!を言い放ち、その場所に向かう。
 そこにあるのは、コンセントだった。
 ウルトラマンは何処からか取り出してきたアダプターをコンセントに差し込む。
 すると、どうだろう。
 先程まで、もうアキマヘンと騒いでいたカラータイマーがピタリと鳴り止んだではないか。
 「デヤ〜〜〜」
 ウルトラマンも一息付いていた。流れているはずのない額の汗を拭きながら。
 「…………ふ〜〜〜〜ん、動けないんだ」
 「デヤ?」
 何事もなかったように振り替えるウルトラマン。そこには、ニンマリと邪悪な微笑みを浮かべる官の姿があった。
 「デヤッ! デヤッ!!」
 1歩、1歩と近づいてくる官が死神に見える。
 「デヤーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
 他の生徒の前で行われるであろう公開処刑。
 教室に断末魔がこだました。
  
〜 後へ 〜


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