〜阿修羅さまがみてる〜
『 Virgin's High! 』前
作:コジ・F・93

 「オハヨー」
 「ごきげんよう」
 「うーす」
 「もーにんっ」
 「ちょいや」
 さまざまな朝の挨拶が澄みきった青空にこだまする。
 甲府の盆地に集う生徒たちが今日も天使のような無垢な笑顔だったり、割りと悪い事思いついちゃった的な顔で、学校名の代わりに『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と書かれた門をくぐって行く。
 なんとなく青春真っ盛りな心身を包むのは、思い思いにコーディネートされた私服。
 スカートのプリーツってなんだ?白いセーラーカラーがついてるヤツなんか、まずいねぇ。ゆっくり歩く人もいれば、わりとツカツカと歩いていく人もいる。もちろん、遅刻ギリギリだったら、達観している一部の生徒を除いて、全力ダッシュである。
 
 私立星影学園
 
 『自称』卒業生第一号が聖徳太子だというこの学園は、もとは豪族の令嬢、子息のために作られたという、全寮制の学校である。
 山梨県甲州。環境破壊が叫ばれて久しい昨今にあって、未だ緑の多いこの地区で、寮に入れられ、その割に、校則があるんだかないんだかイマイチ解らない自由主義のある意味無法地帯。
 時代は移り変わり、17条だった憲法が(!?)11章103条に増えた今日でさえ、卒業するころには、大抵のことでは驚かない、頑強な精神力が養われる、とういう教育の現場としてどうにも個性的過ぎるスタンスの学校である。
 
 『師走』──1年で1番忙しいとされる、この時期の慌しさは、モチロン星影学園でも例外ではない。
 「楽でいいなぁ」なんて社会人には言われるけど、学生だってこの時期は忙しい。
 クリスマスにお正月。年末年始の2大イベントに加えて、期末テストに大掃除。
 そこに帰省まで加わる星影生の年末は、普通の高校生に比べてハードなのだ。
  

  
「12月27日 夜」


 
 女子寮挙げての『48時間ブッ通し!星影学園大クリスマスパーティー!!(サブタイトル 後は泥のように眠れスペシャル)』の後片付けも終わり、(同時進行で大掃除もやった)帰省の準備を済ませた27日の夜。嘉穂(カホ)は女子寮の談話室(イメージ的にはロビーの方が近い)の窓からしんしんと降り積もる雪を眺めていた。
 「なに浸ってんのかねぇ、この子は」
 2人掛けのソファーが2組置かれたテーブル席で、嘉穂の右隣に座っている藤堂魁(トウドウ ラン)が、つまらなそうに言いながらNINTENDO DSをパタンと閉じる。
 「今年も、もう終わりだなぁ…って思ってただけだよ」
 嘉穂が曖昧な笑みを浮かべて答える。
 「それを世間じゃ浸ってるって言うのよ。世間ではね」
 さっきもそうだったけど、ランの言葉の言葉尻が妙にキツイ。
 「そうだ!」
 イイコト思いついたっ。とランが笑う。
 「雅のDS、嘉穂に貸してやってよ」
 (…そうきたか…)
 呆れ顔の嘉穂と、表情は変わってないものの、内心呆れかえっている雅(ミヤビ)の視線が交差する。
 「別に貸すのは構わんが…」
 「なによ?」
 「えっ!?、私、やったことないよっ!」
 「だからじゃない!今が勝機じゃないっ!!叩くなら今を置いて他にないわっ!!」
 ランは、雅のDSをグイグイ嘉穂に押し付ける。
 「オメーは、初勝利の相手が初心者でいいのかよ」
 力強く宣言した(自分を正当化した)ランに、斎(イツキ)が冷や水をぶっかけた。
 「そりゃぁ、スジが通ってねぇんじゃねか?」
 モデルガンをバラして、大掃除中の手を止めずに、斎は顔をあげてランを見据える。
 斎は最近、『金剛番長』という漫画にハマってるらしく、何かにつけて「スジ」を通したがる。
 「…そういうアンタだって、対雅戦の連敗の憂さを私で晴らすじゃない」
 「それはそれ!これはこれだぁっ!!!」
 『斎番長』台無しである。
 「この女には、開発者だって勝てねぇよっ!!」
 雅を指差して、負け犬の遠吠えが始まる。
 「この女はなぁ、コースが同じ、取ったアイテムが同じ、相手が同じ、ラインにバナナの皮とかの障害物がない。っていう、つまり同じ条件で走るとなぁ!1000分の1秒まで同じタイム叩き出すんだぞっ!!しかも、それ以上は1000分の1秒も速くならないっていう、限界のタイムでっ!!何周走っても、ラインが1本なんだよっ!!!セナかっ!?お前は、A.セナかっ!!?一緒に走ってる最強設定のNPCなんかよりゼンゼン正確なんだぞっ!!!どうやって人間が勝つんだよっ!!?」
 ヒドイ言いようだけど、言ってる事は解らなくはない。実際のレースと違い、プログラムである以上、タイムの限界は必ずある。そして、その限界のタイムで走れるプレイヤー が、僅かなミスもしないとしたら…対戦相手が勝つ可能性はゼロに等しい。
 「あれ?でも、それを無くす為にアイテムがあるんでしょ?」
 ランが「カミナリ来いっ!」って叫びながらやってるのを良く見る気がするんだけど…
 「1位と2位じゃ、そんなにアイテムに差なんてねぇし」
 口を尖らせて斎が言う。
 「あ、そうなんだ」
 「2人共、赤甲羅ふつうに避けるし、カミナリが取れるような順位からじゃ、絶対に追いつかないし…目押しでガンガン、スター出すし…勝てるわけないってのっ!!」
 ランのグチは、斎のそれよりも深くて、重い。
 やった事ないけど、絶望的な状況だけは目に浮かぶ。っていうか、その状態で挑み続けるランもある意味凄い。
 「ってか、オメーはもちっと上手くなってから来いや。機械相手に勝ったり負けたりじゃ、話になんねーよ」
 「ぐっ…」
 「なぁ、300戦無勝」
 「それを言うなぁ〜っ!!!」
 ランは、ソファーの背もたれに身体を預けて、吹き抜けになっている天井に張られたガラス越しに天を仰ぐ。
 「そんなにやってるの!?」
 驚いた嘉穂に「ん」と、諦めた感じのランがDSを手渡す。
 (…348戦0勝348敗…)
 惨々な戦績だった…
 「この、『TOMSAN』って、雅?」
 ブッチギリで対戦数が多い、ヘンな名前を見て、嘉穂が尋ねる。
 「ああ」
 コクンと頷いた、雅の黒髪が揺れる。
 「…なんで『TOMSAN』?っていうか、『TOMSAN』って何?」
 当然の疑問を投げかける。
 「斎につけられた」
 「あぁ、そう…」
 その一言で全てを理解してしまった嘉穂は、それ以上言及しなかった。この世には、どうにもならない事って沢山あって、「斎が(に)…」という枕詞から始まる事象については、何をどうしようと、全て無駄で、ただ、『──だから、この話はここでお終い』と言って終わらせるのが、正しいあり方なのだ。
 「いい名前だろ?」
 誇らしげに胸を張る斎を、嘉穂はついつい優しい目で見てしまう。
 「んだぁっ!?雅っ!そのツラぁっ!!?」
 相変わらずの無表情の中から、「ヤレヤレ」を目ざとく見つけた斎が、雅に食ってかかる。
 「騒ぐと、ネジが失くなるぞ」
 「おわっ!危ねっ!!」
 雅の一言で、斎は再び掃除に集中。さすがは雅、斎をここまで上手くコントロールできるその手腕には、頭が下がる。
 ちなみに、その雅は、今年、『雅ちゃんに、ノーベル平和賞を!!』という、とんでもキャンペーンに巻き込まれ、(モチロン本人無関係)現学園長、金田舞次郎(カネダ マイジロウ)を中心に、世界中の識者を巻き込んで、発足した委員会の尽力により、あわや、本当に受賞するところまでいきかける(本人が「迷惑」と言ったら、瞬時に委員会は解散した。)という、新たな伝説を作った。…まぁ、なんていうか、お疲れ様としか言いようがないんだけど…
 それにしても。と嘉穂は改めて画面を見直す。
 (…雅、本当に、ご苦労様…)
 なにかにつけて相手をさせられたのだろう、全348戦中、実に216戦の相手が雅である。
 その雅に次いで多いのが…
 「優妃(ユウヒ)?」
 画面の『YU−HI』という文字を指差して、ランに見せる。
 「他に誰が?」
 不愉快全開。って顔でランが答える。
 まぁ、348連敗への軌跡を辿られたら、普通、不機嫌になるけど。
 「優妃って上手いの?」
 何度かランや、斎と対戦してるのは見た事あるけど、『爽やかスポーツ少女』(ちなみに対義語は『熱血スポーツ少女』代表例は、大石次子(オオイシ チカコ)。)の見本のような普段の優妃と、ゲームというのが、上手く結びつかない。
 「…まぁ、斎と勝ち負けってとこ」
 全然大した事ないわよ。って感じで、答えが返ってきた。…負けず嫌いが、必死になっている姿が、可愛くて仕方ないのけど、そこには触れないのが、優しさというものだ。…というか、
 「斎と互角なのっ!?」
 嘉穂、思わず大声を出してしまった。だって、斎は確か今年の夏に、日本チャンピオンになってるはずだ。
 「互角じゃねぇよっ!!ユーヒとは、36戦9敗だってのっ!!!27勝だぞっ!27勝っ!!!」
 斎が、すかさず反論してくる。
 「──そのうち8勝は、ラッキーだったけどな」
 ボソリと、雅がツッコミを入れる。
 「イチイチ細かいんだよ、テメーはよぉっ!!いーんだよ、ラッキーでも、勝ちは勝ちなんだよっ!スター使うタイミングだって、アレはしっかり狙ってだなぁ──」
 「そういう事にしておいてやる。」
 「──しておいてやる。じゃねぇよっ!そういう事なんだよぉっ!!」
 「………」
 「優雅に茶ぁなんて飲んでんじゃねよっ!聞けよっ!ボクの主張を聞き入れろよぉっ!!!」
 斎がまだ雅に向かってキャンキャン吠えてるけど、雅は全く聞いてない。
 それにしても…だ。348連敗のランといい、おそらく対雅、348連敗どころの戦績では済まないであろう斎といい、勝てない相手だろうが、なんだろうが向かっていこうとする、そのバイタリティは見習わないと。と、2−Aきっての穏健派である嘉穂は、事ある毎に思うのだが、なかなか上手くいかないのも、また、現実である。
 「ん?」
 「おっ!?」
 まず、斎を完全に無視して、紅茶を飲んでいた雅が見つけて、次に雅にキャンキャン噛み付いていた、斎が気づいて、2人のリアクションを見た、嘉穂とランが2人の視線の先、談話室の入り口へと向ける。
 「!?」
 どうやら、今談話室に入ってきた少女もコチラに気づいたようだ。
 「おーい!ユーヒぃっ!!ちょっとツラ貸せやぁーっ!!!」
 斎が、ブンブン右手を振ってアピールするより早く、少女は真っ直ぐ向かってくる。
 白いロンTの上に、黄色い厚地のノースリーブ、ダークブルーのショートパンツという、真冬に気合で真っ向勝負の服部優妃(ハットリ ユウヒ)が、ショートカットにトレードマークのカラッカラの笑顔を……アレ?
 「優妃?どうしたの!?」
 難しい顔をして現れた優妃に、嘉穂は戸惑いながら声をかける。
 「いや〜、それがさぁ…よっ、と」
 優妃は、ちょっとだけいつもの笑顔に近い表情に戻ると、隣のテーブルの、1人掛けのソファーを引っ張ってきて座った。
 「まいったよ。明後日帰ろうと思って準備してたらさ、イキナリ母親から電話がきてね。『今年は、お正月にグアム行ってくるから』とか言われちゃってさぁ。商店街の福引で当たった4人1組の旅行らしいんだけど…いくら私抜きだと丁度いいからって、行く?普通。それに、こんな直前になって言い出すし──」
 (うわぁ〜…)
 なんていうか、他人が聞いたら、笑い話だけど、当の本人には、不幸この上ない展開に、嘉穂は、開いた口が塞がらない。を、身をもって実感中。
 「──しかも、『4日の夜には帰るから〜』って、私は4日の昼から部活なんだけど…ってわけで、今年のお正月は、実家に帰って、1人で留守番ですよ。もう…流石に滅入るよ」
 説明したせいで、やり切れなさが戻ってきたのか、優妃はため息をついて、ゴトンと、顔を横に倒して、右耳をテーブルにつける形で、突っ伏した。
 「そんなら、帰んなきゃいいじゃんか」
 当たり前のように、斎が言う。
 「出来るならそうするよぉ」
 首をクルっと回して、今度は左耳をつけるようにしながら優妃が嘆く。
 「寮、閉まっちゃうもんね…」
 初めて見る、優妃のローテンションモードにつられたのか、嘉穂の声にも元気が無い。
 「いや〜、ゴメンね!こんな話して!!」
 バッと顔を上げて、男女を問わず、見た人の心を掴んで離さない優妃スマイルを浮かべるものの、やっぱりいつものような光がない。優妃のファンは、それもまたヨシ!なのかもしれないけど、嘉穂には、優妃の空元気が、やっぱり痛々しく見えてしまう。
 「で?なにやってたの?」
 「だからよぉ、ボクと一緒に雅ん家泊まりゃいいじゃんか」
 無理やり話を変えようと、努めて明るい声でテーブルを見回す優妃の気遣いを、完全に無視して、斎が提案をする。
 「…」
 「…」
 「…」
 「…」
 「はぁっ!?」
 「そうだな」
 斎を除いた4人が一瞬沈黙して、雅を除く3人が同時に聞き返して、
 「えっ!?」
 3人の視線が、今度は雅を捕らえる。
 「だろ?」
 斎が勝ち誇ったように片眉を上げる。
 (っていうか、なんだ?この超展開は…)
 一瞬嘉穂が戸惑った隙に、話はドンドン流れていく。
 「いや、泊まるって言われても…」
 優妃が、尻込むのも当然だ。いくら、帰るのが面倒だからって、人様の実家に、しかも、お正月の期間ご厄介になるのは、さすがに敷居が高過ぎる。抵抗を覚えるな。と言う方が無理というものだ。
 「問題ねーだろ、雅ん家、部屋余ってるし」
 「その言い方だと、豪邸みたいな感じがして、イヤなんだが…」
 「へー、雅の家って大きいんだ」
 なぜか乗り気なランが食いつく。泊まりに行くのは、優妃で、ランは全く関係ないんだけど…
 「一般的な家より少し大きいくらいだな」
 「…大きい…」
 ランが視線を宙に飛ばす。
 「プールとかついてるヤツは想像するなよ」
 「ないの?」
 「ない」
 「ボクん家にはあるけどねっ!!」
 「ふ〜ん………なにぃっ!!?」
 斎の言葉に、ガバっと反応したランに続いて、
 「プールあるのっ!?」
 優妃が食いつく。
 「あったりめーじゃんっ!」
 「…お前は帰れ」
 「はぁっ!?なんでだよっ!!」
 「お前、入学してから1回も帰ってないだろ。今回こそ帰れ」
 「イヤだねっ!遠いし、メンドイっ!!」
 「斎…たまには帰って、親に顔見せてあげなよ」
 話に乗り遅れていた嘉穂が、ようやく入ってくる。
 「親っ!?」
 嘉穂の一言にランが固まった。
 「…そうだったよ、雅の家に行ったら、私、邪魔だよ」
 尾関一家の家族団欒の邪魔になる…それを思い出した優妃が、両手を顔の前でブンブンやる。
 「問題ないぞ」
 「なんで?」
 またも、なぜかランが食いつく。確認の為にもう1度繰り返すが、泊まりに行くのは、ランではなく、優妃だ。
 「父しかいないからな。どうせ、父も元日の昼には出かけるし」
 (うわっ、ランっ!いきなり地雷踏まないでよっ)
 優妃が視線をランに飛ばしたのをきっかけに、ラン、嘉穂、優妃の視線が絡み合う。
 (ゴメン…そんなつもり、全然なかった…)
 (それにしても、雅の家って…優妃っ!雅のためにも、雅のお父さんのためにも、行くべきだよっ!)
 親子2人水入らずを邪魔してしまうのは、気が引けるけど、元旦の昼から、雅1人でお留守番は、可哀相だ。それならば、優妃と一緒にいた方が、雅のお父さんも気が楽だろう。
 (…あ、やっぱ?そう思う?)
 (これで行かなかったら、私はアンタの人格を疑うね)
 (…決ったか?)
 「み、雅っ!?」
 「いきなり入ってこないでよ…あ〜ビックリしたぁ」
 「自分達の事ながら、凄いアイコンタクトだったね」
 「まぁ、やればできるってことよ」
 「…なんか違う気もするけど、まぁいいか」
 優妃が、カラッカラの笑顔で笑う。
 「でも、本当にいいの?」
 邪魔じゃない?と、一転、申し訳なさそうな顔の優妃に、
 「全然。それに、斎もいるしな」
 雅は、言いながら親指で、右隣をクイっと差す。
 「いえーっ!!」
 雅の「ヤレヤレ」など、気にも留めずに、斎は、顔の前で右手のピースを振る。
 「あ、結局、連れてくんだ?」
 「…帰れと言って、帰るならそうするけどな…」
 「…帰るわけないね」
 「帰らないわね」
 「帰らないね」
 「帰るわけねーじゃん!」
 「自分で言うなっ!!」
 みんなを代表してランがツッコミを入れて、みんな笑って、それはとても楽しくて。
 そして──
 〜♪Quando sono sola songno all'orizzote…〜
 「あ、ゴメン。ちょっと」
 通話のボタンを押して、「もしもし」と、嘉穂が席を外す。
 「もしかして、嘉穂の家族も、お正月いなかったりして?」
 ランが、嘉穂の電話の相手と、内容を勝手に想像して笑う。
 それを聞いた優妃は「そんなわけ無いって」と、手をヒラヒラさせて否定する。自分のケースは極めて稀な例だと。そういうことらしい。
 「だったら面白いなぁ。って話よ。まぁ、そうなったら、私も雅の家に押し掛けるけど」
 笑顔のまま、とんでもない事を口走る。
 「…ラン」
 優妃が苦い顔で、ランを見つめる。
 「もしもの話よ」
 「そうじゃなくても、来たいなら来ればいい。今いる人数くらいなら、全員来ても、まったく問題ないぞ」
 雅が普通に言い切った。
 「ほら、雅もこう言ってることだし」
 ランが、学園3大美女と呼ばれるのに相応しい、満面の笑みで勝ち誇る。
 「いや、そうかもしれないけど…」
 そうじゃないって言うか…上手く説明できないんだけど…と、優妃が口籠っている間に、ランと雅、2人の間で、ドンドンとランの望む方向へと転がっていく。
 5分ほどたっただろうか。廊下で話していた嘉穂が、沈痛な面持ちで談話室に帰ってきた。
 「嘉穂…まさか…?」
 嘉穂が纏う独特の空気に覚えのある優妃が、ソファーから腰を浮かす。
 ランは、なぜか雅とハイタッチ。
 「…厚かましいお願いで、本当に悪いんだけど…私もお邪魔していいかな?」
 ――5人の年末年始の予定が決まった。
  

  
「12月31日 昼すぎ」


 
 9回表2アウトランナー1塁、カウント2-3(フルカウント)、得点は0-2。
 満員の広島市民球場、ライトスタンドからは、『あと1球!!』の大歓声。
 降りしきる雨の中、18.44メートルの距離で対峙する、打者と、投手。
 サインの交換が終わり、両者の緊張と集中が極限まで高まり、
 セットポジションから、最後の1球が放たれる。
 「ズバンっ!!」
 小気味いい音を立てて、白球がキャッチャーのミットに収まる。
 「…」
 「…」
 「…」
 「…」
 「ボール!フォアボール!」
 「なぁぁぁんで、振らねぇんだよぉっ!!」
 「いや〜、ここでボール球振るほど、下手じゃないって」
 悔しがる斎の隣で、優妃はカラッカラのいつもの笑顔。
 「あっと、代打、代打〜」
 優妃がタイムをとる。
 「んだよ〜、誰だって一緒だろぉ?どーせ三振なんだからよぉ」
 「そうならないように、選ぶんじゃない」
 「あれ!?終わったの?」
 嘉穂は隣に座でファッション誌を見ているランの肩をつつく。
 「今の流れが、どうして『終わった』って結論に結びつくのよ、アンタは…タイムよ、タイム。まだ終わってない」
 メンドくさそうに、左手をヒラヒラさせると、ランは手元に視線を戻す。
 「…だって野球、全然解んないもん…」
 ぷぅ。と頬っぺたを膨らませた嘉穂の方を振り返って、優妃が笑う。
 「まぁ、見ててよ、ここからひっくり返すからさ」
 「あ”〜?んなわけね〜だろっ!?ボクが負けるわけ…代打、平田ぁ?あひゃひゃはひゃひゃひゃ──」
 優妃が選んだ代打を見て、斎が画面を指差して笑う。
 「悪い?」
 自分が選んだ以上、責任は自分が持つ。優妃の言葉からはそんな意志が伝わってくる。
 「──ぶわはははははははははっ!!悪かねーけどよっ!もわははっはははは…そっちはホントにバッターいねぇなぁ!?」
 「私は、堂上兄弟より買ってるよ」
 ひたすら笑い続ける斎の隣で、タイムを終えた、優妃の纏う空気が明らかに変わった。
 「うわはははははははっ…ひーひー…」
 斎は、優妃の変化に気づいていない。
 (斎…気づかないと、やられるよ)
 野球のルールは知らなくても、たとえ、ゲームを普段やらなくても、そして、確かに運動神経は悪いけど。でも、解る。優妃が纏う、研ぎ澄まされた日本刀のような鋭い空気。トップアスリートだけに許された、集中力による、一瞬の限界突破…『聖域(ゾーン)』。その領域に到達した今の優妃を、相手を見下してしまっている斎が、勝てるはずがない。嘉穂には、この勝負の結末が解ってしまった。
 「はん!まぁ、いいか…」
 瞬間──
 画面の中のピッチャーが、セットポジションから
 「プロの世界は非常だぜぇっ!!!」
 ──斎の纏う空気が変わった。
 1球目を投げる。
 「がっ!!!???」
 「っ!!」
 カコンっ!!と乾いたいい音が響く。投げた瞬間に「!」マークがピッチャーの頭の上に出てド真ん中に入った失投を、優妃が見逃すわけがなかった。
 「…あぁ、いったわね、コレは」
 ランがぼそりと呟く。
 白球はグングン伸びて、レフトスタンド中段に消えていった。
 「イエスっ!!!」
 「な〜が〜○〜わ〜………」
 斎がコントローラーを「ゴトっ」と落とす。
 余りにも非情かつ、タイミングの良過ぎるゲームの気まぐれに、地球で1番沸点が低いと言われる女は簡単にキレた。
 「永○ぁっ!!テメー、なにしてくれんだ、ああんっ!?劇場か!?毎度お馴染み『○川劇場』かっ!!?テメーはリアルで『永○劇場』なんだからよぉっ!!!せめてゲームのなかでくれー、ぴしっと抑えろやっ!!!今シーズンだけで、14回だぞ、14回っ!!!!こんだけ失敗したら、普通リストラの対象だってのっ!!!!それを…現状維持だぁ?ふざけんなぁっ!!!!!!!テメーに8500万(推定)も使うなら新井に8500万(推定)上乗せして引き止めるわっ!!──」
 (は、早く…雅、早く…)
 電光石火の早業で、斎を羽交い絞めにした優妃が、雅の到着を切に願う。
 「──うぉいっ!鈴○ぃっ!!テメーだ!テメーに言ってんだよぉっ!!!エースを育てて、FAでメジャーに高飛びされて、4番を育てりゃ、読○か阪○にかっぱがれて…当たりの助っ人は契約延長できねーで、新入団の野手の紹介は必ず、『走・攻・守・三拍子揃った…』他の表現知らねーのかぁぁぁっ!!!!仮に、仮に、この表現が当たってるとしたらなぁ…もしそうならなぁ…同じタイプばっか取ってんじゃねぇよぉぉぉっ!!!たまには『長打力が自慢』とか『左右に打ち分けられる』とか取ってこいっ!!!!──」
 (雅…早くしないと、寮の備品が壊れちゃうんだけど…)
 斎の両足を抱えて、持ち上げている(実は1番キツくて危ないポジションだったりする)ランも、雅の到着を待ち侘びている。
 「──もう何年だっ!!何年もずーっとBクラスじゃねぇかぁっ!!!しかも4位が1度であと5、6(ゴンロク)…入れ替え制だったら今頃2部だわぁぁぁぁっ!!!カーンバーックっ!!鉄薔薇さま(ロサ・アイアン)(衣笠祥雄氏のことだと思われる)かーんばぁぁぁっくっ!!!!漢(オトコ)、前田をっ!漢、前田をっ!!もう1度漢にする為にも、監督をベース投げヤ○キー(アメ○カ人をよくない表現で呼んだと思われる)から鉄薔薇さまにっ!!」
 (雅…)
 PS2の本体とコントローラーを素早くどかし、周囲のテーブル、ソファー、観葉植物…動かせる物を手当たりしだいに遠ざけながら、嘉穂もまた、雅を待つ。
 3人は強く願う。
 『斎、どうにかして』と。
 その時、「ガチャ」と談話室のドアが開いて、ナイスすぎるタイミングで尾関雅が現れた。
 「雅っ」
 「あ”〜ん?」
 「…」
 ドアを開けて視界に飛び込んできた光景を見て(その前に、斎の怒声が聞こえていたのもあるだろうけど)状況を一瞬で理解した雅が、開口1番、
 「…野球は2アウトから。お前はまだ、裏が丸々残ってるが?」
 斎という燃え盛る炎に、あろうことか、雅は燃料を投下する。
 「…」
 (怖い…さっきまで、怒鳴り散らしてた分、沈黙が怖い…)
 嘉穂が、観葉植物の鉢をもう少し後ろにずらす。
 「演出だよっ!演出っ!!1度逆転させといて、こっからサヨナラ勝ちするっていう、ボクの演出に決まってんじゃん!んだよぉ〜、オメーら、みんな、まんまと騙されちまってよぉ。ったく…」
 (ウソダ!それは絶対にウソダっ!!)
 ランと嘉穂、そして優妃が顔をあわせて、ため息を1つ。
 (優妃、解ってんでしょうね!?)
 (斎の『演出』通りに!だよ?)
 (ちょ、無理だよ〜)
 (なんでっ!?)
 (バレないわけないじゃない。相手は斎なんだから)
 (いや、まぁ…そうなんだけど…)
 (優妃!頑張ってっ!!)
 (嘉穂…私は、嘉穂だけは信じてた…)
 「いよっしゃーっ!!こいや、ユーヒっ!!岩瀬だろっ!?岩瀬ぇっ!!」
 「はぁ…」
 スタンバイOK、気合充分の斎に急かされて、優妃が渋々コントローラーを手に取る。
 「これじゃ、勝負にならなくない?」
 完全に勝ちにきてる斎と、なんだかよく解らない展開になってしまった優妃とでは、モチベーションが違い過ぎる。今の状況で、優妃がゲームに集中するのは無理だ。と、嘉穂は感じたのだ。
 「問題無いだろう」
 雅が嘉穂の疑念を一蹴する。
 「始まってさえしまえば、優妃は勝ちにいく」
 「そうなの?」
 「そういうふうにできてるんだ、アイツは」
 「ふーん。」
 よく解らないけど、まぁ、雅が言うんだから…嘉穂はそのまま、雅の隣に腰をおろし、勝負の行く末を見守る事にした。
 「…あれ!?私、あと1アウト残ってなかった?」
 優妃が斎に尋ねた。
 「オメーが早くこねーから片付けといた」
 しれっと、言い切った。
 「…はぁ…まぁ、いいか。どうせあそこからじゃ、点取れないだろうし」
 (それでいいのっ!?)
 あまりにも聞き分けの良すぎる優妃に嘉穂は心の中でツッコミを入れてしまった。
 「…余裕じゃんか…」
 その態度が気に入らなかったのか、斎の周りの空気が一気に黒くなった。(ように見えた)
 「自信あるからね」
 さっきまでの、中途半端な感じはどこへやら、完全に臨戦態勢の優妃が宣言する。
 「抑えるよ」
 「…上等」
 野球ゲームとは思えないくらいの圧力が2人から噴き出す。
 もし、どちらか片方が自分だったら…
 (逃げるね。間違いなく)
 そう自信をもって言える伊東嘉穂17歳。真剣勝負の空気は、結構苦手。
 そして、ゲームはどうなったかと言うと、
 「………」
 「勝ち〜」
 「…も、もう1か──っ!?くらぁっ!!雅っ!離せっ!!リベンジっ!!!リベンジっ!!!!」
 「移動だ、移動」
 雅は斎を羽交い絞めにして、そのままズルズルと引き摺っていく。
 「私達も行こうか?」
 「そうね」
 「あはははは、そうだね」
 3人で手早く片付けをして荷物を持って雅達(こういう状態でも「達」って表現なんだろうか)を追いかけると、談話室を出たところで追いついた。
 「だから、あと1回だけだって!」
 「…お前のあと1回は、あと1回勝つまでだろ?」
 「次は勝つから同じじゃねぇかっ!!」
 こういう時、そう信じて疑わないのは、ある意味才能だと思う。
 「いいか。あのゲームに関しては、お前と優妃は完全に互角だ──」
 優妃がウンウンと頷く。
 「──完全に互角だからこそ、お前は、たまにしか優妃に勝てない──」
 「え…なんで?」
 完全に互角なのに、たまにしか勝てない…嘉穂の疑問にランが答える。
 「斎が贔屓してる赤いチームじゃ、優妃んトコにはたまにしか勝てないってことよ」
 「ラぁンっ!!テメーどーゆーことだ!コルァっ!!!」
 鼻と鼻がぶつかりそうなくらい近くで斎が吠える。
 「15勝9敗」
 「ぐっ…」
 ランが人差し指で、斎のおでこをちょんと押すと、斎が大袈裟に仰け反った。
 「立派にお得意様よ、貯金6も献上したら」
 「うぉぉぉおのれぇぇぇぇ…」
 ギリギリと歯軋りを立てて悔しがる斎にランが笑顔で追い討ちをかける。
 「しかも、来年は黒田、新井がいない…」
 「おおおおお、漢、前田がいるわいっ!!!!」
 そう言い残して、斎は全力ダッシュで寮の玄関へと消えていった。
 「いや〜、相変わらず早いねぇ」
 「ホントにね…私なんか、あの半分もスピードでないのに…」
 羨ましそうに、斎の消えていった廊下を見つめていると、頭の後ろに「ポン」と手を置かれた感触がして、嘉穂は慌てて振り返る。
 「(ニコっ)」
 そこには微笑みを浮かべたランがいた。
 「…ラン…」
 「ダイジョブよ、嘉穂が運動神経ゼロなのは、みんな知ってるから」
 「…」
 「(ニコニコ)」
 「……」
 「(ニコニコ)」
 「………!ランっ!!」
 「!」
 嘉穂が怒りを露わにした瞬間、ランもまた、斎の消えた方向へと、ダッシュで逃げる。
 「ランっ!!ちょっと!」
 嘉穂も、ランを追いかけてダッシュっ!!
 スタートのタイミングはそんなに変わらなかったのに、ランと嘉穂の間の空間が、どんどん開いていく。
 「ほらっ!嘉穂っ、ダッシュ!だぁっしゅっ!!」
 遠くでランが振り返って嘉穂を急かす。
 「これでも全力ぅ〜」
 情けない声を上げて嘉穂が追いかける。
 やがて、嘉穂の姿が曲がり角の向こうに消えて、ランの笑い声と、嘉穂の情けない声が少しづつ小さくなっていく。
 「いや〜、青春だね」
 「…まったくだな」
 そして、廊下に残された2人もまた、ゆっくりと曲がり角の向こうへと消えていった。
 
 雅と優妃が、管理人室の前に着くと、先行していた3人が松本先生((マツモト ジュン)星影学園保険医兼女子寮管理人)と挨拶がてら、立ち話をしているところだった。
 「ありがとうございます、松本先生」
 優妃が、ペコリと頭を下げる。
 「無理を言って、申し訳ない」
 続いて雅も頭を下げる。
 「別にこれくらいお安い御用ですよ。…さすがに夜までは、ちょっと厳しいですけど…」
 そう言って、松本先生が「あはは」と笑う。いつもは、アップに纏めている髪を、緩い三つ編みで肩口に垂らして、半ば制服と化している(別に着なくてもいいらしい)ビシッとした白衣も着ていないせいで、今日の松本先生は本当に「お姉ちゃん」みたい。(実際、10歳も離れてないんだけど…)
 「でも、尾関さんも大変ですね、大晦日までアルバイトだなんて…」
 そうなのだ、星影学園の寮は通常12月30日には閉鎖される。されるのだが、今年は、雅のアルバイトの都合でどうしても、今日のお昼まで働かなければならなくなってしまったのだが、「実家からだと遠くなるから」と、管理人である松本先生が残ってくれたおかげで無事、雅と雅の家にお泊りの4人組みが、今日帰省(?)という事になったのだ。
 「ったく、だらしねぇよな。インフルエンザでダウンなんて」
 「河上さん。今年のインフルエンザは例年のものとは違うタイプものなので、今までかかり難かった人が、かかったりするんですよ」
 「そうそう。ウチのクラスだって、井上、吉村コンビが、かかってたじゃない。あの2人、入学してから皆勤賞だったのに」
 「あの2人もそうですし、この学園でもそれなりに流行ったんですよ?今は少し落ち着いたみたいですけど」
 「私達は平気だったみたいだね」
 「馬鹿はなんとやらを地でいく、チカと斎は置いといて、結構弱い嘉穂がかかってないものね」
 「私が弱いんじゃなくて、みんなが強いんだよ…」
 そう言って嘉穂が肩を落とす。
 「ふふふっ…伊東さんは、体力もそうですけど、早く寝ることです。夜遅くまで自習室に篭っているのをよく見かけますからね。教師という立場上、こんな事を言うのは、おかしいのかもしれませんが、あまり根を詰めないように。勉強して、身体を害しては何もなりませんから」
 「自習室?」
 「アンタが「タイムマシン」を作るって言って、大失敗して、ハリウッドまで吹っ飛ばした部屋よ」
 「おぉ〜、あそこか〜」
 斎のとんでも実験は、例外なく失敗して、その度に大爆発を起こすのだが、これまで誰1人として怪我人を出していないという、ある意味奇跡的な実験でもある。
 「♪ピロピロピロ…」
 開けっ放しになっていた、管理人室の窓(受付みいたいなアレ)から電話の音が聞こえてきた。
 「あっ、先生、もしかしてぇ〜」
 優妃がイジワルそうに笑う。
 「そんな人いませんっ!」
 「そんな人ぉ〜?」
 イジメっ子ランはこういう隙は絶対に逃さない。(…多分ランにはイジメっ子センサーがついてるに違いない。特に私用のが)と嘉穂が思ってしまうくらい、ランの食いつきは早い。
 「…」
 「そんな人って──」
 「──だぁぁれぇぇぇん?」
 優妃とラン、ノリノリだ。
 「親ですっ!親っ!」
 先生は、顔を赤くして、両手をパタパタ振りながら否定する。
 「先生、切れるぞ」
 「あっ!ご、ごめんなさいっ!みなさんっ!」
 ガバッと頭を下げて、先生が管理人室のドアのノブに手を掛ける。
 「先生っ!良いお年を」
 「また、来年〜」
 「良いお年をっ!」
 「良いお年を」
 「またな〜」
 嘉穂に続いて、思い思いに挨拶をする。
 「はいっ!良いお年を」
 中に入ったのに、わざわざドアから顔を出して、先生が答える。
 「先生っ!いいからっ!電話っ!電話っ!!」
 「あぁっ!はいっ!!じゃぁ、みなさんっ!良いお年をっ!!」
 律儀にもう1度挨拶をして、先生が管理人室の中に消える。
 バタバタと足音がして、その足音が聞こえなくなって、1拍おいて、電話の音が聞こえなくなった。
 優妃が、そっと窓を閉める。
 「間に合ったかな?」
 「多分ね」
 大丈夫。先生宛ての電話だもん。先生と繋がる前に切れるわけがない。根拠はないけど、そんな気がする。
 (先生、良いお年を)
 心の中でもう1度挨拶をして、嘉穂は4人の後を歩き始めた。

〜 後へ 〜



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