〜阿修羅さまがみてる〜
『 それは舞い散る桜のように −星影学園の場合− 』
作:コジ・F・93

 「オハヨー」
 「ごきげんよう」
 「うーす」
 「もーにんっ」
 「ちょいや」
 さまざまな朝の挨拶が澄みきった青空にこだまする。
 甲府の盆地に集う生徒たちが今日も天使のような無垢な笑顔だったり、割りと悪い事思いついちゃった的な顔で、学校名の代わりに『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と書かれた門をくぐって行く。
 なんとなく青春真っ盛りな心身を包むのは、思い思いにコーディネートされた私服。
 スカートのプリーツってなんだ?白いセーラーカラーがついてるヤツなんか、まずいねぇ。ゆっくり歩く人もいれば、わりとツカツカと歩いていく人もいる。もちろん、遅刻ギリギリだったら、達観している一部の生徒を除いて、全力ダッシュである。
 
 私立星影学園
 
 『自称』卒業生第一号が聖徳太子だというこの学園は、もとは豪族の令嬢、子息のために作られたという、全寮制の学校である。
 山梨県甲州。環境破壊が叫ばれて久しい昨今にあって、未だ緑の多いこの地区で、寮に入れられ、その割に、校則があるんだかないんだかイマイチ解らない自由主義のある意味無法地帯。
 時代は移り変わり、17条だった憲法が(!?)11章103条に増えた今日でさえ、卒業するころには、大抵のことでは驚かない、頑強な精神力が養われる、とういう教育の現場としてどうにも個性的過ぎるスタンスの学校である。
 
 春。
 ちらちらと、粉雪のようにゆっくり降っていく桜の花びらの中。
 そこには、マリアさまが立っている。
 薄紅色の花びらが、肩に積もるのを払いもせず、瞳を閉じて佇んでいる。
 その長く、美しい黒髪に、ハラハラと花びらが舞い落ちるその様は、神々しさを越えて魔的であるとさえ感じてしまう。
 だが。
 いつまでもサボりを黙認しているわけにはいかないので、立ったまま寝ている器用なマリアさまを起こす事にした。
  


  
「beloved」


 
 3月下旬。桜が3〜4分咲きになった、抜けるような青空の広がる日曜日。
 星影学園の年度末最後のイベント(といっても、いつもの度を過ぎたバカ騒ぎではない)である『新入生の入寮日』がやってきた。
 新入生の部屋への案内、荷物の受け取りの確認、etc...etc...は全て『新2年生』が担当。ということで、嘉穂(カホ)も例外なく朝から駆り出され、玄関まで出張ったところでソレを発見した。
 ──朝早く叩き起こされ、出てきたまではよかったが、案の定、睡魔にあっさり負けて桜の下でサボるマリアさま。
 (あんなに目立つ場所でサボらなくてもいいのに…)と思うのは凡人の証。彼女を少しでも識っている人間はこう思うのだ。
 (ああ、あそこまで行って、力尽きたか…)と。
 しかし…
 (ああ、もうすでにとんでもない事になっているぅ〜)
 桜の下に佇む(んでいるように見える)マリアさまのお美しさに魅せられた新入生たちが、まるで花の香りに誘われた蜜蜂のように幾層もの人の壁を形成している。…ちょっとだけ遠巻きなのが、新入生ならではの初々しさだろうか。
 「1年っ!!整列っ!!!」
 このままではちっとも先に進まないので、嘉穂が元凶を起こそうと、寮共用のサンダルに足を突っ込んだ所で後ろから怒声が上がった。
 「立ったまま寝てるのが珍しいのは分かるが、雅(アレ)はそういう生き物で、星影学園(ココ)はそういう場所だという事を理解しろ。理解したら、さっさと並べ!手早く終わらせるぞ」
 星影学園の鬼軍曹…もとい、藤堂魁(トウドウ ラン)の登場である。
 新入生は、ランの一喝により雅の魅了の魔法(テンプテーション)から開放されると、とりあえず3列に並びだす。
 「あったま悪いわねぇ…」
 (イキナリっ!?)
 イライラの頂点!といったオーラ全開でボソっとランが呟いたのを嘉穂は聞き逃さなかった。
 「え〜と、4列にしようか。まだ入れるし…1人づつずれて…そうそう…ゴメンね、段取り悪くて…うん、そうそう…ゴメンね、初めに言っておくべきだったよね…」
 背中にビシバシ感じるランのプレッシャーに負けて、嘉穂は妙にヘコヘコしながら新入生を並べる。
 「ほなぁ〜、まぁ〜、始めまひょかぁ〜」
 独特のテンポ、独特のイントネーションで吉村和子(ヨシムラ カズコ)が切り出した。
 「…吉村…そのしゃべり方なんとかならない?」
 張り詰めたランの空気が一瞬で弛緩する。
 「ん〜?ウチのしゃべり方ぁ〜ヘン〜?」
 肩にかかるか、かからないかぐらいのおかっぱ頭が首と一緒に傾げられる。
 「いや、ヘンではないけど…さあ…」
 断っておくが、ランは吉村の事も、吉村のしゃべり方も嫌いではない。ただ、TPOと言うか、「ビシっとしめて、チャッチャッと終わりたい場面」で、このしゃべり方ををされると、その…調子が狂うと言うか…
 「おかしいなぁ〜、嘉穂もぉ優妃もぉ、かぁええ〜。かぁええ〜。言うてくれるんやけどぉなぁ〜」
 「………」
 (落ち着けぇ、ラン、落ち着くんだ、別に吉村に悪気はないじゃないの。ちょっとしゃべり方が個性的なだけで…っ!!……落ち着けぇ…ウン。私だって可愛いと思ってるし…なぁに、斎に比べりゃ、すっぽかさない分、全然マシじゃない)
 ランは心の中で、必死に自分と戦う。
 「ラーン、準備できてるよー」
 荷物がまとめて置いてある場所から、井上が、報告がてら様子見にやってきた。
 「了解、今から流すわ」
 ラんが答える。どうやら、今回も良心が勝ったようだ。
 「あ〜、源奏ぉ〜(ミナト)。どないしたぁん〜…わひゃっ!」
 「どうしたもこうしたもないわよ。時間になっても始まらないから様子見にきたのよ…んで、今日は忙しいから、お前はもっと巻きでしゃべれ」
 和子の両方の頬っぺたを、むぎゅぅと引っ張りながらそう告げる源奏に、ランは心の底から拍手を送った。ブラボーっ!!ブラボー源奏っ!!それよ、私はそれが言いたかったのよっ!!!
 「ひひゃい〜ひひゃい〜」
 「分かった?」
 「(コクコク)」
 「はーい。開放っ」
 「もぉ〜、源奏、ヒぃドいわぁ〜。イキナリほっぺたぁ〜抓るぅやなんて〜…わひゃぃっ!」
 「分かってないじゃんか」
 源奏は電光石火の早業で再び和子の頬っぺたを引っ張る。
 「ひひゃい〜ひひゃい〜」
 「こっちは列も作り終わったし、嘉穂もいるから、井上は吉村連れてっていいわよ」
 早く終わらせたいランには2人のコントに付き合っている時間が惜しい。ついでに、ああ見えて、実は吉村、動作はかなり素早い。こんなところで使うくらいなら奥で荷物の間を走り回ってもらった方が無駄のない使い方だろう。
 「あ。そんじゃ、連れてくわ」
 1番手間がかかるのが、荷物の受け渡しだから、人は多ければ多い方がいい。そんなわけで、源奏も「じゃあ、遠慮なく」と和子を連れて奥へと歩き出す。
 「ひひゃい〜ひひゃい〜…ひひゃほぉ〜ひひゃい〜」
 「あ、悪い…引っ張り心地良かったから、つい」
 「つい〜や、あらへんよぉ〜。ほっぺたぁ〜取れるかぁ〜思ったわぁ〜」
 「悪い、悪い」
 「むぅ〜…」
 2人の会話がドンドン遠くなっていく。
 「では、段取りを説明するっ!」
 改めて仕切りなおしたものの、一連の騒動を見られてるので、全然しまらない。…なんていうか、空気が悪い。ランだけ浮いてしまってるようなそんな空気だ。
 ランが最高に居心地の悪さを感じた、その時だった。
 「今日から、貴様等も誇り高い星影生だ〜っ!分かったか〜っ!?分かったら、サーと返事しろ〜っ!」
 「サーイエッサー!」
 「メシ食う前と後にはサーと言え〜っ!」
 「サーイエッサー!」
 「お前等はウジ虫以下だ〜っ!」
 「サーイエッサー!」
 「いいか〜、貴様等を食わしてる税き…痛っ!!!」
 「アンタは、イキナリしゃしゃり出てきて、なにやってんのよ?」
 ランが次子(チカコ)の脳天にチョップをお見舞いした。
 「ランのマネ…わぁ〜、ゴメンっ!ゴメンなさいっ!!」
 次子が頭を抱えて、目を瞑り、2撃目に備えるが、肝心の衝撃がやってこない。
 恐る恐る、次子が目をうっすら開けると、
 「まあ、いいわ。こんなペースでやってたら夜までかかったって終わらない」
 ランが、深い、ふか〜い、ため息まじりに呟いた。
 (…しかも、なんかノリいいし)
 反射的に答えてしまう、ノリのいい子たちが次子のネタに乗ったせいか、さっきまでのイヤな空気は、かなり薄くなっているように感じる。
 「じゃあ、段取り説明するわね。1番前右から順に進んで、奥に荷物の受け渡し場所があるから、50音順で並んでる受付に行って、名前を言う、そして荷物を受け取る。受け取ったら、受け取りのサインをしてついでに部屋番号やら寮のルールやらが書いてあるプリントを受け取って、誘導にしたがって各部屋へ。簡単でしょ?じゃあ、アナタからどうぞ」
 
 ──星影学園春の風物詩、入寮日の開始である。
 
 
 そんなゴタゴタの中、幕を開けた入寮日だが、始まってしまえば、概ね順調。時々ちょっとしたハプニングが起こるくらいのものである。
 
 たとえば、荷物の受け取りで…
 
 「千葉さん…ハイ、じゃあ、ここにサインをお願いします」
 「あ、あの…」
 「?どうしました?」
 「えと、荷物が…」
 「荷物…?」
 言われて、怪訝そうに少女が持っている荷物を裕美(ヒロミ)が見る。
 見る。
 見る。
 「あ、」
 荷物に貼られたラベルを見て、気がついた。
 「優妃(ユウヒ)〜!」
 荷物係の優妃に声をかける。
 「なに〜?」
 呼ばれた優妃が遠くで返事をして、
 「なに?呼んだ?」
 駆け寄って来てから、もう一度聞き返す。
 「この子の荷物なんだけど」
 「うん」
 「2個口なのよ」
 「──なっ、なんだってっーー!?」
 優妃が大袈裟に仰け反ってリアクションをとる。
 「…古いわね〜、そのネタ。分かる人いるの?」
 「いるじゃない。少なくともココに1人は」
 「私はアンタのせいで分かるようになっちゃったんじゃない!」
 「……あ、…あの……」
 主役を蚊帳の外に出して盛り上がりだす裕美と優妃。
 「はいはい。そういう事にしといてあげるよ」
 「そういう事もなにも、そういう事よっ!」
 「はいはい」
 裕美がムキになって反論するものの、暖簾に腕押し、優妃はまったく取り合わない。
 「…あ、あのぅ…」
 「ん?なに?」
 すっかり忘れ去られた新入生の、おずおずとしたアピールに、けっこうな至近距離で、優妃がトレードマークのカラッカラの笑顔で返事をした瞬間、
 「…っ!…いえ…その……」
 新入生は頬を赤らめて、モジモジと俯いてしまった。
 「?…っ!そーか、分かりにくかったね」
 「え!?」
 優妃の発言に新入生が驚いて、顔を上げる。
 「いや〜、ごめんね〜。そうだよね、1部分だけやられてもね〜?ごめん、ごめん」
 そう言いながら、優妃が裕美に何かを目で訴える。
 (イヤよ、私は)
 裕美は目で拒否する。
 (…あ、やっぱり……ん〜他に誰かいないかなぁ…)
 断られるのは想定内だったのか、優妃はまったく気落ちした様子を見せることなく、きょろきょろと周りを見回す。
 「あ!お〜い、次子〜」
 こっちこっち。という優妃の手招きに、次子がやって来る。
 「なに?」
 「なるほど……そういうことか!」
 「はぁっ!?」
 人を呼びつけといての、優妃の意味不明な言動に、次子は眉をひそめる。…が、優妃が「いいから聞いて」と目で訴えてくるので、それ以上は突っ込まないで、その先を待つことにする。
 「そこにいる少女の困惑、そしてそれを受けて呼び出された荷物係の私……何か臭わないかキバヤシ?」
 その瞬間、次子は全てを理解した。そう、求められているのは、ただ1つ、ただ1つのリアクションのみ。
 「そう、その少女の荷物は2個口だったんだよ!!」
 (はい、みなさんもご一緒に♪)「──なっ、なんだってっーー!?」
 次子の渾身の「なんだって」が炸裂する。
 「いえ〜!グッジョブ、次子〜っ!」
 「おーう!ナイスパス、優妃ぃ〜!」
 最高の出来にハイタッチをして喜びを分かち合う2人。美しい、それはとても美しい友情が生んだ1つの奇跡の物語…
 「…あ、あのぅ…」
 申し訳なさそうに、新入生が盛り上がる2人(プラス裕美)に声をかける。
 「…え?もしかして…」
 新入生の声のトーンから、優妃が最悪の展開を予想する。
 「…分から、ない?」
 恐る恐る聞く。
 「…ハイ…」
 正に死の宣告。
 「なぁんてこったぁっ!!コレでも分かんねーなんてっ!!」
 「う〜ん。古すぎるのかぁ…っていうか、コレが噂の──」
 「──ジェネレーションギャップ」
 次子と優妃の声がピッタリ重なる。
 「うわぁぁぁぁぁぁっ!!マジかよーっ!もう、そんな年かよぉっ!!」
 「噂には聞いてたけど、自分に起こるとショックだね…」
 頭を抱えて(今日2度目)「オーマイガー!」と、のたうち回る次子と、机に両手をついて、「ズーン」と沈む優妃。
 「──んなわけないでしょうが。メジャーじゃないだけでしょ?」
 裕美が冷静にツッコむ。こういう時、1人は冷静な人間が残っていないと先に進まないという事を、彼女はちゃんと理解している。
 「マガジンだぞっ!しかも週間だぞっ!」
 なおも、次子が食い下がる。
 「はいはい。いいから荷物を探して来い」
 武田裕美。鋼鉄の女というキャッチフレーズがピッタリはまる強い女性(褒めている)に成長しそうである。
 「は〜い。えっと…?」
 「千葉です。千葉佐那絵です」
 「オッケ。チバサナエさんね。待ってて、すぐ持ってくるから」
 頭を切り替えて、職務を真っ当する事にした優妃は、ヒラヒラっと手を振って、奥の荷物の山に向かっていく。
 「ガンバレな〜〜にぃっ!?」
 よし、ならばココは、気持ちよく友を送り出してやろうじゃないか。次子が応援(戦術的撤退とも言う)をしようとした瞬間、ガシっ!と首に腕が絡みついてきた。
 「いや〜、悪いね、次子。手伝ってくれるんだ?」
 声はいつものカラッカラの笑顔の時の声だけど、顔がまったく笑ってない。
 「手伝いたいのは山々なんだけどさぁ…私にも仕事が…っ!?」
 首に回された腕に力が加えれられる。
 「ありがとう次子」
 優妃の言葉から感じる圧倒的な死のイメージ。
 次子の本能が告げる、「ここは従え」と。まだ死にたくないのなら「ここは従え」と。
 「…しょ、しょうがねえなぁ…今回だけだぞ」
 引きつった笑顔で次子が答える。
 「いや〜、ごめんね〜」
 こちらはいつもの笑顔である。
 (…ったく、なんでアタシまで…)
 (しょうがないじゃない。ホント、凄い量なんだよ)
 別に声を出しても何の問題もないんだけど、アイコンタクトで会話を始めてしまったのでそのまま会話が進んでいく。
 (でもその中から、あの子の荷物、1個は見つけたんだろ?)
 (見つけたけど…近くにあったら気が付くって)
 そういうことらしい。
 (………)
 (………)
 (…………)
 (…………)
 (……………)
 (……………ニコっ)
 (サヨナラ)
 (待って、待って待って)
 慌てて(アイコンタクトで)優妃が次子を引き止める。
 (待って、じゃねーよっ!どんだけ荷物あると思ってんだよ!?)
 (だからそう言ったじゃない)
 源奏や和子が動き回っている荷物置き場に到着。
 「ま、マジか〜!?」
 なんとなく予想はしていたが、その予想の右斜め上をカっ飛ばれて、次子の元々無かったヤル気が、跡形も無く、完全に消し飛んだ。
 「さて、」
 なんだかんだで、やるしかない事が分かっている優妃は早くも腹を決めたようだ。
 (いや、ここまで来たらやるけどさぁ…)
 そう分かっていても、できないのが人間の弱い所だ。
 (しゃーねーなー)
 一足早く腹をくくった(係だからというのが多分にあるとは思うが)優妃が『タ行』をもう1度確認しているので、次子は『ア行』から始めることにする。
 
 ──約10分後、チバサナエさんの荷物は、『マ行の真ん中辺』から発見された。
 
 
 たとえば、廊下で…
 
 手続きを待っている生徒が半分くらいになった頃、入り口の『仕切り』をに近藤イサミに引き継いだランは、実際の様子を見るために廊下を歩いていた。
 新入生がスムーズに部屋に行けるように廊下のポイント、ポイントに新2年生が立ち、プリントを広げて、あるいは口頭で部屋の場所を尋ねてくる新入生を案内している。
 (部屋の場所なんか聞かなくても、階さえ間違えなければ、近くにある部屋の番号見れば分かるでしょうに…)
 ランは、自分の入寮の時に感じた疑問を1年越しに再び感じた。
 (カラオケの各階に店員さんがいる?)
 答えはNOだ。
 (カラオケでできる事が、何故今できない?)
 その理由の1番手としては『緊張』が上げられるのだが、どっこい、この藤堂魁、肝っ玉の太さが一般人のそれとは比べ物にならない。ほとんど別のものに進化していると言ってもいいほどの度胸の据わり方をしているので、15歳の微妙な乙女心というものが、まったく理解できない。親元を離れて、初めての寮での生活。期待と緊張に小鳥のような小さな胸が張り裂けそうになっているの繊細な新入生の入寮という儀式を、カラオケと同じフォルダに突っ込んでしまうのも仕方がないのかもしれない。
 そんな乙女心の分からない女、藤堂魁の何気ない戯れが発端だった。

 時計の針を少し戻そう。 
 外に出て、桜の下から新入生を見守っていた雅が(ものは言い様である)嘉穂に、起こされ…声をかけられたのは、ランが次子に脳天チョップをお見舞いしたすぐ後の事だった。
 「雅。桜の舞い散る中、お楽しみなのは分かったから、手伝ってよ」
 「…桜、散ってないぞ」
 まだ、5分も咲いてない桜が散っていたら、日本には花見の習慣は無かっただろう。
 「雅が桜の下にいると、そういうイメージが見えちゃうのよ」
 「…?想像力豊かだな」
 「私だけじゃないよ」
 そう言って嘉穂が見回すと、傍にいた何人かの新入生がウンウンと頷いた。
 「よく分からん。が…損した気分だ」
 雅が桜の下にいると、桜の散るイメージが見える。だが、雅自身は、桜の下にいてもそんなイメージは見えない。ということは、雅の姿と桜の両方を見ていなければならない。という事だ。つまり、自分の姿が見えない雅には、そのイメージが見られない。という事である。雅的には、自分が見られないのに、他人が見られるのはずるい。らしい。
 「損得の問題じゃない気がするけど…」
 嘉穂が、うーん。と考え始める。こういういどうでもいい所で真剣に考えてしまうのが、この少女の短所であり、美徳でもある。
 「とりあえず、ここは嘉穂だけでも平気だろ」
 雅が嘉穂を引き戻すために嘉穂の思考の邪魔をする。
 「え…あ、そうか……もう並んでもらっちゃったんだった」
 外の仕事なんて、列の頭さえ作ってしまえば、もう終わったようなものである。ここから新たに列に加わる人がいるなら、列の最後尾で「ここに並んでくだーい」とかやる必要があるが、入寮初日から遅刻なんてド派手なことをする人間もいないので(去年は男子に1人いた)その必要もない。
 「どうしようか?」
 嘉穂がおずおずと、雅に尋ねる。
 「…とりあえず、私は中に戻ろう。案内兼、荷物持ちでもやってくる」
 「荷物持ち?」
 荷物を探す(渡す)係はいても、そんなベルのような、至れり尽くせりのサービスは寮にはない。
 「今年もスーツケース7個とかあるヤツがいるかもしれないだろ?」
 雅がニヤリと笑う(ったように感じた)。
 「ああ…いたね……とんでもない量の服を送った子が…去年…」
 嘉穂は、入り口で列を中に流しているエキゾックな顔をした美人を見る。
 「これでも選んだのよ」一瞬、目が合った時、そう言われた気がして、それは1年前に言われた事だったと思い出した。
 
 (オヤオヤ〜☆)
 その光景を見た瞬間、ランは自分の中で「さーて、いっちょからかってやりますか」と、黒ランが鎌首をもたげたのを感じた。
 ランが悪い微笑みを浮かべている少し前では、
 「先輩っ?大浴場の場所なんですけど〜…?」
 「先輩っ☆オススメのお店って…」
 なんて感じで、新入生たち(多分、最初の方に並んでいて、荷物の整理が1段落ついたんだろう)が、雅を囲んで、質問の雨を浴びせていた。
 「…あ、そうだな…」
 1人、2人ならまだしも、7、8…あ、1人増えた…。あれだけの人数に囲まれたら、例え女同士でも、結構怖いものがあるのだろうし、とりまきが好き放題、思いつくままに質問をするため、さすがの雅も戸惑い気味のようだ。
 (それでも、ちゃんと答えられるのか…アンタは聖徳太子かっての!?)
 件の偉人の逸話の如く、質問に答えている雅を眺めて、ランがツッコむ。
 (あらら…)
 12人を越えて、さすがの雅も分が悪くなってきた…というより、元々、口数の多いほうではない雅は、明らかにメンドクさくなってきている。持って生まれた無表情がその感情を隠すため、新入生は気付いていないようだが、1年近くつるんでいたランは、最近雅の事がだいぶ分かるようになっていた。
 (…そろそろかしら)
 「あら、賑やかね?雅、なんの話?」
 タイミングを計っていたランは、雅が完全にダレたタイミングで新入生の垣根に向かって声をかけた。
 (遅いぞ、ランっ!)
 高みの見物を決め込んでいたランに、とうの昔に気付いていた雅が、目でランに不満を訴える。
 (それでも助けに来たんだからいいじゃない)
 (…なら、早く助けろ)
 (はいはい)
 アイコンタクトによる会話が終わると、ランは近くにいた女の子に声をかけた。
 「…で?なんの話をしているの?」
 華やかな笑みを浮かべるて尋ねる。
 どうかしてるんじゃないだろうか?と思わせる雅ほどではないが、ランも充分すぎるほどの美人である。…というか、とんでもない美人である。そんな美人が優雅に微笑みながら至近距離まで顔を近づけてきたのだから、やられた生徒はたまったものではない。
 「あ!あの…先輩に、寮のことで質問が……」
 顔を赤らめて俯き、最後までしゃべる事ができなかった。
 「あらあら、赤くなってしまって…カワイイわね?」
 ランと俯く新入生の醸し出す雰囲気に、雅を取り囲んでいた少女達は、先を争うようにしていた質問をピタリと止め、食い入るように2人を見つめる。
 (…キモっ)
 この場で唯一ランの本性を知っている雅だけが、ランの過剰なサービス(おもに『?』を付けちゃうと所とか)に薄気味悪さを感じていた。
 「くすっ…ねぇ、あなた。『先輩』なんて呼んではダメよ」
 「はい?」
 ランがゆっくりとした動きで、自分の唇に人差し指を当てる。
 「この学園ではね、上級生の事を『お姉さま』と呼ぶの──」
 (はぁっ!!?)
 なにがビックリって、1番驚いたのは間違いなく雅である。なにをトチ狂った事をぬかしてるんだ、コノオンナは…と。
 「──さあ…呼んでごらんなさい」
 ごらんなさい。の『ら』と『ん』の間くらいのタイミングでランが人差し指で、つつーと新入生の頬っぺたをなぞった。
 「ひゃうっ!?」
 奇声をあげてしまった新入生の頬っぺたを、ランは気にせずゆっくりなぞり続ける。どうやら呼ぶまで開放する気はないらしい。
 「(ゴクリ)」と周りの新入生の喉が一斉になる。もう彼女達の視線はランたちに完全に釘付け。瞬きする間もおしむように、目を皿のようにしてジーっと2人を見つめている。
 (チャンスっ!…)
 逃げをうつ千載一遇の好機到来。これを逃がすほど愚かな人間ではない雅は、そろ〜りと逃げ出そうとして、踏みとどまる。
 (逃げ場…ないぞ…ラン?)
 気色悪い3文芝居で注意を引いてくれたまではいいが、群衆はなおも雅を中心に十重二十重の人垣を作っている。いくらなんでも、これを気付かれないように脱出するのは無理だろう。
 「お…お姉…さま……」
 顔を真っ赤にしながら、少女が絞り出すような小声で囁いた瞬間、
 「お姉さまぁっーーー!!!!」
 限界を振り切った1人の生徒の叫びとともに群集が「お姉さまっ!」と叫びながら一斉に群がった。
 誰にって。
 「ランっ!お前っ、なあー!?」
 雅に。
 まったく悪意のない少女たちの全方位タックル。しかも直前まで気色悪い3文芝居を見せられていた雅に、それを避ける術は残されていなかった。
 「じゃあ、『雅お姉さま、あと頑張って〜』」
 無責任にそう言い残して、ランがその場を去ろうとする。
 「あ、そだ」
 何かを思い出したランは立ち止まり、
 「ほら、あなたも行かないと、雅とられちゃうわよ♪」
 3文芝居の相手を務めてくれた少女の耳元で囁く。
 「あ、ちょっと待って!私もっ!!」
 1人刺客を増やすと、ランは足どり軽くその場を去っていった。
 
 
 ──そして『男子寮』で
 
 (なんで、私が…)
 新入生を1人引き連れ、男子寮の玄関前で、嘉穂は自分に問いかけた。
 (…運が悪かったから)
 事実だ。でも、自分で、自分に答えるんだから、もうちょっと傷つかない言い方をしてもいいんじゃないか。と思うんだけど…そこまで一気に考えて、やっぱり文句を言っても仕方がないので、これ以上考えるのを止めた。
 なぜか毎年ある、女の子の荷物が男子寮に届くという事件。(逆は1度もないらしい)
 そして、その事件の被害者が係である裕美に話した時、たまたま近くにいた。という偶然。
 本来ならば、寮長である近藤が付き合うはずなのに、その近藤が新入生の手続きの関係で、たまたまいないという、これはもう必然?
 …という、冗談のような可能性がキレイに重なり合って、現在に至る。
 と、そういうわけである。
 「でも、ついてなかったね…イキナリこんな目に合っちゃうなんて」
 「いえ、まあ、若い娘さんが華の女子寮生活をスタートさせるわけですから、これぐらいのイベントは軽く乗り越えないと。っていうか、むしろドンと来いって感じです」
 なんか、当の本人は、全然気にしてないし…っていうか…
 「これくらいの障害では、私の燃えに萌え上った恋心の邪魔はできませんっ!矢でも鉄砲でもお釈迦様でも草津の湯でも止まらない、うら若き乙女の恋心っ。絶対落ちるから受けるだけ無駄と言われた受験戦争さえも止める事のできなかった私の恋心をもってすれば、このていど、障害のうちにも入りませんっ!!」
 なんか、この子、ヘンっ!
 「えと…じゃあ、松崎さんは誰かを追ってこの学園に来たの?」
 「そうなんですっ!でも、ですね、でもですねっ!先輩ったらヒドいんですよっ!!私に進学先を教えてくれないばかりか、よりよってこんな遠くの学校に進学してるだなんてっ!!あんまりですよねっ!ねぇっ!!?」
 (…う〜ん。その先輩の気持ち。なんとなく分からなくもないよ…私…)
 嘉穂がため息をつく。
 (んっ!?先輩…?)
 イヤな感じがした。
 (今から行くところは男子寮…)
 本能が感じた直感が急速に具体的なイメージへと形を変えていく。
 (いや、いくらなんでもそんな偶然…)
 頭が痛くなってきた。その偶然が作り上げた奇跡の結果、自分はここにいるんじゃなかったか?嘉穂は自分にそう宣告されてしまった。
 「なんにも教えてくれないから、全部自分で調べたんですよっ!でも、コレって仕方ない事ですよね?だって、乙女たるもの好きな人の事はなんだって知りたいものじゃないですか」
 (それってストーカーでは…)
 言えない。いくらそう思っていても、初対面の女の子にそんな事が言えるほど、嘉穂は剛の者ではない。
 「どんな学校にいってるのかしら?どんな所に住んでるのかしら?どんな服を着てるのかしら?どんな女の子をたぶらかしてるのかしら?どんなギャンブルで身を──」
 「──あ、着いたみたいですね。」
 松崎さんがマシンガンのようにしゃべり倒してる間に男子寮に到着。おかげで、嘉穂はなんの心の準備もできていない。
 「ちなみに、私の辞書では『ストーカー』は『恋する乙女』と読みます」
 ああ、可愛らしい笑顔でなんという事を…嘉穂は天を仰がずにはいられなかった。
 
 そんなわけで、男子寮に辿り着く前に消耗しきっていた嘉穂に星影学園男子寮に伝わる『慣例儀式』がさらに追い討ちをかける。
 「では、荷物をの受け渡しの前に…慣例に乗っ取り、儀式を始めるっ!!各々方、準備はよろしいかっ!!?」
 男子寮長、土方の号令に寮にいた2年生が「応っ!!」と威勢よく返事をする。
 「…?なにが始まるんですか?」
 「…さあ?」
 去年、経験してれば分かるんだろうけど、あいにく去年の嘉穂はツイていたらしく荷物は普通に届いていたので、これからなにが行われるのか、まったく見当がつかない。
 「ではぁっ!!松崎静馬(シズマ)さんのご入学を祝してぇっ!!三角形態〜っ!!」
 「応っ!!!」
 返事をすると、男子生徒たちは、嘉穂と松崎の目の前に5段重ねの人間ピラミッドを作り上げた。
 「…」
 嘉穂と松崎が呆気に取られる。
 「万歳三唱ぉっ!!!」
 「!?」
 土方の号令に嘉穂の顔が引きつる。
 人間ピラミッドに向かって「万歳三唱」の号令。普通だったら、それは頂上にいる人間に出された命令だと思うだろう。普通の学校だったら、普通の相手だったら…だが、哀しいかな、ココは星影学園で、相手は土方歳夫なのだ。どちらにも普通は当て嵌まらない。…哀しい事に。
 そして、嘉穂の予感(経験に基づく予想か)が見事的中。
 「万歳ィ!!ぐはぁっ!!万歳ィっ!!!ぬがぁっ!!!万歳ァィっ!!!!」
 「……………」
 荷物を受け取った嘉穂と松崎が男子寮を出た時、動ける2年生は頂上にいた、土方と、1番下の段にいた斉藤だけだった。
 
 「…念のために言っておくけど、女子寮にはあんな慣例はないから」
 そんな事言わなくても分かるだろう。と自分にツッコミを入れながら、そういえば…と嘉穂は足を止めた。
 「?先輩?」
 ちょっと先に進んでしまった松崎が嘉穂を振り返る。
 (松崎さんが追ってきた『先輩』ってもしかして3年生なのかな?)
 松崎の言葉と、自分の予想が急に甦ってきたのだ。
 かなり2年生がいたにも関わらず、松崎さんはそれらしいリアクションをしなかった。(いざとなったら、やっぱり正しく恋する乙女である可能性はもちろん否定できないが)と、いう事はあの場にはいなかった。という事になる。
 (…なにはともあれ、最悪の状況は避けられた。ってとこかな?)
 男子寮に着く前の松崎さんのテンションなら、いざ好きな人を目の前にしたら、いきなりタックルをしかけてマウントポジションもとりかねない。そんな修羅場に居合わせなかった事だけで、もう今回はよしにしよう。嘉穂は自分に強く言い聞かせた。悪い偶然がずい分重なったけど、それだって永遠にに重なり続けるわけじゃない。こうやって無事に帰れてるのがいい例だ。
 体が急に軽くなった気がして、嘉穂は小走りで立ち止まっている松崎の隣に並ぶ。
 「先輩?」
 「ん?なあに?」
 明るく声をかけられたので、明るく返事をする。
 「藤堂先輩のお部屋って何号室か知ってますか?」
 …どうやら偶然はまだ重なり続ける気らしい。
  


  
「style」


 
 市内にあるバー、『CADENZA(カデンツァ)』。落ち着いた店内の雰囲気から若い女性に大人気の女性同士で気軽に飲める。という市内ではかなり珍しく、それゆえに貴重なお店でもある。
 「いらっしゃいませ〜」
 「どうも〜」
 「どうも、今晩は」
 どうやら、店に入ってきたのは2人組のようだ。
 「お〜、相変わらず、儲かってますねぇ、涼風(スズカ)さん」
 先に入ってきた背の高い女が周りを見回して、席を探しながら、カウンターの中にいる金髪のウェーブに言う。
 「…先輩…」
 開口1番、ブっ放してくれた先輩を、後輩が「ヤレヤレ」といった口調でたしなめる。後輩の口調から察するに、この先輩口はあまり良くない模様。
 「ええ、お陰様でね。カウンターしか空いてないけどいいかしら?」
 いつものやり取りであるのを証明するかのように、涼風が軽口で返す。
 「え〜!?」
 先輩が口を尖らせて、不満そうな声をあげる。
 「…もう、何言ってるんですか、先輩いつも『酒が飲めりゃ、関係ねー」って言ってるじゃないですか」
 「言ってねーよ。んな事」
 先輩がカウンターに腰を下ろしながら反論する。
 「言ってますよ」
 後輩も腰を下ろしながら、やっぱりヤレヤレといった感じでそう言い返す。
 「いつ?何年何月何日何時何分何秒地球が何周回った時ぃ?」
 …ガキか?この人。
 「…ハァ…2時間前に言ってましたよ」
 「言ってねーよっ!」
 「きよ志(居酒屋)でテーブルが空くの待ってる時に、『ここでいいから酒持って来い!』って待合席で騒いでたじゃないですか」
 「…んだよ、細けー事をグチグチと…お前は京女か!?」
 「もう、なんですか、それ」
 お手上げとばかりに後輩が視線を逸らした所で涼風が声をかけた。
 「順(ジュン)ちゃんはいつものでいいかしら?」
 「あ、私はウーロン茶を」
 後輩が控えめに主張する。
 「あら、どうしたの?」
 「いえ、車なので…」
 「あ、じゃあ、しょうがないわね」
 涼風が頷く。
 「響(キョウ)ちゃんは?今日はカクテル?焼酎?ウイスキー?」
 ウーロン茶の準備をしながら聞く。
 「Chateau Canonの88年」
 「そんな高級品(モノ)置いてないわよ」
 「んじゃ、CORONA」
 「また、えらい格差ねぇ〜」
 涼風が笑いながらカウンターの中の冷蔵庫を開ける。
 「そもそもワインからビールになってるじゃないですか」
 「んだよ。別にいいだろ?ワインもビールも飲んじまって腹の中入れば一緒だろ」
 「…全然違いますよ…」
 順が響のダメっぷりに頭を抱える。
 「そんな事言ってる人にあんなヴィンテージワイン出せるわけないじゃない」
 ワインが可哀想よ。と言いながら、涼風が2人の前にジョッキとビンを置く。
 「あるんスか!?」
 涼風の言葉を深読みした響が食いつく。
 「ないわよ」
 「んだよ、ケチ〜」
 そう言って、響はビンにダイレクトに口をつけて(本来ならちゃんとグラスで出てくるのだが、響は特別)一気に飲み干す。
 「おかわりっ☆」
 「…あなたねぇ…」
 「先輩っ、もう…一気飲みはダメですってばぁ〜」
 順がちょっと泣きそうな顔で訴える。
 「こんなもん一気したって死にゃあしねぇよ」
 「アルコール度数は関係ありませんっ!一気飲みが危ないんですっ!大体先輩はさっき日本酒をボトル1本一気飲みしてきたじゃないですか」
 「お祝いなんだから、パーと飲まなきゃダメなんだよ!」
 「どこの決まり事ですか!その頭の悪い決まりは!第一、そんなお祝い、私は欲しくありません」
 「はい、ストップ、ストップ」
 ビール瓶を持ったまま涼風が2人の間に割って入る。
 「次、一気したら、あなた出禁。」
 ビっと指さして、それから響の前にビールを置く。
 「それで、なんのお祝いなの?」
 釘を刺して、話題のすり替え。さすがはこの店のママ。この手の話術はお手の物である。
 「ああ、コイツ4月からソフト部の顧問」
 一気飲みは禁止されていても、ラッパ飲みはやめないところを見ると、コレが彼女のデフォルトの飲み方のようだ。
 「気がついたらもう、断れない状況になってまして…」
 「あら、順ちゃんはやりたくなかったの?」
 「いえ、そうじゃなくて…私なんかでいいのかな?と思いまして…」
 「?」
 涼風と響が2人揃って首を傾げる。
 「私は先輩と違って、大した選手じゃありませんでしたし、久坂先生と違って顧問としてのキャリアなんてありませんし…」
 よほど自分で自分を追い込んでしまっているのか、順の歯切れがとにかく悪い。
 「カンケーねぇよ。スポーツの指導者なんて、大した選手じゃなかったヤツらばっかりだっての!」
 「それは分かってますけど、そういった人たちは、指導者になる前に経験を積んでるはずです。」
 「その経験を今から積むんだろ?」
 「なに言ってるんですか、今年が最後の生徒だっているんですよ!?その生徒に、今年は経験を積ませて。なんて言えるわけないじゃないですか」
 真剣にそう言い切った順を見て、響は心底「コイツ、メンドくせ」って顔をする。
 「確かに、順ちゃんの気持ちは分かるけど、やってみれば案外うまくいくものよ。こういうのって──」
 なにか根拠があるんですか?と順が言おうとしたが、涼風が続けたので、その言葉は飲み込んだ。
 「──だって、響ちゃんができてるのよ?順ちゃんにできないわけないじゃない」
 「ちょっと、待った…それは一体…」
 当然、響が食ってかかる。
 「だってこのしゃべり方に、この性格よ。教師だっていうだけでも奇跡的なのに、今や全国区の監督さんよ。…まあ、生徒のおかげでしょうけど」
 「ハイハイ。どーせ、私は『超・放任主義』のダメ監督ですよ。」
 投げやりに言って、響は瓶に残っていた(半分くらい)ビールを一気に飲み干した。
 「でも、先輩は選手としてのキャリアが…」
 「あなた、選手の前で実際にプレーしてお手本見せたことある?」
 「そんな暇があったら、分かるまでやらせる」
 「あなたのキャリア知ってる選手いる?」
 「いないんじゃないですか?優勝したことないし。個人賞も2回しか貰ったことないし」
 「ほら、キャリアなんて関係ない」
 おかわりのビールを置くと、涼風は違うテーブルに行ってしまった。まあ、仕事中なんだから、仕方がない。
 (なんて言うか、先輩はカリスマ性みたいなものがあるからですよ)と思ったけど、あまりにもさらっと言われてしまって、上手く反論できなさそうなので、順は何も言わなかった。
 「…というか、ぶっちゃけ。お前のが久坂より全然マシ」
 ビールを1口飲んで、響が言った。
 「アイツ、自分好みのヤツ以外は徹底的に干すからな。私が来てからも、何人か見たけど、1年の大石見てみろよ。あんな理不尽ありえるか?」
 大石の名前を出されて、順の胸がギューっと締め付けられた。知らないわけがない。夜1番遅くまでグラウンドで汗を流していた子だ。寮の中庭で、黙々とバットを振っていた子だ。そして、部活を取り上げられた今も、中庭でひたすら練習をしている子だ。彼女の姿を見る度に、順は自分の無力を恨んだ。なぜ、この子がこんな目にあっているのか?なぜ、この子に自分はなにもしてあげられないのか。情けなかった。そう思いながらなにもできない自分が情けなかった。
 「だから、お前が顧問になってよかったんだよ。これで、ソフト部も健全な競走社会になるし、大石も復帰できるし…そういや、大石ってどうなんだ?」
 「なにがですか?」
 「中庭で尾関相手にしてんだろ?打てるようになったのか?」
 「20球に1回くらいはかろうじて当たるみたいです」
 中庭での大石の奮闘を思い出しながら順が答える。
 「もう3ヶ月くらいだろ?まだそんなもんなのか?」
 (…ハァ…やっぱり素人には分からないか…まあ、仕方ないけど…)
 「上達してますよ。ただ…」
 「ただ?」
 「尾関さんの球威も上がってるんです。1月とはもう別人ですよ。スピードには慣れるかもしれないですけど、あの球のノビは反則ですね」
 「……ドコまで進化すりゃ気が済むんだ?あの生命体は」
 「人類史に残る謎だと思いますよ」
 「…」
 2人は顔を見合わせる。
 「アレが『父親』なんだもんなぁ…」
 「『父親』なんですよね…」
 視線の先には品良く笑う金髪の姿があった。
 
 
 特にする事もないので、ランは自室でボーっとテレビを見ていた。
 ただいま相方の原田さくらは隣の部屋に外出中。自分も誰かの部屋に行くか、談話室に行けばよかったのだが、なんとなく今日は部屋にいることにした。いつも騒がしいので、今日くらい静かな日があってもいい。そんな感じだ。
 夜7時を回り、そろそろお腹が減ってきたので、食堂に…そう思って腰を上げた時だった。
 『ピ〜ンポ〜ン』
 とインターホンが鳴った。
 (誰かしら?)
 そう思いながら、何の気は無しに壁にかかっていた受話器をとる。
 「はい?」
 『あ、先輩っ☆松崎です。引越しのご挨拶に参りましたぁ〜?』
 引越しの挨拶?これは随分殊勝な新入生もいたものだ。普通は隣近所で済ませてしまう挨拶をワザワザ他のフロアにある、他の学年にまでするなんて……と思ったところでランの思考がピタっと止まった。
 イヤ、止まったというより、強烈なジャミングが入った。の方が正しいだろうか。クリアな思考の最中にザっと砂嵐が入って、またクリアな思考に戻る。そんな感じ。
 (…えーと…)
 いきなりジャミング電波を受信するだけでも人としてどうか?と思うのだが、ランはその事以上に、その砂嵐と砂嵐の間に生じた違和感に嫌悪感を示した。
 (…松、崎?)
 そうだ、確かに扉の前にいる相手は松崎と名乗った。松崎と…名乗っ…
 瞬間、ありえない映像がランの脳裏を駆け巡る。
 (松崎…静馬…?ストップ、ストップ、ストップ!)
 ブンブンと頭を振って、そのイヤすぎる可能性を頭の中から追い出そうとする。
 『せーんぱーい?』
 握り締めた受話器から、聞き覚えのある聞こえないはずの声がする。
 (なんで、あの子が?)
 とか、
 (なんで、ココに?)
 とか、
 (なんで、この部屋が?)
 とか、そりゃーたくさんの『?』がランの頭に浮かんでは消えていく。
 『せーんぱーい。開けてくださいよー』
 マズイ、とにかくお引取り願わないと…アレの関係者だと思われるのは非情に心外だ。
 ランは受話器に口を近づける。
 「えーと、マツザキさん。だっけ?…多分、人違いじゃないかしら…」(←超・裏声)
 『えー!?なに言ってるんですかぁーっ!?あっ!!?まさか、先輩、私以外に好きな子が…ヒドいですっ!去年まではあんなに愛しあった仲なのにっ!!私とは遊──』
 「っ!!」
 受話器を投げ出し、弾かれたように廊下に飛び出す。
 「アンタはいきなり何言ってるのよっ!」
 ランは、凄まじい形相で松崎を睨みつける。
 「こんばんわ、先輩」
 「お忙しいところすみません。お引越しのご挨拶に伺いました」
 ランの形相に臆することなく、笑顔で松崎はそう言った。
 (ダメだ…この子、まったく変わってない…)
 確かめるまでもなく、今、ココにいる事、そして、短いながらも今までのやりとりで容易に想像できたはずではあるのに、その事を確認してランがガクっと頭を垂れる。
 「あー、それはどうもご丁寧に、今後ともヨロシクー」
 とにかく早くこの子を返さなくてはならない。
 「話は済んだ?」
 「…あの、とりあえずノブから手を放しません?」
 「なに、放したらなにかくれるの?」
 「はい、お引越し祝いを持ってきましたぁ〜」
 満面の笑みでピース。
 「え、ああ、そうなの?」
 (なんだ、同じ学校になったから、とりあえず、先輩には挨拶をしておこうって事か…なんか悪い事したわね)
 ランは今までの邪推と、非礼を心の中で侘びた。
 「はい、どうぞ!今後ともお世話になります」
 松崎が深々と頭を下げながら、ドアの陰に隠れていた平たい包みを差し出す。
 「いえいえ、こちらこそ、どうぞお構いなく」
 ランも頭を下げながら、包みを受け取る。
 「悪いわね、なんか気を使わせちゃったみたいで…お蕎麦?」
 「はいっ!やっぱりお引越しの定番と言えば、引越し蕎麦ですよね。おそばに参りましたぁっー!!って」
 「ありがとう。あとで、いただくわね」
 微笑を返すランとは対照的に松崎の表情がズーンと沈む。
 「…静馬?」
 「先輩、もしかして、もうお夕食済ませちゃったんですか?」
 「いや、まだだけど?」
 「じゃあ、お夕食にお蕎麦食べましょうよぉ〜」
 一転、目をウルウル滲ませて、静馬はランの足元に文字通り、すがりつく。
 「ちょっと、静馬っ!」
 (変わってない…封印したはずの疑念がランの中で再び芽生える)
 「あのさ、今、同居人もいないし、私は…ホラ。厨房入室禁止だし…」
 最後のセリフは自分で言っててとても悲しい。
 「あ、でしたら、私が作ります。ちょっと台所を貸していただければ、すぐにでも取りかかりますよ。召しませ乙女の愛情料理!」
 復活した静馬が元気よく宣言する。
 「温かいのがいいですか?冷たいのがいいですか?せつないのがいいですか?やるせないのがいいですか?それとも狂おし──」
 「部屋に帰れ」
 「なんですかぁ!その態度は!今日から1つ屋根の下に暮らす乙女に向かって!」
 「…1つ屋根の下って…女子寮だっての…」
 一気に疲れたランが、グターとしたツッコミを入れる。
 「やだ先輩♪1つ屋根の下だなんて、そんないやらしい言い方しないでください、まるで同棲するみたじゃないですか。ダメですよ、それは大人になってからのお楽しみです?」
 (ダメだ…この子、相変わらず脳みそ溶けてる…)
 「…?おーいトード。なにやってんだ、そんな所で」
 遠くから、声をかけられた。
 「ああ、引越し蕎麦をもらったのよ」
 「ふ〜ん」
 ズカズカと近付いてきた斎に、静馬がペコリと頭を下げて挨拶をする。
 「…あれ?ハラダ、今、談話室にいたぞ」
 「ええ、出かけてるわよ」
 ランの答えを聞いて、斎の視線がラン手元にある蕎麦からランの顔、また蕎麦に戻って再びランの顔で止まる。
 「なに?」
 ランが尋ねる。
 「お前…まさか…」
 斎が後ずさりながら言ったので、ピンときたランがそれを否定しようとした瞬間。
 「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!!トードがぁっ!!トードが料理する気だぁぁぁぁぁっ!!!!!」
 斎の絶叫が女子寮に響き渡った。
 直後、女生徒の一斉避難が始まって、女子寮が大パニックに陥ったのは今更言うまでもない。



〜 Fin 〜



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