『 阿修羅さまがみてる 』
作:コジ・F93

 「オハヨー」
 「ごきげんよう」
 「うーす」
 「もーにんっ」
 「ちょいや」
 さまざまな朝の挨拶が澄みきった青空にこだまする。
 甲府の盆地に集う生徒たちが今日も天使のような無垢な笑顔だったり、割りと悪い事思いついちゃった的な顔で、学校名の代わりに『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と書かれた門をくぐって行く。
 なんとなく青春真っ盛りな心身を包むのは、思い思いにコーディネートされた私服。
 スカートのプリーツってなんだ?白いセーラーカラーがついてるヤツなんか、まずいねぇ。ゆっくり歩く人もいれば、わりとツカツカと歩いていく人もいる。もちろん、遅刻ギリギリだったら、達観している一部の生徒を除いて、全力ダッシュである。
 
 私立星影学園
 
 『自称』卒業生第一号が聖徳太子だというこの学園は、もとは豪族の令嬢、子息のために作られたという、全寮制の学校である。
 山梨県甲州。環境破壊が叫ばれて久しい昨今にあって、未だ緑の多いこの地区で、寮に入れられ、その割に、校則があるんだかないんだかイマイチ解らない自由主義のある意味無法地帯。
 時代は移り変わり、17条だった憲法が(!?)11章103条に増えた今日でさえ、卒業するころには、大抵のことでは驚かない、頑強な精神力が養われる、とういう教育の現場としてどうにも個性的過ぎるスタンスの学校である。
 
 彼女──、伊東嘉穂(イトウ カホ)はそんなカオスな世界の貴重な常識人である。
  

  
「Wild Diamond」


 
 「お待ちなさい」
 2学期初日。つまり、9月1日。
 銀杏並木の先にある二股の別れ道で、嘉穂は背後から呼び止められた。
 明らかに雰囲気で置かれたマリア像の前であったから、一瞬マリア様に呼び止められたのかと思った。なんてことは全くなかった。
 声をかけられる理由はイマイチ解らないものの、その声に聞き覚えがある以上、おそらく呼び止められたのは自分なのだろうと、立ち止まり「はい」と返事をしながら身体全体で振り返る。身体が相手の正面を向き、ほぼ同時に顔が相手の顔を真っ直ぐにとらえ、朝日を浴びてキラキラと輝く、フワフワとした柔らかい茶色の髪で作られたサイドポニーが、いつものポジションに落ち着く。不意の事であっても、あわてた様子は見せず、顔だけで『振り向く』のではなく、キチンと振り返る点などは、嘉穂が礼儀正しい人間であることを物語っているといえよう。
 「おはようございます。しづね…高杉先生。」
 なんとなく、いつもの呼び方はマズイかな。と思ったので、慌てて言い直す。
 「おはよう嘉穂ちゃん。んもぅ、別にいいわよ、しづ姉(シヅネェ)で。」
 一応気を使ったつもりだったのだが、どうやら呼ばれている本人には、そんな気遣いは無用だったようだ。
 「それより2学期の初日から、こんなに早いなんて感心だわ」
 「はぁ…」
 返事をしながらも、嘉穂の頭の中にクエスチョンマークが浮かび上がる。この人はそれを言うためにワザワザ私を呼び止めたのだろうか。
 「今日も、嘉穂ちゃん、とってもカワイイわ。で・も…」
 そう言いながら、しづ姉は近づいてくる。
 「ごめんなさい、ちょっと持ってて」
 しづ姉は、手にしていた鞄を嘉穂に差し出す。訳も解らず受け取ると、からになった両手を嘉穂の胸元へ伸ばした。
 「…ちょ、ちょっと、しづ姉ぇっ!」
 いきなり、胸元に手を伸ばされて、焦った嘉穂は、鞄を両手に持ったまま突き出して、ブンブンと振った。
 「ネクタイが曲がってるわよ」
 「…え?」
 不意打ち以外のなにものでもないしづ姉の行動に、嘉穂は『鳩が豆鉄砲を喰らった』顔をさらしてしまった。
 「もぅ…せっかく素敵なネクタイしてるのに…はい、OKっ」
 「あ、ありがとうございます」
 「ネクタイはルーズに締めてる時も曲がってちゃダメ…うんっ。嘉穂ちゃんカワイイわよ」
 しづ姉はそう言いながら、嘉穂から鞄を受け取ると「じゃあ、また後で」と言ってマリア様の右側の道を職員玄関に向かって歩いて行った。
 (う〜ん。ネクタイ久し振りだからなぁ…曲がってたのか…不覚。ちゃんとチェックしたつもりだったんだけど…甘かったか)
 実際は、ネクタイは気にする程曲がっていなかったのだが、流石は『高杉しづる』。美にこだわる高校教諭のチェックはなかなかに厳しい。といった感じである。
 (ナニハトモアレ。今日から新学期だしね。頑張りますか)
 何を頑張るかなんて、明確な目標はないけれど、それでも今日から新学期である。とりあえずは前向きに。なんの因果か、マリア様が目の前にいることだし。
 自分の鞄を持ち直すと嘉穂は左側の道を歩いて生徒用玄関に歩いていった。
 
 
 「良く来たっ嘉穂っ!いよっし宿題見せてっ!!」
 「オハヨー」と言いながら、嘉穂が2−Aの扉を開けると、いきなり藤堂魁(トウドウ ラン)に催促された。
 「…朝会ったらまず、『おはよう』でしょ?」
 教室にいたクラスメイトに挨拶をしながら、嘉穂は自分の席に向かう。
 「それどころじゃないって!ヤバイって!!数学と古文と物理が終わってないんだってっ!!!」
 エキゾチックな顔つきの「超」がつく程の美人が、サラサラのセミロングの頭を「オーマイガッ!」と抱える。
 ランを見ていると、成る程。美人というのは、顔をしかめていても、美人なんだということが良く解る。勿論、美人だからといって課題が免除されるわけではないけど。
 「…諦めたら?」
 机のに鞄を置いて、着席。ちなみにお隣さんは、今、騒いでるセミロング。共学なのに、席は完全にクジで決められるため、隣が同性っていうのは、それほど珍しいケースではなかったりする。少なくともこのクラスでは。
 「嘉ぁ穂ぉぉぉっ!!!いつからアンタはそんな冷めた目をした現代っ子になっちゃったのよっ!昨日まではっ!昨日まではぁぁぁっ!!!」
 「昨日、部屋に閉じこもってたのはドコの誰だっけ?」
 「それくらい一生懸命だったの!!」
 「…もう、しょうがな…」
 嘉穂がそう言いかけた時、また教室の扉が開いた。
 「あ、やっぱランだ。朝からテンション高いって」
 笑いながら、黒髪のポニーテールを揺らして、真っ黒に日焼けした大石次子(オオイシ チカコ)が入って来た。
 「次子、おはよ。」
 「うーす。」
 「今日は、朝連ないの?」
 「流石に新学期早々に朝連やったって誰も来ないからね。」
 「次子が、みんなを起こして連れてけば?」
 ソフトボール部4番で右翼手。身長146センチの星影学園が生んだ「小さな大打者」この夏から部長に就任した次子ならば、それくらいはやっても許されるのではないか。と嘉穂は聞いてみた。
 「いやぁ、流石に今日は無理っ!アタシも起きるの辛かったし」
 そう言って次子は豪快に笑いながら、席に荷物を置くと、嘉穂の前の席まで来て、後ろ向きに座った。
 「…で?ランは去年と同じ過ちを繰り返した。と、そういうトコロですか」
 その声に我に返ったランが、声を張り上げる。
 「そーだ!嘉穂っ!!さっき宿題見せてくれるノリになってたじゃん!!!早くっ!早くっ!!!」
 「…でも、私のよりも、雅(ミヤビ)の方が間違いないと思うよ?」
 「あの、低血圧待ってたら、絶対間に合わないわよ!特に休み明けなんてHR5秒前にくれば早い方なんだから」
 「雅が早く来たら、アタシも『星影3大美女』に囲まれた学園生活を朝っぱらから満喫できるんだけどねぇ」
 次子は私の髪の先をいじりながら、イキナリ問題発言を口走る。
 「…どうでもいいけど、私を雅とランの隣に並べないでくれる?」
 溜息をつきながら、とりあえずお願いしてみる。2人とは顔の造りが違う。顔の造りが。
 「隣っていうか、間?」
 右手で嘉穂の髪、左手で自分の髪をいじり、「同じ女でなぜこうも違う!」なんて文句を言いながら、次子が嘉穂に告げる。
 「今はランを僅差で抑えて嘉穂が2番人気」
 「…人を競走馬みたいに言わない。」
 「どんなに人気があったって嘉穂は私のよ」
 …さらりとランに所有権を主張された。
 「いーや、嘉穂はアタシんだ」
 私を無視して、私の所有権を奪い合わないで欲しい。まぁ、もう慣れたけど…。
 「クール系の雅、カワイイ系の嘉穂、お姉系のラン。タイプが違うから、みんなまとめてアタシんだ」
 言い切った…次子の自己中(ジャイアニズム)もここまでくるといっそ清々しい。
 「もぅ…好きにして」
 これ以上抵抗しても、某ガキ大将状態の今の次子には何を言っても無駄なので、嘉穂は、あっさり白旗を揚げた。人間、諦めも時には大切である。
 「いやー、嘉穂は物分りが良くってカワイイなぁ〜」
 嘉穂のサイドポニーの先っぽを指にクルクル巻きながら、満足そうに次子が何度も頷いた。
 「だから、嘉穂は私のも……うわぁっ!こんなんやってる場合じゃないのよっ!!私はっ!!」
 いつもの朝のやりとりの途中で、ランが大声をあげる。
 「あ、課題…」
 「嘉穂っ!!この通りっ!お願いっ!!!」
 ランは頭を、机スレスレまで、ガバっと下げると、頭の上で「パチン」と両手をあわせた。
 「ハイハイ…でも、今回が最後だよ?」
 「解ってる!次はやる!ちゃんとやる!大丈夫、私、やればできる子だから!!」
 「もう…本当にしょうがないなぁ…」
 嘉穂は鞄の中身を机にしまいながら、お目当ての物を机の上に出していく。
 「いやー、何回目だろうね?嘉穂のそのセリフ聞くの。」
 「チカっ!!余計なこと言うなっ!!!」
 慌てたランが身を起こして、次子を睨みつける。が、その必死さがまた、次子のツボにハマったようで、
 「うぁははははははっ!ランっ!アンタ余裕無さ過ぎだって、あははははははっ…」
 大爆笑である。
 「あぁっ!もうっ!!邪魔するなら、斎の隣で寝てろっての!!!」
 ランの指差す方向。つまり教室の後ろでは、河上斎(カワカミ イツキ)がハンモックの上で爆睡している。これだけ大声でランが騒いでいるにも関わらず、全く起きる兆しが見えないところは正に爆睡のお手本といってもいいだろう。
 「いや、アンタが斎を見習いなって。見なよ、あの爆睡っぷり!夏休みの宿題の一切合切を全て学校に放置して、夏休みを遊び倒し、それでいて悪あがきは一切ナシっ!!!イヤー、痺れますなぁ」
 「もう、器が違うとしか言いようがないよね」
 「私は、あそこまで自分の人生投げられないから、こうして努力してるのよ。」
 「あっはははははっ!あがけ、凡才っ!」
 またも、次子が笑いながら、ランをからかう。次子はさっきから、完全にスイッチが入ってしまったようで、その笑いはしばらく止まりそうにない。いわゆる『箸が転がっても面白い』状態である。
 「とりあえず、アリガト嘉穂。恩に着るわ」
 笑いの確変モードに突入してしまった次子を無視しながら、ランは嘉穂の課題を受け取ると、物理の課題を『1枚目から』写し始めた。
 「…夏の間に1回でも広げた?それ。」
 「失礼な。」
 と、ランは反論するものの、誰がどう見ても、そのプリントの束は、ひと夏の間ずっと折り畳まれていたようにしか見えない。あまりにも綺麗過ぎるのだ。
 「広げる機会がなかっただけよ。」
 どうやら、そういう事らしい。
 「はぁ…ラン…人の事言えないよソレ」
 頭を抱えるような仕草をしながら、嘉穂は深い溜息をついた。
 そんな会話をしている間にも、次々とクラスメイト達が登校してきて、それぞれが朝のHRまでの時間を思い思いに過ごす。夏の思い出を語り合う女の子達。日焼けの跡を見せ合う運動部の男子生徒達。宿題の話をしたり、夏休みボケの話だったり…中には、ランのように課題を写させてもらっていたりする生徒もいる。1人登校してくる毎に、少しずつ、だが確実に教室内には9月1日の空気が蔓延していく。
 「オハヨー。久し振りぃ〜」
 「もーにんっ!嘉穂、元気?って!何?次子っ、アンタ黒っ!!遊び過ぎ〜」
 「おはよう…なに?今年もやってんの?懲りないねぇランも…」
 女子は全員が全員に対して軽い挨拶をして、軽く話し込む。正直、このクラスは皆かなり仲がいい。特定のグループは勿論あるものの、そのグループ間の仲がいいのだ。この辺りは同じ寮に住んでいる事が多分に影響しているようで、その点はこの学園の素晴らしい所だと言ってもいいだろう。
 「…で?ランは何が終わってないの?」
 1番廊下側の1番前の席に荷物を置いて、理知的な顔に、黒い髪を潔く顎のラインで切り揃えた武田裕美(タケダ ヒロミ)が嘉穂と次子の間、つまり、嘉穂の机の左側に、嘉穂の隣(勿論、ランとは逆の)の席から椅子を持ってきて座った。
 「それがさぁ、タケ。聞いておくんなさいよ。なんと、数学と古文とぉ」
 「と?」
 言いながら、裕美はランが必死に写しているプリントの束を見て、気がついた。
 「…物理?」
 「うん…物理」
 「そう、物理♪」
 「…(コクっ)」
 ランが無言で頷いたのをきっかけに、3人の少女の動きが『ピタっ』と止まった。あれだけ聞こえていた周りの話し声が、遠くにいってしまったかのような錯覚に陥る。周りの賑やかな空気は遠く。どこか別世界のようにも感じられた。
 「よりによって、物理…」
 「あーあ」と天を仰ぎながら、裕美が沈黙を破った。
 「まったく…なんで物理を残すかなぁ…この子は」
 次子が呆れ顔でボヤく。
 「ホントだよ。まず、物理から片付けようよ。」
 嘉穂は、少し心配そうである。
 「やる気はあったんだけどさぁ…何て言うか、できれば、夏の間は『物理』の事は忘れたかった。って感じ?」
 「疑問形にするなバカ者ぉ。何が忘れたかっただ!アンタは酒に逃げる中年サラリーマンか!?だから、1年の時から赤点スレスレの超低空飛行なんだよっ!」
 「うっさい!教え方が悪いんだってっ!!ただでさえ意味解んねー問題なのに、佐久間の言ってる事なんてさらに意味が解んねーっ!!ちゃんと日本語しゃべれっ!!!!」
 「トゥドゥクンっ!点Pぃが、座標上のぉYぃを…」
 「知るかぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!」
 机を叩き割らんばかりの勢いで、ランが机に『ダンっ』と両手をついた。
 「おぉぉぉぉ、キレたぁ〜」
 「2人ともやり過ぎだよ、もう…。ランも落ち着かないと、間に合わないよ?」
 2人をなだめようと頑張ってはみたものの、嘉穂も顔は、笑ってしまっている。「だって、次子のモノマネそっくりなんだもん」ちなみに、裕美と次子は爆笑中。他人の不幸は蜜の味。3人とも正しく青春真っ盛りだった。
 そんな、他愛のない宿題妨害(1番悪いのは、やってこないランなんだけど)をしていると、教室の後ろの扉が「ガラガラ」と開き、艶々の黒髪を腰まで伸ばした超絶美少女が、しっかりとした足どりで入ってきた。噂の尾関雅(オゼキ ミヤビ)のご登校である。…ただし、よく見ると瞼は、まだ閉じている。
 「うわははははっ!見ろっ!!嘉穂っ!コイツ、まだ寝てんぞっ!!」
 ケタケタ笑いながら、雅を指差して、次子は自分の席に戻っていく。さっきまで、早く来い(アタシのために)とか言っておきながら、来たら来たで爆笑しながら席に戻るあたり、相当イイ性格をしてると思う。
 さっきまで、色々な場所で雑談をしていたクラスメイト達も、雅に軽く挨拶しながら、席につく。
 「…ぉ…………ぃ……」
 なにかをボソボソっと口の中で唱えて、雅は嘉穂の後ろの席に倒れこむ。
 『起きてる、大丈夫?』
 とりあえず嘉穂が訳すと、雅は「…ん…」と答えて、それっきり動かなくなった。その状態の事を『起きてる』と言うのは彼女だけで、彼女以外の人間はその状態の事を『寝ている』と言うのだが、このクラスの人間は、彼女はこの状態でも、通常の状態となんら変わりない性能を発揮できるということを知っているので、誰もツッコんだりしない。
 雅が突っ伏すのと、ほぼ同時に、朝のHR開始を告げるチャイムが鳴り、廊下から、足踏みと手拍子の音が聞こえてきた。
 「ドンドン(足踏み)パンっ(手拍子)ドンドン、パンっ」
 その音が近づいてくるにつれて、教室内でも、生徒達が同じリズムを刻みだす。
 「ドンドン、パンっ!ドンドン、パンっ!」
 教室内の生徒全員(寝ている、宿題中は除く)が一丸になった頃には、扉の向こうから、英語の歌が聞こえてくる。自称、起きてる少女も、しっかり手と足は動いている。
 教室内、そして扉の向こう側のテンションが最高値まで高まった瞬間、扉がもの凄い勢いで開けられ、
 「Singing」
 髪型をオールバックにした身長190センチ、体重105キロ(自称)の筋肉の塊のような大男が、ランニングの上にスーツでビシッと決めて、入ってくる。
 「We will We will Rock you!!」
 生徒と大男が熱唱する。ノリのイイ男子生徒なんかは立ち上がってしまっている。
 「We will We will Rock you!!」
 「Good Morninng My Studennt's!!!」
 いつも通り、教卓の後ろで一回転してから、大男は出席簿を置きながら呼びかけた。
 「Good Morninng My Teather!」
 「しづ姉っ、ちょいやっ」「うーす!!」「オハヨーしず姉ぇっ!」「ざいまーす!」「しづ姉、久しぶりぃ〜!」
 さっきまでの統制はどこへやら、生徒達は、それぞれ好き勝手に返事をして、それを大男はさも楽しそうに聞いている。
 そう、この大男こそ我らが2−Aの担任にして、故フレディ・マーキュリーを心底リスペクトしている真性のハードゲイ。しづ姉こと『高杉しづる』である。
 と、なると、朝の自分の受け持ちクラスの女生徒の胸元に、触ってはいないとはいえ男性教諭が手を伸ばすとは何事かと、思われるかもしれないが、嘉穂本人はビックリしただけで、その行為自体については全く問題だと思っていない。だってこの人、ホントにゲ…
 …ゴホンっ。乙女なのだ。見た目はともかく、心は完全に乙女である。そうでなければ、教室に入るのに、毎回『クイーンの名曲を熱唱しながら入ってくるフレディの格好をした40近いマッチョ』の歌であんなに盛り上がるワケないし、女生徒から、しづ姉と呼ばれ、さらに『女子生徒が選ぶ恋の悩みを相談しやすい先生』で15年連続トップの偉業は達成できない。とにかく面倒見のいい頼れるお姉さまなのだ。
 ちなみに約1名、ハンモックの上で爆睡中だけど、誰も気にしない。担任が「大切な事は、後でワタシが言っておくから、寝かせてあげて」なんて言う為、今では誰も気にしなくなったのだ。…と、言うかこの大騒ぎの中、寝続けられるのも凄い事だとは思うんだけど。
 
 「はい、じゃぁ、これから始業式だから皆、遅れないように大講堂に集合ね。…そ・れ・か・ら、今、課題を一生懸命写してるコ達はいくらヤバイからって、始業式サボるなんて事がないようにね。…それじゃ、また後で」
 HRを必要最低限にまとめると、最後に釘を刺してしづ姉は、職員室に戻って行った。
 「だって。ラン」
 さっきから、鬼気迫る表情で写し続けているランに声をかける。
 「解ってるって。もうやんないって」
 ランは手を止めることなく答える。
 「しづ姉、ホントに泣きそうな顔で一緒に謝ってくれたからね。アレは怒られたり、怒鳴られたりするより全然キツかったよ…二度とやんない」
 そうなのだ、去年、始業式をサボって写し続けていたランは、最悪な事にその現場を生活指導の西郷先生に見つかってしまって、もの凄い怒られたらしい。そんな時でも自分をかばってくれたしづ姉を、ランはかなり尊敬している。っていうか、ランはランで結構マイペースなので、ランに言うことを聞かせられる教師は、しづ姉だけというのが実態か。─そう思ってるなら、ちゃんと課題やってくればいいのに。
 「ソレはソレ。コレはコレ」
 まったく、困った友人だ。
 「お〜いっ!そろそろアタシ達も行くぞ〜」
 廊下側の席から次子が声をかけてきた。
 こういう集会などで講堂に集まる場合もこの学園は各自で行く事になっている。入学したてで、まだ校内に明るくないうちはクラス単位で移動するが、1ヶ月もたてば、それぞれで移動するようになる。
 「あ、うん。雅、行こ。」
 振り向くと、まだ、目は開ききっていないものの、さっきと比べたら、全然起きた顔の雅に声をかける。
 「ああ」
 短く答えて立ち上がると、雅は面倒くさそうに、私とランの後を歩きだす。
 「起きろ」
 通りすぎ様に、雅はハンモックを半回転させる。
 半回転ということは、今まで人が寝ていた面が下になるということで、そうなると当然。
 「うおぉっ!危ねぇぇぇっ!!!」
 うつ伏せに自由落下していった斎は地面スレスレで目を覚ますと、キレイに着地した。
 「アホぉっ!!!毎回毎回、サバイバルな起こし方しやがって!!しかも、オメーっ!今の全然なんの気配もしないまま半回転じゃねぇかっ!!作業か!?お前、ボクの暗殺未遂は、もう作業の領域か!?オメーは、どこの殺戮兵器(キリングマシン)だ!?…って!いねぇっ!!!!!」
 「斎、置いてくよ〜」
 教室の扉から、顔だけ出して嘉穂は斎に声をかけた。
 「んだよっ!このすれ違い様の殺意はよぉっ!!うわっ!待ったっ!!待ったっ、待てイトー!!ボク、講堂の場所解んねーのお前知ってんだろ!?迷子がっ!もれなく迷子がっ、ミラクルキュートな迷子がっ!!!」
 「はいはい、待ってるよ」
 「イトーっ!オメーだけだよっ!ボクの美しさに嫉妬せず、ひたむきに生きてんのはっ!」
 「嘉穂は、斎に甘過ぎ」
 「ほっとけ、ほっとけ」
 「そういうこと」
 「…」
 前を歩く4人が好き放題に文句を言う。
 「ゴラぁっ!!最後ぉっ!!雅ぃっ!!!オメー、コメントなしかぁっ!ド畜生がぁっ!!!!そんなにダルイなら、もう酸素吸うなっ!ボクの分の酸素を吸うなぁっ!!!!」
 斎はそう吼えると、もの凄いスピードで一気に嘉穂が顔を出しているドアから出て来た。
 「ちょっ、斎っ!」
 そのスピードは凄まじく、嘉穂のスカートの裾をヒラヒラと浮かせる程だった。(あくまでも浮かせただけ、男子諸君。残念でした)
 「しまっ!曲がりきれねぇっ!!!!!」
 大抵の校舎がそうであるように、この星影学園の校舎も教室から出たら、まず、左右どちらかに進路を変えなければならない。早い話、扉の延長線上は『壁』である。
 「うぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!!!」
 斎の咆哮とほぼ同時に「ガシャァーン」という派手な音が廊下に響き渡り、『自称』143センチの小さな体が宙に投げ出される。
 「伸身(スワン)の3回転ぅっ(トリプル)!!?」
 自らが突き破ったガラスの破片と一緒に3階から、落下していく斎に、ランが無茶な注文をする。
 「でぇぇぇぃっ!!!」
 それまで、身を屈めてゆっくりと回転しながら落下していた斎が、身体をピンと伸ばして、回転の速度を一気に上げた。
 …1回転…廊下にいた生徒達が窓際に集まる。
 …2回転…下にいる人達…ビックリするんだろうなぁ…毎度の事とはいえ、イキナリ『空から女の子』だもんなぁ。
 …3回転…ガラス片を避けながらキレイに着地。と同時に湧き上がる歓声。
 「見せもんじゃねぇっ!!!騒ぐな凡人っ!!!!!」
 ギャラリーに向かって、斎が毒づく。さすが根っからのエンターティナー。本人に自覚はゼロだけど。
 「うわはははははっ!!ココまで来れば講堂には、どうやったってボクの方が早くつくぜぇっ!ノロマぁ〜、ノロぉマぁ〜っ!うわははははははっ!!!!」
 高笑いしながら、ベリーショートの弾丸娘は、講堂とは真逆の方向に消えていった。
 「さて、行きますか」
 「うん」
 頷いて、5人で講堂に向かう。
 (いつも通りの展開だなぁ)
 なんて、考えてしまう伊東嘉穂、16歳の秋は始まったばかりである。

 
 追伸。道に迷った斎は始業式中盤に放送室をジャックして、迷子のお知らせを自分で入れて、保護者(雅)に迎えに来てもらい、なんとか式が終わる前には辿り着いた。これも、いつも通り。まったくもって今日もこの学園は平和そのものである。
  


続く




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