〜阿修羅さまがみてる〜
『 〜Lilac On The Hillside〜 』前
作:コジ・F・93

 「オハヨー」
 「ごきげんよう」
 「うーす」
 「もーにんっ」
 「ちょいや」
 さまざまな朝の挨拶が澄みきった青空にこだまする。
 甲府の盆地に集う生徒たちが今日も天使のような無垢な笑顔だったり、割りと悪い事思いついちゃった的な顔で、学校名の代わりに『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と書かれた門をくぐって行く。
 なんとなく青春真っ盛りな心身を包むのは、思い思いにコーディネートされた私服。
 スカートのプリーツってなんだ?白いセーラーカラーがついてるヤツなんか、まずいねぇ。ゆっくり歩く人もいれば、わりとツカツカと歩いていく人もいる。もちろん、遅刻ギリギリだったら、達観している一部の生徒を除いて、全力ダッシュである。
 
 私立星影学園
 
 『自称』卒業生第一号が聖徳太子だというこの学園は、もとは豪族の令嬢、子息のために作られたという、全寮制の学校である。
 山梨県甲州。環境破壊が叫ばれて久しい昨今にあって、未だ緑の多いこの地区で、寮に入れられ、その割に、校則があるんだかないんだかイマイチ解らない自由主義のある意味無法地帯。
 時代は移り変わり、17条だった憲法が(!?)11章103条に増えた今日でさえ、卒業するころには、大抵のことでは驚かない、頑強な精神力が養われる、とういう教育の現場としてどうにも個性的過ぎるスタンスの学校である。
 
 早いもので、1学期もあと僅か。
 梅雨明け宣言が出されようが、出されまいが、7月の太陽は有り余るエネルギーを届けてくれるし、吹き抜ける風はもう夏の匂いを運んでくる。
 青い空、白い雲、真っ赤な太陽っ!
 …………っていうか、暑いっ!!頼む、風よ吹いてくれっ!!
  

  

「First Step」


 
 「カリカリ」とャーペンが紙の上を走り、答案を埋めていく音が響く。
 その音が聞こえれば聞こえるほど、絶望的な気分になる。
 (ぜ、全然分かんねーっ!)
 テスト開始から15分、目の前には『大石次子』(オオイシ チカコ)と書かれた答案用紙。
 ………
 テスト開始から15分、目の前には『大石次子』と書かれた答案用…イヤ、いくらなんでも、コレはさすがにマズイだろう…
 「──」
 後ろの方でなにか気配がして、試験教官をしていたしづ姉が「ノッシノッシ」と歩いていく。
 (…ゲェ…もう終わったのかよ…)
 教室の後ろの方で何が行われているのか悟った次子は心の中で辟易としていた。
 「…はい、じゃあ預かるわね」
 そう言ってしづ姉がまた「ノッシノッシ」と教卓に戻っていく。
 (見えろっ!!チラっとでいいっからっ!見えろっ!見えてしまえっ!!!)
 しづ姉の通り抜け様に全神経を目に注いで、透視能力発現のミラクルにかけるが、やはり現実というのはどこまでも無常で、その目に映るのは裏返した解答用紙の白さだけだった。
 「ガラガラっ」と扉が開き、そして閉められる音に次子のため息が重なる。
 (あ〜あ…15分で終わらなくてもいいから、60点くらいは取れる頭が欲しいっての…)
 雅の半分、イヤ、3分の1でもいいから。と祈ってみたところで自分の答案の驚きの白さは変わらない。たく、スプーン1杯も入れてないのに…とかこんな事考えてる場合じゃない。とにかく、目の前のテスト(コイツ)をなんとかしなくては…
 気合を入れなおして、問題を読む。っていうか、見る。直視するところから頑張る。
 (なんだよっ!この数式とアルファベットはぁっ!?お前は数学でも英語でもねーだろっ!でしゃばるんじゃねーよっ!!)
 直視することすら、ままならなかった。
 (クソっ!佐久間ぁ…なんだってこう物理の教師ってのはアタシの邪魔ばっかしやがって…)
 去年1年、意味不明な理由で自分を干した久坂も担当科目は物理だった…その久坂がいなくなって、心の底から喜んだ。無事に部活に復帰もできて、『おしっ!今年はなんかいい年じゃんか』なんて思ってたら……よりによって1番嫌いな教科の教科担任が学園1の嫌われ者…人生ってのは上手くいかないものだ。という事を16にして再確認してしまった。
 (いやっ、そうじゃなくて!)
 頭をブンブン振って、またまた脇道に逸れてしまった思考を元の軌道に修正。
 軽い眩暈と闘いながら、さっきから何度か試した『点が取れそうなところ』。いわゆるサービス問題というやつを探す。
 上から、下まで。
 頭からケツまで。
 (………いったいドコにサービス問題が?)
 (っていうか…)
 次子の手が怒りに震える。
 (なんで、選択肢から答え選ぶ問題が1個もねーんだよっ!!バカじゃねーのコイツっ!!だからブッちぎりで嫌われてんだって気付けよっ!!!あと、加齢臭とその薄気味悪い顔と、イラつくしゃべり方とオモシロくねー授業っ!!もうあれだっ、『物理』じゃなくて、『ドマゾ』とかに教科の名前変えちまえよっ!ただ椅子に座っ──)
 テンションに任せて教室の前を睨みつけると、そこに掛けられている時計が目に入った。
 (──あと、10分っっ!!!?)
 ヤバイっ!いつの間にか、雅が教室を後にしてから25分も経っている。25分間、我を忘れ続けられるほど他人を不快にできる佐久間のそれは、もはや才能と言ってもいいかもしれないが、テスト中に答案真っ白のまま、25分もテンション上げてられる自分もどうよ?なんて思ったりもしたりすけど、それはもう後の祭りで…
 (ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ………)
 さっきから、次子の頭の中は激しく回転する赤い回転灯の光と、けたたましい警告のサイレン。そして、脳裏の画面を弾幕の如く埋める『ヤバイ』の3文字で占められている。
 今年からやっと掴んだレギュラーの座。待ちに待った公式戦デビューはすぐそこなのに…赤点なんか取ったら…赤点取って補習なんかになったら…
 「最低でも、赤点は1つ、最低2つまでにしておいて下さい。分かっているとは思いますが、3つ以上赤点を取ってしまった生徒は、夏休みの補習が終わるまで『部活動停止処分』ですので…」
 新顧問の松本先生の言葉が甦る。
 (アレはアタシに言ってたよなぁ…間違いなく)
 別に松本先生の言葉からソレを感じ取ったわけではない。というか、松本先生はソコは完璧に隠し切ったと思う。じゃあなんで、次子がそう感じたかと言うと、
 (背番号貰ったメンバー、アタシ以外はみんな頭いいんだよねー!)
 次子以外のメンバーは、悪くても赤点まではいかない、ランク的には中の下までに入ってたりするので、(ちなみに今回のメンバーは2、3年で占められているので、成績がいいんだか悪いんだか分からない1年生はカウント外)ちょっと考えれば、松本先生は次子を心配して言ったという結論に誰でもたどり着くのだが…
 まぁ、誰が1番悪いって、まともにソフトができる喜びに浸りすぎて、中間で見事に赤点3つを叩き出した次子が1番悪いのは、もう間違いない。
 「初日から、コレはヤバイっ!!」次子が頭を抱える。(いや、さっきからずーっと抱えてはいたんだけど)まだ、数学も古文も残っている…
 チラっと(直視するのは怖いので)時計を見る。テスト終了まで、あと7分。
 (こうなったら…最後の手段っ!!)
 次子のシャーペンンを握る手に力が入る。
 (奇跡よ起これーっ!!なんでもいい神っ!降りて来ぉーいっ!!!)
 とりあえず、手を動かして、何かが起こるのに賭ける事にした。
 
 「………うわぁ…コレは被害が大きそうだなぁ……」
 長かった期末テストもあと1教科。そしてその大トリを飾るのは、山県先生の英語。星影学園の生徒全員が山県先生『以外』の英語を熱望するその1番の理由が、このテストにあると言われている(まぁ、実際その通りだと思う)伝説のテストを目の前にして嘉穂(カホ)が大きくため息をついた。
 ちなみに、テスト範囲は『今までにやったとこ全部』。
 初めて中間でこう言われた時はそりゃ、クラス中からブーイングが飛んだものだ。
 「先生っ!それじゃ、テスト勉強のやりようがねーよ」
 こう言った男子生徒は、
 「うっせーな…テストの前だけ勉強していい点取れるほど、上等な頭してんのかよ、お前は?」
 と撃墜された。もちろん、テスト前だけ勉強しても意味がない。という先生の言い分はよく分かる。分かるんだけど…
 ──問1。この人物は誰でしょう?(日本語で答えて構いません)
 中間の1問目に、こんな問題から始められて、驚いた嘉穂は、答案と問題用紙の表紙を確認してしまったほどだ。
 (…豊臣秀吉。……ダイジョブだよねっ!?これ、英語のテストだよねぇっ!!?)
 めちゃめちゃ不安になって「もしかしたら、英語で答えるのかな?」なんて思ったりもしたけど、問題の最後に(日本語で答えて構いません)って書いてあるから、そのまま答えた。そして、先生の言っていた『今までやったとこ全部』も決して嘘ではない。…嘘ではないけど…
 ──問2。問1の人物が行った政策として太閤検地がある。○か×か?
 もう、どこからツッコむべきなのか、本当に分からなくなったよ。ちなみに1学期中間の英語のクラス平均は76点。…斎がとんでもない点数を叩き出した以外は概ね良好。次子に至っては、「初めて英語のテストで70点取ったぁっ!!!」と狂喜乱舞していたが、そもそも英語のテストかどうかも怪しいので、そんなに喜ばなくても…確かに最後の方に2年になってから習った英語の問題あったけどね…30点分………。
 そんな中間を経て、今回の期末。噂に聞く、山県先生のテストは実は逆の意味で、本当はみんな山県先生の英語を受けたくて仕方ないに違いない。(テスト楽だし)なんて、思い込んで、英語は安心だと高をくくって、他の教科に力を注いだ生徒は間違いなく地獄を見ている。やっぱりこの先生は相当にタチが悪い。まるで、裕美(ヒロミ)が大人になって教師になったらこうなる。っていう見本みたいだ。
 ──次の英文を日本語に訳してください。
 『Let's dorp colony shall we?』
 1問目から付加疑問文。甘く見ていた生徒はこれだけで血の気が引くはずだ。事実、嘉穂もちょっとビックリした。(普通に英語のテストだし、授業でやった事なので、このテスト自体におかしい所なんて1つもなのだが)
 (え〜と、『コロニーを落としましょうね』……コロニーを落としましょうね!?)
 普通に答えを書いてから、もう1度自分の書いた回答を見て(2度見)それから問題を読んで(問題2度見)また回答を見てしまった。(3度見)
 (こんな問題が最後まで続くのかなぁ…)
 …さすが期末の罠に盛大に嵌めるために中間を捨石にした教師。用意してくる問題まで、一筋縄ではいかないとは……できる。できない。とは別の次元で嘉穂が頭を抱えた。
  


  
「Why Dont You Get A Job」


 
 「…あ、暑い…」
 夏掛けとして使用していたタオルケットを剥ぎ取り、額にうっすらと浮かんだ汗で「ペトっ」とくっついた前髪をかきあげながら、ランがベッドから上体を起こした。
 まだ薄暗い部屋を、キッチンから漏れている明かりが頼りなく照らしている。
 (……。)
 とりあえず時計に手を伸ばした。
 ──8時20分。
 授業があったら寝坊だが、テスト休み期間中にしては、やや早い。
 (……寝直す…のは無理ね)
 ランがベッドの下に置いてあったスリッパの上に足を下ろす。
 折角の休みに早く起きてしまって、正直損した気分なので、極めて建設的な意見を出したものの、すぐに自分の状態を思い出して起きることを選択した。
 スリッパをつっかけて、クローゼットの中から着替えを引っ張り出して、キッチン、バスルームへと繋がっているドアを開けると、
 「あれ?藤堂ちゃん?……っ!…さくら、もしかして起こしてしまったですか!?」
 『キョトン』『もしかして…?』『あわわわっ!』と、分かり易く段階を踏んで焦っているのは、ルームメイトの原田さくらだ。
 「全然。暑くて起きちゃったのよ」
 さくらを落ち着かせるために、ランも分かり易い笑顔を浮かべて答える。加害妄想が強いというか、妙に自分が悪いのでは?と考える人間が寮と学校両方にいるので、こういう時の対処(落ち着かせる方もからかう方も)は慣れたものだ。
 「良かったです〜。でも、ホント今日もいい天気ですよ」
 ランの笑顔の効果がバッチリだった効いたのか、さくらも笑顔で答える。
 「…今日も『いい天気』ってのは、私はそんなに嬉しくないんだけどね…」
 ランがウンザリした声で言う。山梨って涼しそうじゃん。って思うかもしれないけど、馬鹿言っちゃいけない。山梨だって夏は夏。太陽は山梨だろうが東京だろうが北海道だろうが沖縄だろうが、夏だっていうだけで、全く容赦なく照らしてくれるのだ。暑くないわけがない。
 「でも、雨よりいいです」
 「雨、雨ねぇ…」
 さくらの言葉に曖昧に答えながら、ランがバスルームに引っ込む。梅雨明け宣言は出されてないけど、もう1週間以上雨なんか降ってない。…というか、梅雨明けしてないのに、連日の真夏日…。これはアレかね?温暖化現象ってヤツかね?それとも気象庁の怠慢かね?
 どうでもいい事を考えながら、シャワーのお湯をぬるま湯にして、体中の汗を洗い流したランがバスルームから戻ると、さくらの朝食の準備もだいたい終わったところのようだ。
 「藤堂ちゃんはいつも通りでいいですか?」
 牛乳を自分のコップに注ぎながら、さくらがランに尋ねる。
 「ええ。ありがとう」
 そう答えて、ランは『パン』と手を合わせる。
 「それでは、いただきます」
 「いただきますです」
 2人でお辞儀をして朝食開始。
 ──本日のメニュー。
 ──さくらは、コンビーフキャベツのホットサンド、サラダ、オムレツ、スープ。と、牛乳。
 ──ランは、ヨーグルト、コーヒー。
 ……別にイジメられてるわけでも、遠慮してるわけでもない。純粋に朝食べられないのだ。どんなに目や脳が起きても、お腹(特に消化系?)が、とにかく起きない。お腹が起きないから、ヘタに食べると、ずーっと残ってるような気がして、かえって気持ち悪くなってしまう。だから、ランは本当に必要最低限しか朝は食べない。正直、ヨーグルトかコーヒーどちらかでもいいくらいだけど、さすがにそれはいくらなんでもさくらに悪いので、とりあえずこの2つは摂るようにしている。
 (うーん。おいし)
 あと、さくらの作るヨーグルトが美味しいのと、さくらの作るブルーベリーのジャムが美味しいのと、さくらの淹れるコーヒーが美味しいのも大きな理由ではある。
 「藤堂ちゃんは、今日はどうするのですか?」
 オムレツを飲み込んでさくらが尋ねる。
 「特になにも…さくらは?」
 「今日は、イサミちゃんとお出かけなのです」
 「…ふ〜ん」
 ランの脳裏に隣の部屋の眼鏡寮長の顔が浮かぶ。
 「朝早くからご苦労ね」
 「早いって…もう9時になりますよ」
 「まだ9時前じゃない」
 見解の相違。暇を持て余している帰宅部のランと、料理研究会と軽音部(部なのか?)の掛け持ちのさくらとは、時間の感覚が違うという1つの分かり易い例である。
 (私はどうしようかしら…)
 今更ながら、早く起きてしまったことを強く後悔する。どうせやる事ないんだから、もっと寝てればよかったのに、ちょっと汗ばんだくらいで起きるなんて…この根性なしめっ!
 「あ、そうだっ!よかったら帽子を貸して欲しいですけど…」
 自分にセルフでツッコミをいれているランの葛藤など全くお構いなしに、さくらが『お願いです』とランの前で手を合わせた。
 「別にいいけど…」
 ランがちらっとさくらを見る。
 「さくらが被るような、ファンシーでメルヘンなのはないわよ」
 「さくら、そんなカッコしないですぅっ!!」
 さくらが両手を振って激しく憤ってみせる。
 (…カッコっていうか、中身なんだけど、問題は…)
 そう言いたいのを、グッと堪える。親しき中にも礼儀あり。ランには同居人をイジメて遊ぶ趣味はない。あと、怒らせると食事が大変。なんだかんだで、食事関係を握っている人間が1番強いのだ。世の中ってヤツは。それが分からないほどランは愚かな人間ではない。
 「で、ドレがいるの?」
 コーヒーのマグカップを持ったまま、ランが体を捻って、クローゼットの扉を見る。
 「えーと、あの英語の書いてあるキャップです」
 「…英語のキャップ……結構あるけど…?」
 頬を軽く引きつらせながら答える。自慢じゃないけど多分10以上あるぞ、その検索条件だと…っていうか、キャップ?さくらがキャップ?このロリ系ほんわか少女の見本がキャップ?それってどうよ?と、ツッコミたいのを、またしてもグッと堪える。いやぁ、我慢強くなったものだ。我ながら。
 「水色の…」
 ランのセルフの自画自賛など、やっぱり全くお構いなしにさくらが次の検索条件を提示する。
 「水色の英語のキャップ…この前、次子に貸したヤツ?」
 「それですっ」
 「ん〜、ちょっと待ってね」
 ランがクローゼットを開けて、帽子掛けの1番手前に掛かっていた『Another Edition』のキャップを取り出して、さくらに見せる。
 「コレ?」
 「それです、それです」
 「ありがとうです」と、コクコクと頷くさくらにキャップを手渡しながら、ランが尋ねる。
 「別に貸すのは構わないけど、さくら服は?」
 「服?」
 さくらがハテナと首を傾げながら聞き返してくる。
 「服あるの?」
 さくらの持ってる服はやっぱり、その…なんていうか、ファンシーな香りの強い物が多いというか…水色のキャップが合うような服は確かもっていなかった気が…サイズが近かったら貸してもいいけど、女子にしては背の高い方に属しているランと、女子の中でも背が低い方に属するさくらとではキャップは貸せても服はちょっとムリがある。だから、ついつい心配してしまったのだが、
 「この前、オーバーオールを買ったのです」
 「ああ、そういえば買ってたわね。ちょっと見せてみて」
 得意気に胸を張るさくらにランがリクエストをする。
 「いいですよ〜」
 そう答えて、さくらが部屋着から、黒のオーバーオールへと着替える。
 「どうですか?」
 クルっと回って、キメの笑顔。
 「う〜ん…」
 モデルばりにポーズを決めている気になっているさくらを見て、ランが唸る。
 (…男の子ぽいっていうか…)
 さくらにしては珍しい(というか、ランは初めて見る)オーバーオール。それにキャップまで合わせるんだから、当然さくらの狙いはボーイッシュな感じなんだろう。オーバーオールも膝と胸の辺りにダーメージのあるワイルドな感じのオーバーオールだし、それは間違いないはずだ。
 だが、しかし、
 (それにしても…中途半端な…)
 どこかに照れがあるのか、どうしてもメランコリックさが抜けきらない。
 「さくら、グレーのノースリーブ持ってなかったっけ?」
 とりあえず、変えられる所が上くらいしかないので、上を変えさせてみる。
 「どうですか〜?」
 「あっ、いいじゃない」
 着替えて、再びポーズをとるさくらを見て、素直な感想を告げる。
 「本当ですか?」
 褒められて自身がついたのか、さくらは姿見の前で回ったりポーズをとったりを繰り返す。
 さっきよりも全然いい。ノースリーブの開放感がさくらの顔とマッチして、とてもアクティブな感じに変わった。女の子がボーイッシュなカッコをする時は、男の子っぽさを追いかけるより、開放感、躍動感で勝負した方がいい。という1つの好例だ。
 「う〜ん。勉強になったなぁ」と、ランが満足そうに頷く。
 開け放たれた窓の向こう、抜けるような青い空が本格的な夏の到来を告げていた。
  


  
「Be_ Natural」


 
 「暑っぅ〜、なにこれ…」
 バスから降りて開口1番、白いノースリーブのカットソーに、デニムのショートパンツにサンダル。夏真っ盛りなカッコのランがダレた声を出した。
 「さっきまで、寒っ!クーラー効き過ぎよコレ…って文句言ってたじゃない…」
 続いて、グレーにピンクのラインの入ったプルオーバーに、黒いレギンスを穿いた嘉穂が、ツッコミながらバスから降りる。
 「バスの中は寒かった。でも今は暑い。っていうか、なによコレっ!アスファルト茹だってるじゃない」
 実際には陽炎が遠くの方で立ち昇っているように見えるだけののだが、まあ、茹っているという表現が間違っているとは言い切れないくらいに暑いのも、また事実として受け止めなければならない。
 「それで、これからどうするの?」
 左手の時計を見ながら、嘉穂が尋ねる。朝食を食べ終わって、洗濯物と布団を干していて、ランにイキナリ呼び出されてから、今の今まで『今日、何をするのか』全く聞いていない。
 「何したい?」
 「は?」
 反射的に聞き返してしまった。
 「いや、だから嘉穂はなにがしたい?って聞いてるの」
 ランが改めて丁寧に説明してくれるけど、そんな事は説明されなくても分かる。今、問題なのは言葉の意味じゃなくて、その言葉が発せられた動機の方に問題があるんだけど…
 「それは分かってるけど、え?ちょっと──」
 改めて念を押して置くが、誘ったのはランだ。間違いなく。
 「──もしかして、何するか決めてないの?」
 恐る恐るランに尋ねる。
 「決めてないわよ。もちろん」
 胸を張って答えられた。っていうか『もちろん』ってなんだ『もちろん』って。
 「大体、いい若い者がこんな天気のいい日に引き篭もってどうするのよ」
 ランの言う事にも一理ある。それは間違いない。でもね、せめて何をするか?くらいは決めてからにしよう。ドコに行くかだけ決めて出てきて、さぁ、何しようか?は違うと思うんだ私。
 「とりあえず、服でも見る?せっかく来たんだし」
 なかなか案を出さない嘉穂に焦れたのか、ランの方から提案してくる。
 (…ランと『2人で』買い物…)
 そう考えただけで、嘉穂は背筋に冷たい物を感じた。
 (ランと服買うのはなぁ…)
 イメージして嘉穂が尻込む。正確には『服でも見る?』と言われたのであって、『服、買う?』ではないんだけど、見てれば欲しくなるし、欲しくなったら買う(ランは確実に)んだから、まぁ細かいニュアンズには目を瞑るとして、問題はそのランだ。
 藤堂魁(トウドウ ラン)という人間は、いわゆる問題児ではない。大別すれば間違いなく『真面目な人間』という部類に入るし、学校でも中心的な人物だ。ただ、その…おしゃれに関しては完全にトンでるというか、妥協しないというか…入寮日にスーツケースを7つ送りつけてみたり、増え続けた服はもうお店を出せる量だったりで、(しかも、ほぼ全部ブランドもの)とにかく容赦がないのだ。
 では、なぜランは服に関して、こんなにも容赦がないのか?なぜこんなにもブランド物が買えるのか?その理由は、ご両親の寵愛の賜物&特殊なお小遣い方式に集約されている。
 まず、ご両親が1人っ子であるランに対して小さな頃からいわゆる『いい物』を身に着けさせ過ぎて、ランの感覚が肥えてしまった事が不幸の始まり。小学校の高学年になった頃には、ノーブランドの服はよっぽど気に入らなければ絶対に着ない。という女の子に成長したランのセンスは、年を経る毎に段々と研ぎ澄まされ、お小遣いとお年玉を全部服に注ぎ込んでしまうという所にまで行き着く。コレを解決するために、ご両親はランにある提案をランにした。近隣の服屋という服屋。ブティックというブティックを震え上がらせるその提案。それは、
 『買った服を親に見せて、その買い物が『いい買い物だった』と評価されれば、その買い物の分は親が持つ。ただし、ダメだったらその分は完全自腹でその後2ヵ月はお小遣いなし。そして月に使えるのは1万円まで』というものだった。
 月のお小遣い『1万円』と言われたようなものだが、ドジったら2ヵ月間の極貧生活が待っている。プラスも大きいガマイナスも相当なこの提案がランの眠っていた才能を叩き起こす事になる。『値段交渉』という才能を。
 普通、服を買う時は、予算に対して収まる物を選んで、その中から絞り込む。或いはちょっとの予算オーバーに対して、伸るか反るかを判断するのが普通の買い方だと思う。でも、ランはもうスタートが違う。好きな物、気に入った物を予算内に収める。という買い方をする。『クレーマー1歩向こう』のその買い方は友達であるにも関わらず、背筋が寒くなるし、時々『嘉穂の服も聞いてみるわよ』(『聞いてみる』なんて言葉に騙されてはいけない。あれは正しい日本語では『脅してくる』と言うのだ。)なんて、言われた日には…ひたすら店員さんに申し訳なくて、逆にコッチの居心地が悪かったものだ。
 「う〜ん。そうだね…」
 できれば、ランと2人で(イザとなったら実力で止められる雅や、理屈で黙らせる事ができる裕美がいる場合は別)服を買いに行くのは避けたい。でも代わりの案が出てこない。それでも何かないものかと嘉穂が唸っていると、
 「あ〜〜〜〜〜っ!先輩っ☆」
 遠くの方からかけられた声に、嘉穂が顔をあげ、ランが「ヴっ!」と後ずさった。
 「ああ、最悪…」
 ランがぼそっと呟くけど、声の主はそんなの全然お構いなしに(というか、遠くにいるから聞こえてないし)2人の元に駆け寄ってきた。
 「こんにちはっ!先輩っ☆伊東先輩っ」
 さすが現役陸上部、松崎さんはあっという間に目の前までやってきて「ペコリ」と頭をさげて、それから顔を戻すと「ニコっ」と穏やかな笑顔を浮かべた。
 「こんにちは。偶然だね」
 挨拶を返しながら、嘉穂は眼前で微笑む少女を改めて観察する。
 ──真夏の照りつける太陽を反射して、キラキラと輝きながらサラサラと流れる細く長い金色の髪。細く整った眉にくっきりとした二重瞼と、吸い込まれそうな碧色の瞳。鼻筋はすーっと通っていて、微かに色づいていた可憐な唇が映える透き通るような白い肌。そして夏を満喫中と言わんばかりのホルスターネックのチューブトップに、これまたデニムのショートパンツ。さらにトドメとばかりに黒のニーソックスで絶対領域完備。と、西洋人形(にしては服が活動的過ぎだけど)が動いているかのような完璧な美少女。あの尾関雅と並べても全く不自然のないように思える程の圧倒的な美しさを持ちながら、だが、しかし、
 (ストーカーなんだよなぁ……)
 ちなみに当の本人はそれを『恋する乙女』だと、はっきり言い切っている。
 「こんなところで会えるだなんてっ、やっぱり私たちは運命の赤い糸でこれでもかってくらいに、しっかりばっちりくっきりどっきり結ば──」
 「──嘉穂もいるけど?」
 「えぇっ!?私もぉっ!!?」
 「なんでそんなムードの無い事言うんですかぁっ!!!?あと、伊東先輩も微妙に嫌がらないでくださいよぉっ」
 松崎さんはこう言うけど、何気に『嘉穂がいると、ムードがない』発言(まぁ、本人は違う意味で言ったんだろうけど)してるので、お互い様だと思うんだけど…
 「っていうか、アンタ友達いないわけ?」
 ランがいきなり直球を投げ込んだ。
 「なんですかそれっ!いるに決ってるじゃないですか!友達の1人や100人作れないで1学期乗り切れるほど、越境入学の寮生活っていうのは甘くないんです。手と手を取り合って、お互いに助け合いながら生活していく寮生活。友達が多ければ、食堂の席も確保して貰えるし、実家から送って貰った仕送り…野菜、果物等々のお裾分けもあるし、そもそも友達っていうのは多いに越した事ありません──」
 出た、必殺のマシンガントーク。こうなっちゃうと相槌打つのも一苦労なんだ、この子の場合。
 (……はぁ…)
 嘉穂がヤレヤレと肩を落とすと、
 「──あ〜、はいはい、分かった分かった。アンタに友達が沢山いるのはよ〜く分かった」
 しかめっ面をして、軽くコメカミを抑えながら、ランがマシンガンに声をかける。
 「しかも愛人なんて1人いただけ…え?なんですか先輩?」
 効果テキメン。ランの言葉にこのままどんどん加速いってしまいそうだった暴走特急が急停車した。っていうか、いつの間に、どんな流れで『愛人』の話になったんだ…
 「友達が沢山いるのは分かったけど、じゃあアンタはこんな所になんで1人で来てるわけ?」
 ランの疑問に嘉穂が頷いて同意を示す。別に1人でウロついちゃいけないんて校則なんかあるわけないし、現に雅なんかはよく1人でウロついてるんだけど、松崎さんは雅みたいに、好き好んで1人でブラブラってタイプには見えない。どちらかと言うと、みんなでワイワイっていうタイプに見える。となると、じゃあ、なんで今日に限って1人なのか?という新たな疑問が湧きあがってくるのだが…
 「何言ってるんですか♪先輩っ☆せっかくのテスト休み、しかも部活前の貴重な時間に1人でこんなところまで来るわけないじゃないですか。ダイジョウブです、ちゃぁんと、ご紹介しますよぅ──」
 再起動したマシンガンの連射に嘉穂とランが顔を見合わせる。また始まっちゃったよ…ではなく(それも少しはあるけど)、『ご紹介』って何言ってるのこの子?という感情だ。
 (え…まさか…)
 その可能性を感じ取った嘉穂は背筋にゾクっという寒気を感じた。…そういうシーズンなのは分かるけど、そういう話はできれば聞きたくない。
 「──ルームメイトの佐川官(サガワ ツカサ)ちゃんで〜すっ☆☆☆」
 「じゃ〜ん」という効果音を自分で入れながら、右手の手の平を上にして、横にバスガイドさんの様なポーズで『☆』増量までする松崎さん。だが、
 「…?……アレ?…どうしたんですか?」
 複雑な表情を浮かべる上級生2人と、いつまでも挨拶をしないルームメイトに違和感を感じた松崎さんが、ランと嘉穂の視線を追って自分の右隣の空間に辿り着く。
 「…」
 「……」
 「………」
 「…ツ……カ………」
 そこまで振り絞って発音して松崎さんがフリーズする。
 「…………」
 「……………」
 「……あ”あ”あ”あ”〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!」
 「うわっ!?ビックリしたっ」
 松崎さんの突然の絶叫にランと嘉穂が後ずさる。
 「置いてきちゃったぁぁぁぁ〜〜〜!!!」
 再びの絶叫と共いん松崎さんが走ってきた方向を振り返る。
 行き交う人達の中にそれらしい人影はない。
 「そして──」
 「──置いてかれたね。コレは」
 ランのあとに嘉穂が続いてオチの完成。
 「てぇぇいっ!」
 掛け声と共に松崎さんはケータイを取り出して、
 「…………っ。このドS〜〜〜〜〜っ!!!!っ!?あっ、ちょっと!!モシモシっ!モシモ〜シっ!!!」
 「あ、切られた」
 「そりゃ、切るでしょ。アレじゃぁ…」
 嘉穂とランは、生暖かい目で事の顛末を見守っている。
 「なんのっ!」
 メゲない松崎さんは再びケータイを耳に当てる。
 「………………っ!!!?」
 「電源オフ?」
 「多分ね」
 「フ…フフっ、フフフ…」
 ケータイを戻した松崎さんが、俯いたまま不気味な笑いを洩らす。
 「これも何かの縁っ!というかコレはもう運命っ!!そしてこの運命に感謝っ!やっぱり愛しあう2人は図らずとも一緒になる運命だったんですさぁ、先輩っ!手と手をとって…」
 そう言いながら、松崎さんは2人の間に入って、それぞれの手を握る。
 「…」
 「(ニコニコ)」
 「私もっ!?」
 「イヤなんですかぁっ!?」
 まさか自分が巻き込まれるとは思ってなかった嘉穂が声をあげると、即座にツッコミが入った。
 「イヤっていうか…」松崎さんはラン一筋だったハズじゃ…と嘉穂がモゴモゴしていると、
 「モチロン、大本命は先輩ですよ☆でも私、伊東先輩も好きですから問題ないですよっ」
 嘉穂がよく知っている誰かさんみたいなカラッカラの笑顔を見せてくれる。
 「…そういう事じゃなくてね…」
 どう言えばいいのか嘉穂が口篭っていると、
 「なんか遊び行く気満々みたいだけど、アンタこれから部活なんじゃないの?」
 はしゃぐ松崎さんに、ランが冷や水をブっかけた。
 「あ…」
 力が抜けて、松崎さんの手が滑り落ちる。
 「1人で帰るの?」
 ランがさらに松崎さんを追い込む。『今ココにいるっていうことは、多分部活は午後からなんだろうけど、今日1日、全くのフリーである私達は少なくとも夕方くらいまではココにいるわよ。どうするの?付いて来るのはかまわないけど、帰り道確実にアナタ1人よ。』と細かく説明するとこう言いたいんだろうけど、それをあの一言に纏めてしまう。まあ、相手がそれを理解できなきゃいけないので、こう言われる松崎さんは、ランに認められている。という証でもあるんだけど。
 「くっ!負けないっ!私はこんな意地の悪い運命になんか決して負けませんっ!!」
 ついさっき感謝したばかりの運命を完全に仇扱いして、松崎さんが「キッ」と目を鋭くして宣言する。
 「失礼しますっ!」
 そう言い残して、松崎さんは来た道を相変わらずのスピードで戻って行った。学園に戻る1番楽なルートであるバス停は、ぶっちゃけココなわけだし、ココに佐川さん(だっけ?)がまだ来てないってことは、もう暫くはいるって事なんだから、あんな全速力で追いかけなくても…なんて嘉穂は思ってりもするのだが、あの暴走特急っぷりを見てると、何事も全力、全速力の方がらしい気がするから、ただ、その背中を見送る事にする。
 (あの子が追いかけてるのがランで本当によかった)
 他人が聞いたら、自惚れとも無責任とも薄情とも言われかねないが、それはそれ、これはこれ。なにがタチ悪いって、美人なうえに頭の回転が速くて、聞き分けがそこまで悪いわけじゃないから強く出れないのが本当に厄介。ランが中学時代から手を焼いているのも頷けるというものだ。
 「なんか、台風みたいだったね」
 嘉穂が「ふぅ〜」という息と一緒に素直な気持ちを零す。
 「まったく。…なんか一気に疲れたわ。どっか入らない?」
 ランの提案に嘉穂が1も2もなく頷いたのは言うまでもない。
  
〜 後へ 〜


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