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「 阿修羅さまがみてる 」 シリーズ
〜阿修羅さまがみてる〜 『 微妙に奇妙な異常が尋常 』
作:鬼 団六



 「オハヨー」
 「ごきげんよう」
 「うーす」
 「もーにんっ」
 「ちょいや」
 さまざまな朝の挨拶が澄みきった青空にこだまする。
 甲府の盆地に集う生徒たちが今日も天使のような無垢な笑顔だったり、割りと悪い事思いついちゃった的な顔で、学校名の代わりに『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と書かれた門をくぐって行く。
 なんとなく青春真っ盛りな心身を包むのは、思い思いにコーディネートされた私服。
 スカートのプリーツってなんだ?白いセーラーカラーがついてるヤツなんか、まずいねぇ。ゆっくり歩く人もいれば、わりとツカツカと歩いていく人もいる。もちろん、遅刻ギリギリだったら、達観している一部の生徒を除いて、全力ダッシュである。
 
 私立星影学園
 
 『自称』卒業生第一号が聖徳太子だというこの学園は、もとは豪族の令嬢、子息のために作られたという、全寮制の学校である。
 山梨県甲州。環境破壊が叫ばれて久しい昨今にあって、未だ緑の多いこの地区で、寮に入れられ、その割に、校則があるんだかないんだかイマイチ解らない自由主義のある意味無法地帯。
 時代は移り変わり、17条だった憲法が(!?)11章103条に増えた今日でさえ、卒業するころには、大抵のことでは驚かない、頑強な精神力が養われる、とういう教育の現場としてどうにも個性的過ぎるスタンスの学校である。


 そんなスタンスの学校だもんだから、変わり者ってのが多数いる。
 というか、集まる。
 これ、必然。
 神のお導きとも言うかもしれない。どんな神かは知らないが。

 ま、何はともあれ、『 命短し、恋せよオトコノコ! 』とくらぁ!




〜 電車で豪! 〜


 それは3月の出来事。
 全寮制で鳴らす星影学園の最寄り駅まで行く電車の中。
 今日は、新入生の入寮日。
 必然的に、新入生らしい若人たちが、多く乗っていて、適度な混み具合だ。
 しかし、学園貸切列車ではないので、電車に付き物の不埒者も、乗ってしまっていたらしい。
 所謂、『 痴れた漢と書いて、痴漢 』という人種である。

 星影学園・新入生の「 篠原 泰志(シノハラ・ヤスシ)」は、目撃してしまった。
 自分と同じ位の年齢の女の子が、今まさに、その被害に遭った瞬間を。

 女の子は、身の丈160センチ位。髪の毛は赤毛で、背中の真ん中位まで伸び、軽いウェーブがかかっている。ブルーのキャミの上に、ふんわりとした質感の七分袖の白いシャツ。パンツは細身のGパンで、足元は星のマークの赤いスニーカー。右肩に、大きめのバッグを提げている。
 特徴的なのは、きめの細かな白い肌と、クリッとした大きな瞳に、ピンクのセルロイド・フレームの眼鏡。

 そんな女の子が、その瞳を閉ざし、吊り革に手をやり、電車に揺られている。
 背後に迫る、痴れた漢の、悪意に満ちた手に抵抗できる様子もなく。

 篠原は、女の子を助けようと動いた。
 彼は身長も高いし(180以上ある)、中学時代は剣道部に所属していた(あまり真面目ではなかったが)ので、多少の心得と自信があったのだ。
 それに、同じ車内で見かけた時に『 いいな 』と思った女の子なのだ。
 暇つぶし用に用意した文庫本を眺めつつも、女の子が気になって気になって、チラチラ見てた位だ。(ま、だから、彼女の危機に気付いた、という側面もある)
 そう、彼には今、美しいお姫様の騎士(絶対に「 ナイト 」と読んで欲しい)になれるチャンスが訪れているのだ。
 お姫様には災難でしかないシチュエィションだが、篠原にとっては、ここで騎士になれなかったら、オトコ・ランクは急降下、という待ったナシなシチュエィションである。
 だから彼は、彼女の臀部に触れている、痴れた漢の魔の手を掴んでやろうと動いた。
 「おいっ!」
 と、篠原が声を上げるのと、ほぼ同時に……

 「いい加減にしてよねっ!!」

 …という威勢のいい啖呵とともに、痴れた漢の手が捻り上げられる。
 勿論、やったのは彼女。
 「い、痛い、痛いでござるよっ!?」
 悲鳴を上げる痴れた漢。
 伸ばした手が空振りに終わり、途方に暮れる篠原。
 突然の出来事に、雰囲気が一変する車内。
 「な、何をするでござる!? 拙者は何もしていないでござるよっ!!」
 開き直りが、鼻に付く痴れた漢。というか、口調がウザい。
 「ウソだね! さっきから私の…」
 「し、証拠はあるでござるか!? 場合によっては、出るトコへ出るでござるよ!?」
 と、ここで篠原、放心状態から回復。自らの取るべき道を思い出した。
 「いや、オレ見てたし」
 まだダメージが残っていたのか、出た台詞が、何故かキムタク風だった。
 「な、何でござるとっ!?」
 「ホラホラ、証人も出てきたわよ? どうする? 出るトコ出る?」
 口元に物騒な笑みを浮かべる彼女。篠原はその様子を素直に「 カッコいい! 」と思ってしまった。
 「う、う、ううぅぅ……」
 痴れた漢は唸るコトしか出来ない。
 「帰〜れぇ! 帰〜れぇ!」
 リズムが妙な上、何とも場違いな(だって列車内だし。停車するまで密室だし)「 帰れコール 」が起こる。
 篠原が声のした方向を見ると、七五三のような格好をしたオールバックのオトコが、周りの空気を読むコトなく、コールを独唱中だった。
 七五三の周囲が、徐々に包囲を広げていく。しかも若干の舌打ち交じりで。理由は多分、気味悪いから。
 七五三に目をとられているうちに、列車が駅に着く。ここはまだ、学園前ではない。
 扉が開く。
 「チ、チャンスでござる〜、うっ!?」
 女の子の手を振り解き、車外へ逃走しようとした痴れた漢!
 しかし、背中を向けた瞬間、女の子に首をロックされる。
 そして、ここからの女の子の言葉は、痴れた漢と、その傍に立っていた篠原以外には聴こえなかったのだが……
 「…何がチャンスだ、このゴザル野郎。今度その面見せてみろ。お前ん家の隣の家、燃やすぞ」
 ハスキーな音色で紡がれた、その言葉の冷たさに、2人は振るえ上がる。
 だって、隣の家を燃やすなんて脅し文句……正気の沙汰じゃない!
 「あ、あい、わかったでござるっ!!」
 痴れた漢、震えながらも返事。
 「OK♪ なら、行ってよし」
 女の子が、その腕を解く。口元には、壮絶な笑み。
 篠原は再び素直に「 カッコいい! 」と思ってしまう。
 急ぎ足で駅のホームへ降りる痴れた漢。よせばいいのに、振り返り…
 「チキショゥ! 覚えてやがれでござるよ〜、うっ!?」

 …何が起きたのか、解説しよう。
 ホームまで無事逃げおおせた痴れた漢だったが、やはり悔しかったのだろう。
 振り返り、ビシスと女の子に向けて人差し指を突き出し、捨て台詞を言い放った。
 ここで普通なら、列車のドアが閉まり、2人の空間は遮られ、電車はガタンゴトン、女の子は「キーッ、悔しいっ!」となるハズだった。
 しかし、これは「 阿修羅さまがみてる 」である。
 閉まったドアに、痴れた漢の手首が挟まり(要は、距離の目測を誤った)ドアは安全優先のために、再び開いてしまったのである。

 「…へぇ、いい度胸してんじゃない…」
 気まずい沈黙…というか、ワケのわからない沈黙を破ったのは女の子だった。
 「い、いや、待つでござるよ! ラ、ラヴ&ピィ〜ス!!」
 痴れた漢が、完全に恐慌状態に突入している。両手を頬の脇へ持っていき、Wピースサインを出しているのが、見る者全てに、怒りの闘志を湧かせる。
 「うるさいっ! そして、ウザいっ! こんの、女性の敵めぇ!!」
 言うが早いか、彼女は篠原の持っていた文庫本を引っ掴むと、それを痴れた漢に向かって投げつけた。
 「あっ!!」
 「ほげっ!!」
 文庫本は、それはそれは綺麗に痴れた漢の眉間に命中し、痴れた漢は、それはそれは綺麗にホームで宙を舞った。
 「お荷物、お引き下さい。ドア、閉まりまぁ〜す」
 この車両で起こったドラマなんか、知るよしもない車掌さんのアナウンスが流れ、ドアは閉まった。

 そして、列車は動き出す…
 痴れた漢の骸(いや、流石に死んではいないが)をホームに残したままで…
 メー○ルは、何も言わない……

 と、あまりの出来事に、勝手なナレーションをつけるコトで現実逃避していた篠原だったが、不意に掛けられた声に、逃避中断。というか、終了。
 「ありがと」
 「へ?」
 「さっき」
 「へ?」
 「助けようとして、手を出してくれたじゃない?」
 「あ、あぁ、アレね?」
 「あと、本のコトは…ゴメン!」
 「い、いや、いいよ。ただの暇つぶしのための本だったし」
 至近距離で見ると、やはり可愛い。というか、美人だ。
 大きなクリッとした瞳が、ややつり上がっていて、顔の造作の彫りも深い。赤毛の印象も手伝って、日本人ではないような美しさがあった。
 そのパワーに、篠原は圧倒され、気の利いた答えが返せない。
 「いや〜、難儀な目にあいましたなぁ、お嬢さん〜」
 車内の少し離れた所から、間抜けなバカ声が近付いてくる。
 先程の「帰れコール」で一躍有名になった(本人の目指すベクトルとは真逆だが)、七五三・オールバックが2人に歩み寄ってくる。周りの乗客が気味悪がって避けて行くので、さながら「 モーゼの十戒 」のようだ。無論、聖人気取りなのは本人だけ、というイタイ話なんだけど。
 「…知り合い?」
 女の子が、七五三を指差し、篠原に尋ねる。
 「違うよ」
 ありのままの事実を即答。
 「おいおい、つれないじゃね〜の、えーと…アレだよな、大野木クン♪」
 七五三、無茶しすぎ。篠原の身長が高いからって、勝手に連想した名字で呼ぶな。
 「オレは、篠原だ」
 「じゃあ、篠原クン♪」
 「…ちょっと、そこの七五三」
 流石に、女の子もイラッときたか?
 「ノン、ノン、ノン♪ 七五三じゃなくって、ボクの名前は、まつばぁっ、痛い痛い痛いぃ!?」
 女の子は七五三の自己紹介も終わらぬうちに、彼の手首を掴み、そのまま後ろへ捻り上げる。
 「…今、私は彼と話してんの。余計な首、突っ込んでくんじゃねぇよ、ボーイ」
 例の物騒な笑みが浮かんでいる。
 「オ、オーケィ、オーケィ♪ じゃあ、ボクはここらでドロンさせてもらうよ♪」
 「…ド、ドロンて……」
 つい呟いてしまう篠原。
 そして、七五三は再び「 モーゼの十戒 」現象を引き起こし、見えない所まで悠然と歩いていった。
 …いや、逃げていった、が正しい、多分。
 彼の目は、ガチで怯えていたのだから。

 「さて、と……篠原君、だよね?」
 物騒な笑みから、極上の笑みへ急変動。
 「へ!? オ、オレ、名乗ったっけ!?」
 篠原、正直バカ丸出し。
 「さっき自分で言ってたじゃない。…え、もしかして、偽名? 芸名?」
 「い、いや、本名だけど…」
 「ファースト・ネームは?」
 「や、泰志。安泰の泰に、志すで、泰志。因みに篠原の篠は、竹冠が付く方」
 「OK OK、篠原 泰志君ね? 覚えた♪」
 「えっと、君の名は……」
 「篠原君も、星影学園まで行くんでしょ?」
 絶妙の間で、篠原の質問はキャンセルされた!
 「え、あ、うん」
 「新入生?」
 「あ、ああ」
 「…いちいちドモるの、止してくんない? 尋問してるみたいじゃない」
 「ご、ごめん」
 「ホラ」
 そう言いながらも、女の子は悪い印象は持っていないようだ。笑顔が眩しいもの。
 「私も新入生なんだ。…って、この車両に乗ってる同世代、皆、そうだと思うけどね」
 「入寮日だもんな」
 何とか「に、」を飲み込む篠原。
 「…ってコトは、さっきの七五三もそうかぁ…」
 舌打ち交じりに、そう呟く女の子。そんなに嫌か。
 「…あのさ、君の名前は……」
 「次はぁ、星影学園〜。星影学園〜。忘れ物の無い様、気をつけるのだぞ、若人達よ!」
 「…何よ、このアナウンス。トバしすぎじゃない?」
 粋な車掌のアナウンスによって、篠原の質問は再びキャンセルされた!
 「確かに、ちょっとトバしすぎだよな」
 「もう着いちゃうのか…旅も、あっという間だったなぁ」
 「旅って、どこから来たの?」
 「今朝は東京の親戚の家から。でも、3日前はカナダにいたから」
 「カ、カナダァ!?」
 予想もしてなかった遠距離入学だった。
 「そ。こう見えて、帰国子女ってヤツ♪」
 「いや、言われりゃ納得だけど…」
 「え? ああ、この赤毛でしょ?」
 髪を一束掴むと、それをちょいと持ち上げる。
 「別に、カナダの血が入ってるワケじゃないんだけどなぁ」
 「え、そうなんだ?」
 「うん。ウチの家系には、どこまで遡っても日本人しかいないよ」
 「ってコトは、染めてるの?」
 「地、毛! わざわざ染める位なら、もっとハデにするって」
 「へぇ〜…綺麗な髪だなぁ……」
 「アハハ、ありがと♪」
 そうこう言っているうちに、電車が駅に着く。
 新入生と思しき若人が、一斉に下車していく。
 「突然変異、としか思えないんだよねぇ。親戚中を探し回っても、こんな赤毛はいないしさぁ」
 勿論、2人も下車し、ホームを歩く。
 「あ、篠原君はどこから来たの?」
 「オレは……」
 「ちょっと待って! 当ててみる!」
 「は?」
 「え〜と………小手指!」
 「違うっ!」
 自信満々に大ハズレ。その様子に、篠原も笑う。
 「何で3日前までカナダに居たくせに、そんな地名が出てくるんだよ」
 「いや、語呂が良くって、覚えちゃったのよ、小手指」
 「語呂がいい?」
 「そ。ホラ、『 小手指ハンマー! 』…みたいな?」
 「なんだよ、ソレ」
 そんな会話をしながら、改札をくぐる。
 「でも、あながちハズレてないかな」
 「ん、何が?」
 「オレの出身地。埼玉県の川越市だから、近いっちゃあ、近い」
 「おっ、やるじゃん、私〜♪」
 「かなりの甘口採点だけどな」
 「そういうコト言わないの」
 「悪い、悪い♪」

 学園の傍に建つ学生寮に向かって、人の流れができている。
 そんな中、篠原は短時間でかなり「くだけた口調」になっていた。
 この女の子は、話し易い。そういうオーラというか、何かを持っている。
 そう、篠原は感じていた。
 人の流れに乗りながら、2人は楽しく話した。

 「あ、私、先に学園の方に行かなきゃいけないんだ」
 4月から通う学園の門が見えてきた所で、不意に女の子が言う。
 「じゃ、またね」
 そう言って、流れから外れようとする。
 「あ、ちょっと!」
 篠原の手が伸びる。離れようとする女の子の手へと。
 「ん、何?」
 突然手を握られたにもかかわらず、不快そうな様子は無い。
 「名前…」
 「え?」
 「君の名前、聞いてない……」
 女の子の表情が、一瞬固まる。ほんの一瞬。
 「あれ、言ってなかったっけ?」
 もう笑顔。
 「ああ、聞いてない」
 篠原は真剣だ。
 「…いずれ、わかると思うよ? 私、目立つから」
 握られた手を、やんわりと解き、女の子が笑った。
 「答えに、なってない…」
 さっきまで近かった距離が、物理的にも、精神的にも離れていくようで。
 「…絶対に、わかる時が来る。そしてその時、篠原君はきっと……」
 最後の方は、消え入りそうな声。儚げな笑顔。
 「え、オレが何だって?」
 「何でもないっ! じゃあ、またね!」
 そう言うと、学園の門を駆け抜けていく。
 走り去る後姿に、赤毛が揺れていた。
 篠原は誓った。
 あの女の子を、何としても探し出す、と……




〜 あれ? 〜


 入寮日。
 篠原は、これから3年間を過ごす部屋に居た。
 床は綺麗なフローリング。部屋の奥にはサッシの窓があり、そこからベランダに出られる。その手前に机&椅子が2セット、椅子の背中が向き合うように並べてあり、更に手前に2段ベッド。逆の壁際には収納タンスが2つ並んで置かれている。これだけモノが置かれていても、部屋の中央は空いていて、かなり広いコトがわかる。更に、入り口のドアを入ってすぐの所に簡単なキッチンもあり、小型ながら冷蔵庫まである。
 贅沢な部屋だなぁ、と篠原は思った。
 設備の充実加減にひとしきり感慨を深めた後、「まずは荷物の整理を」と、郵送されてきていた荷を解く。
 大体の荷解きが終わった頃、ドアがノックされた。
 これからの3年間を、共に寝起きするルーム・メイトがやってきたのだと思った。
 ルーム・メイトが、入寮が遅れているという事実を、先輩から聞いていたから。
 だから、ドアがノックされた時、何の気なしに出た。
 新たな友人を迎え入れるために。
 篠原の「はーい」という声とともに、ガチャ、とドアが開く。

 『 あ…… 』

 2人とも、声を失い、その場に固まる。
 先に沈黙を破ったのは、相手の方だった。

 「や、やっほー♪」
 控えめに、手を上げ、若干引きつった笑みを見せる。


 「え、えっと……」
 篠原は混乱する頭の中で、必死に言葉を探す。そして……
 「…ここは、男子寮なんだけど……」
 「うん、知ってる」
 「……えっと…?」
 「男子寮で間違いないの」
 「……えぇっと…?」
 「私、男の子だから」
 「……んん!?」
 「だから、ここが私の部屋なんだってば、篠原 泰志君」
 「…えっ……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
 「…こんなに早く再開するとは思ってなかったけど……私の名前は『 馬越 美紀(ウマコシ・ミキ) 』。改めて、よろしくね、篠原君♪」

 そう、篠原の目の前に居たのは、あの赤毛の女の子、改め、男の子だった。




〜 話、戻りまして「美紀の入寮とか」 〜


 少し時間を戻す。
 美紀はまず、学園の方に行かねばならなかった。
 帰国子女なので、色々な手続きがあったからだ。
 しかも、星影学園は全寮制だから、日程に余裕が無い。
 正直、カナダのミドル・ハイ・スクールを卒業してから、速攻来日。それから3日後に入寮はしんどい。
 が、美紀には日本に戻らねばならない理由があった。

 「ウム。諸々の書類は確かに受理したぞ」
 「ありがとうございます、学園長♪」
 美紀の目の前に居るのは、この学園の長、金田舞次郎。
 会うのは、面接試験の時以来だ。(試験に関しても、かなりの強行日程で来日した)
 「詳しい話は面接の時にした通りじゃ」
 「ハイ」
 「チミはまぁ…イロイロと特徴的な生徒ではあるが……」
 「だから、星影学園に来ました」
 「ウム…忘れもせん、チミの学園への志望動機……」
 学園長は遠くを見つめる瞳になる。
 「『 日本で1番、自由な学校だと聞いたから 』…我が学園の名は、遠く、海を隔てまくったCANADAにまで轟いておったかねっ、馬越クン!?」
 「ハイッ♪」
 極上の笑みで返事する美紀。しかし、学園のコトはカナダで聞いたワケではなく、日本に住む親戚から聞いた、というコトは伏せている。言う必要がないから。
 「ウムッ! では、3年間頑張るのじゃぞ!」
 「ハイッ!」

 学園長室を出て、廊下の窓から外を見渡す。
 数日前まで住んでいたカナダとは、全く違う風景がそこには広がっていた。
 寮の方を見る。
 あそこが、これから3年間住む場所。
 これから、どんな出会いが待っているのだろうか。
 電車でいきなり、好感の持てる同級生に出会えた。
 幸先がいいとは、このことだ。

 美紀は、他の新入生達から少し遅れて、男子寮に入った。
 玄関を入った瞬間……
 「あ〜、こっちは男子寮だよ、男子寮!」
 予想通りのコトを言われた。
 「だから、男子寮に来たんですけど」
 「はぁ!?」
 「名簿に載ってませんか? 私、馬越 美紀です」
 「う、うま、うま、うまうま…」
 美紀は笑顔だが、内心、『どんくさい先輩だなぁ』と思った。
 「あ、あった。馬越 美紀……って、キミがぁ!?」
 「そうですってば」
 「ト、ト、ト、トォシィ!!!?」
 美紀の思う所の『どんくさい先輩』が、情けない声を上げる。
 「ぁんだよ、総太(ソウタ)! 今、オレは恒例の出し物の指導に忙しいっぃい!?」
 奥から、バカ声を上げながら出てきたのは、みんな大好き土方 歳夫(ヒジカタ・トシオ)。今日から、男子寮の寮長に就任している、もうすぐ2年生のナイス・ガイ。
 「も、もう現れたってのか!? 早い、早すぎるっ!!」
 「い、いや、違うんだよ、トシィ!!」
 「っせぇ!! 来ちまったもんはしょーがねぇ…やるぞ、みなの衆!!」
 「うぉおおおおお!!!!」
 玄関に、もうすぐ2年生の雄たけびが響く!!
 廊下の方で、何事かと、目をキョトンとしているのは新入生。うーん、わかりやすい。
 「いくぞぉ! 三角形体っ! よ〜い、はじめっ!!」
 土方の号令の下、もうすぐ2年生たちが、玄関で『 組体操のピラミッド 』を作る。
 しかも、何か凄い勢いで。効果音とか、ガシーン、ガシーンとかいいそうな位。
 5段目、つまり最上段に土方が乗っかり、三角形体は完成した!!
 「総太ぁ、その新入生のお名前は何だぁ!!」
 「ち、違うんだよ、トシィ!!」
 「何がだよ!? ここで中止なんて興醒めだヨ!? ああ、興醒めですともっ!!」
 「このコ、オトコノコなんだヨー!!!!」
 「な、何ぃ!?」
 三角形体全員が、首を上げ、正面に居る美紀を見る。(それはそれは不気味だった)
 「マ、マジデスカ?」
 最上段で腕組みをしてカッコつけてはいるものの、動揺の隠せない土方。
 「新入生の馬越 美紀でーす♪ 先輩方、よろしくお願いしまーす♪」
 美紀はわざと、キャルキャルした言い方にしてみた。
 「こんにゃろー、総太ぁ!! てめ、つまんねぇウソついてんじゃねぇ!!」
 「そうじゃそうじゃ、沖田クンッ!! そのコが男なハズがないっ!!」
 次々上がる総太への非難の声。つーか、罵声。みんな、三角形体のまんまだから、必死。
 「だ、だ、だ、だってぇ、名簿にぃ!!」
 涙声の総太。流石に、このままでは埒が明かないと思ったのか、土方が、
 「三角形体っ! 一時、中止っ!!!」
 と号令を出し、三角形体は「グダグダのなぁなぁ」なカンジで解体された。最初の勢いはドコ行ったんだ、お前ら。
 「総太、ちょい名簿貸せ」
 土方が名簿をチェックする。
 「……あ、あるな……馬越 美紀……」
 「だから、そう言ってるじゃないですか」
 美紀が、頬を膨らませる。間違っても男には見えない。
 「ウ、ウム……よし、イッタ」
 「何じゃ?」
 「確認しろ」
 「おう!」
 言うなりイッタと呼ばれたマッスルが、美紀の胸に触る。
 「!!!」
 美紀、無言でビンタ。イッタ、吹っ飛ぶ。
 「どうだった!?」
 「ちょ、ちょっと、待つんじゃ、トシ…」
 「何だ?」
 「今の、ワシがやらなきゃならん必然はあったのか!?」
 「必然ならある!」
 「どんなじゃ!?」
 「今は言えん!!」
 「この、悪魔ぁ!!」
 「真実の究明のためならば、ワタクシ、悪魔にだってなりますわっ!! で、どうだったよ?」
 「うっすい大胸筋じゃあぁっ!?」
 イッタ、盛大に頭をどつかれる。踏んだり蹴ったりだ。
 「予想通りのバカ回答をア・リ・ガ・トゥ!!! 小ネタはええねん、早よ真実をっ!!」
 「い、いや…ちょっとだけ、こぉ…ポヨンって……」
 「なななななななななな、何ぃ!?」
 「総太、うっさい!!」
 「いや、ほんのちょっとだけじゃぞ?」
 「あ、それ錯覚ですよ、きっと」
 しれっと美紀が言う。そして、胸を触って、
 「童貞っぷりを忘れて、落ち着いて触ってみたらわかりますヨ?」
 物騒な笑みを浮かべる。
 「のわっ!!! ワシはもう行かん! トシが行けぃ!!」
 「ボ、ボクだってヤだかんね! トシが行けばいーんだっ!!」
 「ム、ムゥ…コヤツはまた、とんでもないルーキーが入ってきたようだナ…」
 土方は先程の『 別のベクトルで頼もしいルーキー 』の事を、ふと思い出した。

 「先輩っ!」
 「何だ、七五三?」
 「松原ッス!! この学校に『 再生紙を作る設備 』はありますかっ!?」
 「……はぁ!?」
 「いや、オレちゃんクラスの『 常時モテ期さん 』ともなると、ラヴ・レターがわっさわっさと、そりゃあもぉ、湯水のように湧いて出る可能性がですね…」
 「ああ、わかった、わかった!」
 全く、とんでもないバカが来たようだ。
 土方はそのまま、『 牛乳パックを使った再生紙の作り方 』を教え、松原を追っ払った。
 嬉々としてメモを取った挙句に、追っ払われる松原もどうかと思う。
 再生されるのは、お前の飲んだ牛乳パックであって、貰う予定(あくまでも予定。つーか、鉄板で妄想)のラヴ・レターじゃないのだから。
 根本的な間違いと悪意に気づけ。

 土方が、あんまりにもどうしようもない回想にふけっている間に、事態が急転する。
 「どうした、土方! 騒々しいぞ!!」
 「あ、佐々木先輩」
 不意に玄関に現れたのは、もうすぐ3年生の、佐々木 三郎(ササキ・サブロウ)。
 彼は、風紀委員会のもうすぐ委員長だ。

 星影学園風紀委員会。通称『見廻組』と呼ばれる星影学学園風紀の絶対守護者。星影学園という無法地帯に徘徊する校則(ホウ)の番犬。違反者を一切の温情なく処分する徹底組織。校則の名の下に行われるその指導には、時に暴力を用いる事も辞さないという体質ゆえに、一般生徒からの評判は最悪であるものの、その悪名を悪名とも思わない厚顔不遜。生徒会(はっきり言って学園最弱の機関なのだが…)も手出しできず、その戦闘力ゆえにド派手に喧嘩をしていたボクシング部とラグビー部の屈強な男達が、見廻組到着と同時に手を組み、それでもなお蹂躙される。というエピソードまで持つ、保守派の最大戦力。
 そして、この見廻組の特徴の1つが、『 戦闘能力の高い順に、役職に納まる 』
 つまり、佐々木は……というワケである。

 「いや、コレはですね…」
 土方が事情を説明しようとすると……
 「何ィ!? 大きくふりかぶれないだとぉう!?」
 「んなコトァ言ってねぇ!! アンタ、頭、沸いてんのかっ!?」
 「では、どういうコトだ?」
 正直、佐々木先輩、ピントがずれていらっしゃる。
 「この、新入生のコトでですね……」
 「ああ、馬越君か? 問題ないじゃないか」
 「は? 知ってるんスか?」
 「ああ。学園長から直々に『 本人に、風紀を乱すつもりはない生徒だ 』と聞いている」
 「いや、今問題になっているのは、そういうコトでなくってですね」
 「なら、何が問題なんだ?」
 「いや、この新入生が、本当に男子なのか、と。そーいうコトでですねぇ……」
 「フッ、土方、焼死っ!!」
 「漢字、間違えんなぁ!!」
 「スマン! ……笑止っ!!」
 「はぁ、どういうコトッスか?」
 「こういうコトだ」
 そう言うと佐々木は、スッと美紀の前に立つ。
 「スマンな、新入生」
 「…って、やっぱり、そうなりますか?」
 「今後の学園生活のためだ。2度はないから、安心しろ」
 「2度があったら、私もキレますからね」
 怖いもの知らずの美紀。またもや、物騒な笑みが浮かんでいる。
 「その時、君は、存分にキレるべきだ。その相手に向かって、な」
 「それは、偉いヒトからの許可ってコトでいいんですね?」
 「ああ。(もうすぐ)3年見回組・組長、佐々木 三郎が許可する」
 「じゃ、OKです♪ いつでもどうぞ?」
 「では、参るっ!!」
 佐々木の右手が高々と上がり、指をわきわきさせて、骨をパコンと鳴らす。
 そのまま、その右手は美紀の股間へ!

 玄関の、時が止まった……

 「…あの、そんなモンで」
 「ウム、すまなかったな、馬越君」
 佐々木は手を離すと、律儀に美紀に一礼し、非礼を詫びる。
 それから、沢山集まってしまったオーディエンスを振り返ると、
 「皆の者っ! 馬越君は『 オトコノコ 』であるっ! 今、ここで見回組が保証する!!」
 高々と宣言したので、オーディエンスから、大歓声が上がった。
 「と、いうコトだ、土方よ…」
 佐々木はそう言いながら、右手を土方の肩にポンと乗せる。
 「直球な確認の仕方ッスねぇ…って、オイッ!! その右手でいきなりヒトに触れんなぁ!!」
 「ん?」
 「布越しとはいえ、洗え! いや、せめて、拭けぇ!!」
 「非道いっ、土方先輩ったら、私が汚いっていうのっ!?」
 「えぇい、しなを作るなぁ!!」

 とか、そうこうしているウチに、来客がきてしまった。
 毎年、何故か、女子の荷物が男子寮に紛れ込むのである。
 そして、それを持て成すのが、毎年の慣例行事になっていた。
 来客というのは、「荷物の紛れこんでしまった女子生徒」のことである。
 (先程の土方の「も、もう現れたってのか!? 早い、早すぎるっ!!」というのは、女子生徒と美紀を間違えたから出た台詞である)
 そして…

 「では、荷物をの受け渡しの前に…慣例に乗っ取り、儀式を始めるっ!!各々方、準備はよろしいかっ!!?」
 男子寮長、土方の号令に寮にいた2年生が「応っ!!」と威勢よく返事をする。
 「…?なにが始まるんですか?」
 「…さあ?」
 荷物の紛れ込んでしまった女子生徒と、その引率の2年生女子のお2人、これからなにが行われるのか、まったく見当がつかない様子。
 「ではぁっ!!松崎静馬(シズマ)さんのご入学を祝してぇっ!!三角形体〜っ!!」
 「応っ!!!」
 返事をすると、男子生徒たちは、2人の目の前に5段重ねの人間ピラミッドを作り上げた。
 「…」
 2人の女子は呆気に取られるしかない。
 「万歳三唱ぉっ!!!」
 「!?」
 土方の号令に、こっそり様子をうかがっていた美紀の顔が仰天する。
 人間ピラミッドに向かって「万歳三唱」の号令。普通だったら、それは頂上にいる人間に出された命令だと思うだろう。普通の学校だったら、普通の相手だったら…だが、哀しいかな、ココは星影学園で、相手は土方歳夫なのだ。どちらにも普通は当て嵌まらない。…哀しい事に。
 そして、美紀の期待が見事爆発。
 三角形体全員が、万歳三唱。両手を前に振り上げては自爆、を繰り返す。
 「万歳ィ!!ぐはぁっ!!万歳ィっ!!!ぬがぁっ!!!万歳ァィっ!!!!」
 「……………」
 荷物を受け取った2人の女子が男子寮を出た時、動ける2年生は頂上にいた、土方と、1番下の段にいたマッスル・イッタだけだった。

 美紀は、ちょっと離れた所で爆笑していた。
 予想以上に、この学園はフリーダムだ。
 「まぁ、何か困ったコトがあったら、オレか土方にでも相談しろ」
 と、不意に佐々木がそんなコトを言ってきた。
 「あれで、見所だけはある。」
 「見所だけ、ですか?」
 妙な言葉だ、と美紀は思った。
 「片鱗も見せてない、というコトだ。アテになるかどうかまでは保証しかねる」
 「…それって、ダメってことなんじゃ?」
 「フッ……ダメじゃないヤツなぞ、この世にはいない」
 格好つけて言ってるが、その中には、確実に佐々木も入っているなぁ、とか美紀は考えた。けど、言う必要はなさそうなので、言わない。
 「ハイ、ありがとうございます♪」
 代わりに、笑顔で対応。
 「ウ、ウム……励めよ……」
 何故か、頬を紅く染めて、佐々木は変な言葉を残し、去っていった。
 「何によ」
 美紀はまた、可笑しくなって、クスクス笑うのだった。


 追記。
 佐々木の言った2度目は、その日のうちに訪れた。
 調子こいた七五三が、行為を試み、指をねじ上げられ、ちょっとした捻挫の憂き目に遭った。
 美紀曰く、
 「自業自得♪」




〜 えぇっと…… 〜


 で、入寮日の夕方。
 篠原と美紀の部屋。
 篠原はさっきから、黙ったまんまだ。

 「だぁかぁらぁ〜、何で黙ったまんまなのかなぁ?」
 「…………」
 「電車では、あんなに楽しく会話したじゃない」
 「…………」
 「っていうか、せめて、こっち向いてよぉ、篠原く〜ん」
 「…………」
 「もしも〜し?」
 美紀が顔を覗き込もうとすると、胡坐のままで器用に回転する篠原。
 「ムゥ」
 頬を膨らませる美紀。
 「一体、何が気に入らないのよぉ」
 「………全部、だ」
 「はぁ!? 全部!? 何よ、ソレ!!」
 「何で、そんな格好をしている!? 何で女言葉を使う!? 立ち居振る舞いをもっと男っぽくできんのかっ!? つーか、本当に男なのか、お前!!」
 「格好はしたいから! 言葉も使いたいから! 男っぽくなんて、ゴメンだねっ! 私が本当に男かどうかは、先輩方にでも聞いて回ったら如何!?」
 「そんなんだから、痴漢にも遭うんだ!」
 「それは君とは関係ないじゃない!」
 「何で、あの時名前を教えてくれなかった!?」
 「どうせ、こんなナリですからねぇ! すぐに男子寮で有名になっちゃうと思ったの! どの道、すぐに君の耳に入ると思ったから、言わなかった!」
 「何で、オレと同室なんだ!?」
 「それこそ、私は知らないわよっ!」
 「何で、今朝お前と出会ってしまったんだ!?」
 「あのね、それこそ十字を翳した聖人にでも聞いてみなさいよ!」
 「それで、答えは出るのかっ!?」
 「出るワケないでしょ! ヤツは何時だって見てるだけなんだからっ!!」
 「…………フンッ」
 またそっぽを向く篠原。
 「…ったく、言いたいことは、全部言ったの、今ので?」
 「…………」
 「じゃ、こっちから」
 「…………」
 「はっはぁ〜ん、シカトですか?」
 「…………」
 「でも、君だけが言いたいことを抱えてるワケじゃないんだからね。こっちも言うよ?」
 「………勝手にしろよ」
 「ええ、勝手にしますとも」
 「…………」
 「あのね、私は、ルーム・メイトが篠原君でよかったって思ってるよ」
 「……は?」
 「君は痴漢を許せないような、正義感を持ってる。そのために、アクションを起こせる行動力を持ってる」
 「……買い被りだ、そんなの」
 「そうかもね」
 「おいっ!!」
 「でも、少なくとも今朝はそうだった。…これって、結構ポイント高いよ?」
 「…いや、そう言われても」
 「だから、私は、ルーム・メイトが篠原君でよかったって思ってる。これから、3年間を過ごすにあたって、もっと君のコトが知りたい、って思ってる。」
 「…………」
 「ハイ、これで今のところの私の言いたいことは、おしまい」
 「…そうか」
 「で、どうする?」
 「何が?」
 「部屋割り。変更してもらうように、頼もっか?」
 「…………」
 流石に、篠原は即答できかねる。美紀に興味があるのは、篠原だって同じだ。尤も、朝のようなピュアな感情ではなく、「コイツ、何なんだ」という、下世話な興味ではあったが。
 「…どうすんの?」
 「………それは……」
 「それは?」
 「いや、そこまでする必要は………」
 「え、OK? OKね? じゃ、この問題は解決っと!!」
 勢いで、勝手に解決に導く美紀。
 「だぁあああ、ちょ、ちょっと待てぇい!!」
 「何よ、まだ何か問題でも?」
 「い、いや、そういうワケじゃないんだが…」
 「じゃ、いーじゃない」
 勝ち誇った美紀の顔を見て、急に篠原の脳内に疑問が浮かんだ。
 「…お前、確か自分の名前、美紀(ミキ)って言ってたな?」
 「…ギクッ……」
 美紀が小さく呻いた。
 「本当はお前、美紀(ヨシノリ)だろ!?」
 「きゃああああああ! その名前で呼ばないでぇえええええ!!!!」
 見事に取り乱す、ヨシノリさん。
 「お願いだから、ミキって呼んで! じゃないと、泣いちゃうからっ!!!!」
 本気の涙目になっている、美紀。
 「わ、わかったわかった! 何も泣かなくてもいーだろっ!!」
 「それくらい、デリケートな問題なのっ!!!!!」
 「わかった、わかりましたっ!! ミキって呼ぶから、間違いなく! 厳密に!!」
 「……ホント?」
 上目遣いで、篠原を見る美紀。すっごく、可愛い。
 (あぁ、コイツが男じゃなきゃあなぁ……)
 「ホント、ホント!」
 「じゃあ、この問題も解決っと!」
 泣いた子が、もう笑う。まさに美紀の今の激変は、そう例えるに相応しかった。
 「お前、切り替え、早いなぁ……」
 篠原も呆れ返り半分で、そう呟く。
 「人生に切り替えはネセサリィよ♪ さって、じゃあ荷解きしよっと♪」
 勝手に言って、荷解きにかかる。
 「ハイハイ、手伝って、手伝って♪」
 「え、あ、ああ……」
 篠原、流される、流される。
 「えと、私の机、こっちでいい?」
 美紀がタンス側の机を指差す。
 「でもって、タンスはこっちでOK?」
 そして、机に近い方のタンスを主張。
 「ああ。元々、そのつもりでオレは荷物整理しちゃってたしな」
 「OK、OK♪ じゃ、早い者勝ちってコトで♪」
 「いや、早い者勝ちも何も、互いの主張が一致したんだから、いいじゃないか」
 「細かいコト気にしないの」
 「細かいコトって…お前の言い方が、何か引っかかるから……」
 「わかってる、わかってる♪」
 「…何をだ?」
 「篠原君は、仮に荷解きしただけでしょ? 後から来るルーム・メイト…ま、私よね。その私の希望によっては、例え2度手間になっても、それを聞き入れるつもりはあった。違う?」
 ニコッと笑って、篠原の真意を見通す。
 それが、篠原の目にはカッコイイと映った。
 しかし、次の一言で、その感心は吹っ飛んでしまった。
 「あ、こっちは、衣類だから、触っちゃダだかんね!」
 「触らぬ!!」
 力強く断言。特に下着なんかは、知りたくもない!

 で、荷解き開始。
 と、篠原が「あまり見慣れないモノ」の存在に気づく。
 「え、美紀……コレ……」
 「ああ、マンガの道具」
 「………んん?」
 「だから、マンガを描くための道具! 机に置いといて」
 「あ、ああ……お前、マンガ描くのか?」
 「描かないヒトが、そんなん持ってる?」
 「いや、それはまぁ、稀だとは思うが……」
 「でしょ?」
 「…え、マンガ研究会にでも入るの?」
 「…何言ってんの? つーか、そんな研究会、あるの?」
 ああ、コイツはカナダにいたんだっけ、と篠原は思った。国が違えば、文化も違うものだからなぁ、とか何とか。
 「じゃあ、どうしてマンガ描くのさ?」
 「どうしてって、掲載してもらうためだけど?」
 「何に?」
 「マンガ雑誌」
 「………はぁ!?」
 「大変だったんだからぁ。国際便で出版社に郵送持込して、意見や修正ポイントとかをメールでもらって…」
 美紀の得意げなご高説は続く。
 「で、最終的には、掲載が決まって、読みきりが何本か載ったの! でも、打ち合わせならメールでもいいけど、そう何度も国際郵送するのも大変でしょ? データ入稿もいいんだけど、担当さんに、本格的に続けたいなら、やっぱり日本に来たほうがいいよって、言われて」
 篠原は頷く位しかできない。あんまりにも荒唐無稽な話だ。
 「で、高校進学を機に、日本へやってきたってワケ」
 「へ、へぇ〜……」
 凄い。凄すぎて、言葉にならない。
 「これで、担当さんと直接会うコトもできたし…あ、昨日東京にいた時に、バッチリ面会してきたから♪ で、で! 原稿の受け渡しもやりやすくなったし、打ち合わせも顔見てできるし、担当さんはイケメンだったし…イイコト尽くめねっ♪」
 篠原はもう、拍手するだけだ。
 「いや、すげーよ、お前……」
 「いや〜、それほどでもないよ〜♪ ま、いずれは、ドウジン、だっけ? あれにも手を出してみたいんだけどさぁ〜♪」
 そう言いながら、荷解きもそこそこに、机に向かう。衣類の荷から、さっさとヘアバンドを取り出し、前髪が邪魔にならないように押さえつける。
 「じゃ、早速原稿描くから♪ 邪魔しないでねっ♪」
 「え、おい、荷解きは、どーすんのよ!?」
 「衣類以外は、適当にやっといて〜♪」
 もう、篠原の方を見向きもしない。どんどん道具を広げ、執筆体勢に入っていく。
 「適当って…」
 「あ、いいから、いいから。また時間のある時にでも、じっくりやるからさ♪」
 (それって、一体、いつになんだよ………)
 「あ、篠原く〜ん」
 「…何だ?」
 言われるがままに、適当に荷解きをしながら答える。
 「そっちにさぁ、近距離用の眼鏡入ってるから、ちょっと出して〜」
 「自分でやれ!」
 「え〜、ケチィ〜!!」
 いつ結んだのか、赤毛を1つに纏めた美紀が、椅子ごとクルッと篠原を向く。
 「私、そっちの眼鏡に換えないと、疲れ目で偏頭痛起こしちゃうのぉ」
 「しるか!」
 「偏頭痛起こしたら、夜ずっと『イタイ、イタイ、イタイ、イタイ』って言うからね!」
 「ああ、わかったから黙れ! …えっと……コレか?」
 何とか依頼品を見つけ出し、手渡す。
 「そう! あっりがと〜♪」
 手早くケースから取り出し、眼鏡をチェンジ。ピンクのセルロイド・フレームから、黒のプラスチックのフレーム(丸っこい)に早代わり。
 「…えらく地味な眼鏡だな」
 「そう? でも、マンガ家たるもの、黒フレームメガネじゃない?」
 「……何故?」
 「オサムシがそうじゃん。神様なんでしょ、日本じゃ」
 「…そういうコトか」
 という会話をしているが、美紀はもう机に向かいっぱなしだ。
 「……スマン、ワケのわからんものばかりが出てきた」
 「へ?」
 鉛筆片手に、椅子ごとクルッと回る美紀。
 「あ、コスメじゃん」
 「……化粧品の類、と解釈していいのか?」
 「うん、そんなモン。洗面所へ持ってって」
 「置くのか、これを?」
 「置かないの、それを?」
 「……置く」
 「じゃ、それで♪」
 篠原、大人しく従う。美紀はまた机に向かう。
 篠原が洗面所で、ビンの群れと格闘していると……
 「あ、篠原く〜ん!」
 机の美紀から、声が掛けられた。
 「何?」
 「並べる順番、間違ってても怒んないからね〜」
 「……順番があるのか?」
 洗面所の棚(元々、そんなに物を置くスペースはない)を、ほぼ占拠したビンの群れを見ながら、篠原は呟いた。
 それから、部屋に戻り、半ば自棄っぱちで言う。
 「さ、次は何をすりゃ、いいんだ?」
 「ちょっと、静かにしてて♪」
 「ハイ……」
 篠原は、哀しい気分になった!

 言われるがまま…というワケでもないが、他にするコトもないので、机に向かう美紀を眺める。
 ノートを前にし、真剣な顔で「こうして…いやいや、こっちを先にもってきて…」と呟いている美紀は、態度や性格にこそ難があったが、輝いている。
 その行動力に対し、素直に、凄いなぁ、と感心した。

 …そんな時間が少しだけ流れたが……

 『 ピンポンパンポ〜ン! 夕食の時間だぜ、ブラザー! 』

 という、バカ声の寮内放送が流れる。
 「…このバカ声は、土方先輩ね……」
 美紀が、鉛筆を走らせる手を止めて呟く。
 「え、もう先輩の名前覚えたのか、お前!?」
 初日だぞ、まだ! という意味が言外に含まれている。
 「言ったでしょ? 私は目立つの。だから必然的に、初日っから多くの先輩や同級生と言葉を交わすハメになる。その中で、印象に残ったり、有益だな、と思ったヒトは、忘れないわよ」
 「で、この放送の先輩は?」
 「寮長なんだって。ま、覚えておいて、損はないんじゃない? 得も無いかもしんないけどね」
 「……やっぱ、すげぇな、お前」
 「そう? コミュニティの中で生きようと思ったら、当たり前のコトじゃない?」
 ヘアバンドを外したり、メガネを交換しながら、しれっと美紀が言う。
 「あ、前髪跳ねちゃったよぉ」
 「いいだろ、その位」
 「そうもいかないのっ! ちょっと待ってて、すぐ直しちゃうから」
 そう言って、洗面所に入る。
 ちょっとしてから、前髪を見事に直した美紀が出てきて、
 「んじゃ、食堂に行きましょっか♪」
 「ああ、そうだな」
 2人は部屋を出た。
 そして、信じられない話だが、実は『 ブラザー 』以降もずっと、寮長の放送は続いていた。今はフリートークも終わり、暇つぶしとしか思えない『 熱唱 』が流れている。

 『 バナナのパパは〜、パパ・バナナ〜♪ バナナのママは〜、ハハ・バナナ〜♪ 』

 「…歌詞、違ってるじゃない、もぅ!」
 「ママ・バナナ、だよな」
 「それか、チチ・バナナ、ね。ルールを守るなら」
 「どの道、間違ってるというワケか」
 寮長のイカレタ歌声に、廊下に出た2人は笑う。

 『 パパ・バナナ〜、ハハ・バナナ〜、ド・バナナぁ〜 』

 ノリノリで歌う寮長の歌声では、何故か「バナナの貴族」が誕生していた。




〜 男子寮、新入生歓迎の宴! 〜


 廊下を歩く美紀は、度々ギョッとした目で見られた。
 本人は割り切って、平然と、いや寧ろ颯爽と歩いているが、並んで歩いている篠原は、たまったモンじゃない。
 「…やっぱ、目立つな、お前」
 「言ったじゃん、そう」
 「いや、まぁ、そうなんだが……」
 「…ま、そのうち慣れるって、みんな」
 「慣れるまでは、一々説明して回るのか?」
 「いや、今日ケリつけるよ?」
 「はぁ!?」
 「あの先輩方なら、機会作ってくれるだろーし……予想以上に『使えなくて』機会が設けられなかったとしても、自力でどうにかするつもり」
 「…よく、わからんのだが」
 「いいよ、わかんなくて」
 「そうか?」
 「そうよ」
 とか言いながら、2人は歩く。
 途中、例の七五三と遭遇したが、彼は美紀を見るなり、脱兎の如く逃げ去った。
 可哀相なのは、残されたルーム・メイトと思しきオトコノコ。
 「いぃっ!? ど、どうした、忠次(チュウジ)!? …って、いぃっ!?」
 オトコノコ、美紀の姿にビックリ!
 「2度見しないで。何、アンタもあの七五三と同類のバカ?」
 「ど、同類って?」
 「私がオトコノコかどうかを、セクハラ的に確かめるようなバカかってこと」
 「……オトコノコかどうかを……セクハラ的にって……いぃっ!?」
 オトコノコの視線が、美紀の顔と股間を往復した。
 「だから、2度見しないでっての」
 「いや、美紀。今のは2度見とは言わないんじゃ……」
 「篠原君は黙ってて。好奇の目で見るっていう意味じゃ一緒でしょ」
 「ウゥム……そういうモンか?」
 「そうよ」
 こう力強く断言されると、返す言葉が見つからない。
 「い、いや、オレ様は別にそんな確認の仕方は思いつかなかったが……」
 狼狽の窮みか、オトコノコ。
 「思いつかなかった、が?」
 「いやぁ、オンナノコが、何か事情があって、ここにいるのか、と」
 「…事情?」
 例の物騒な笑みが消え、何かを探るような視線に変わる美紀。
 「財閥のお嬢様が、跡継ぎとなるためにオトコノコとして育てられた、とか」
 「…アンタも、バカでしょ?」
 「し、失敬なっ!」
 「それじゃ、わざわざ全寮制の学校に入らなくったっていいじゃない」
 「…あ、そか」
 「篠原君、コイツ、バカだよね?」
 そう言う美紀の目は、笑っている。少なくとも不快ではないらしい。
 「ああ、バカだな」
 「ちょ、待てよ! そこのデッカイのにまで言われたくねぇ!!」
 「まぁ、待てって。……えっと、名前は何だ?」
 「お前から名乗れ、篠原君」
 「………言っているコトの矛盾に気付かないのか?」
 「…あ、オレ様、知ってるわ、お前の名前。やっべぇ」
 愕然とするオトコノコ。美紀はその様子が可笑しくて仕方ないらしい。笑いながら、
 「このデッカイ人は、篠原 泰志君。私は馬越 美紀。あ、美紀でいーよ。で、あなたは?」
 「…オレ様は、市村 鉄矢(イチムラ・テツヤ)だ」
 「OK、市村君ね。覚えた♪」
 どっかで聴いた台詞だなぁ、と篠原は思った。
 「市村君はバカはバカでも、人を不愉快にさせないバカだねぇ」
 「誉めてんのか、馬越?」
 「だから、美紀でいいって。ちゃんと誉めてるんだよ?」
 「ど〜こ〜がぁ?」
 「七五三は人を不愉快にさせるけど、あなたは違う。仮に…いい? か・り・に、よ?」
 「変に立てるなよ」
 「仮に、あなた達みたいな『バカ』が好きなオンナノコがいるとする。で、あなたと七五三と、同じ位の友好関係にあったとする。そしたら、そのオンナノコは、きっとあなたの方を本気で選ぶと思うよ?」
 「……所々、気になるが……篠原クンッ!」
 「な、何だ?」
 「キミの連れは、いーヤツじゃないかっ♪」
 「そ、そうか?」
 「そうだ! ウン、美紀はいーヤツだっ!」
 何故か上機嫌になっていく市村。
 (仮の話が、そんなに嬉しいのか、このバカは)
 と、篠原は思ったが、口には出さなかった。折角喜んでいるのだから、水を差す必要もないし。
 「市村君も、いーヤツじゃん♪」
 美紀もそう言っているし、まぁ、この場はこれでよかろう。

 で、3人で連れ立って、食堂へ向かう。
 男子寮の食堂は、全員が一斉に食べられるように、異常にデカイ作りになっている。(実際には、節目節目のイベント位でしか、一斉に食事なんてコトはありえないのだが)
 食堂の正面には、でっかい歌舞伎文字で

 『 めんそ〜れ、星影学園 』

 と書いてあった。
 「沖縄?」
 と首を傾げているのが1年生。動じてないのが、2・3年生。
 そんな喧騒の中…
 「2年生は、このブロック。3年生の先輩方は、こちらのブロック。そして、新入生の皆さんは、こちらのブロックに、それぞれ着席して下さい」
 拡声器を使っているのに、それでも聞き取れない位の静かなトーンで、会場に案内を流す1人の男。
 「あれじゃ、聴こえないじゃない」
 「確かに」
 美紀と篠原のボヤキが通じたのか、
 「だぁああっ! もっと景気よく話せねぇのかよ、サンナン!!」
 土方が拡声器を持った男を怒鳴りつけた。
 怒鳴られた男、名前は「山南 敬一郎(ヤマナミ・ケイイチロウ)」、愛称「サンナン」
 生徒会役員をしている優等生だが、いかんせん、オシが弱すぎた。
 「えぇい、もういいっ! オレがやるっ!!」
 土方、拡声器を強奪。
 「土方君がそう言うのなら、ボクはそれで、構わない」
 そう言うと、少し哀しげに着席する、山南。
 「オレが寮長の土方 歳夫だ! お前ら&先輩方、とっとと、座りやがれぃ!!」
 こういう時のバカ声は、会場全体にビシッと通る。何故、山南にやらせたのか。
 全員が着席した。土方に向かって、左から1年、2年、3年のブロックが出来上がる。
 「後ろ席のブラザーども、聞こえるかっ!?」
 「聞っこえませ〜ん!!」
 最後列の席に座っていた七五三が、楽しげに手をブンブン振る。
 ここで、「オイオイ、聞こえないなら返事なんか出来るワケがないじゃぁないか♪」とは、間違っても言わない漢。それが土方 歳夫。
 「死ね!!」
 シュンとなる七五三。間違いなく、初日からトバし過ぎだ、お前。
 そして、そんなコトは『 まるで無かったかのように 』進行する土方寮長。
 「今、お前ら&先輩方の目の前には、ステキなディナーが用意されているコトと思う! But!!」
 「…しかし、って言いなさいよ、もう」
 美紀が、至極真っ当な意見を呟いた。
 「そいつをお召し上がりになる前に、オレから質問だ!」
 会場に、緊迫した雰囲気が張り詰める。
 「…今日は、何の日だっ!?」
 『入寮日ィイイイイイ!!!!!!』
 2・3年生の男声大合唱。1年生は、ポカーンとしている。
 「誰のぉ!?」
 『いっち年生ィイイイイイ!!!!』
 「では、その1年生に問う! 今日は何の日だっ!?」
 『に、入寮日ィ……』
 「声が小さい! 何の日だっ!?」
 『にっ、入寮日ィイイイイイ!!!!!!』
 「OK! では、お前らは、何者だっ!?」
 『いっち年生ィイイイイイ!!!!』
 「Yes! 非常にイイ答えだっ! では、ココで先輩方に問う! あなた方は!?」
 『神!!』
 「我々、2年生は!?」
 『人!!』
 「そこの、1年生は!?」
 『犬!!』
 『えぇええええええええ!?』
 1年生から、どよめきが沸く。ま、当然だ。
 「黙らっしゃい、この犬畜生!! いやさ、卑しい犬畜生! これが、伝統! これが、美しき上下関係!!」
 最高潮の土方の熱弁。
 「みんなこの道を通って、大人になった! さぁ、今年はキミ達の番だっ!!」
 この部分だけを聞くと、希望に満ちているのだが。
 「おいおい…マジかよ……」
 篠原が呟く。ま、当然だ。
 「いいんじゃない、別に」
 「はぁ!? 美紀、正気か!?」
 「先輩達は、ああいうコト、言いたいだけ。ホントに理不尽なコトしてくるようなら、徹底的に抗戦するまでよ」
 「そ、そうか?」
 「そ。伝統だって言ってるんだから、毎年こういうのやってるんでしょ。そんだけよ」
 「ムゥ、そういうモンか……」
 「ノッて楽しいコトは、沢山あるだろうから、敢えて逆らわない方が、いいと思うよ?」
 「何でわかる?」
 「勘?」
 「訊くな」
 「そうとしか言えないもん」
 と、2人が密談をしているうちに、土方寮長の熱弁は続いていたのだが、不意に…
 「あ、そうそう。この場を使って、全員に通達しておくコトがある」
 急にストンと普通のトーンで言われ、全員が土方に再注目。ここまでの熱弁は、聞きたいヤツだけ聞けというスタンスか。それはそれで、漢らしい。
 「新入生、馬越君、起立!!」
 美紀は、来たか、と思って立ち上がる。
 まだ、美紀を見ていなかった連中が、ざわめく。
 「ま、こんなモンよね」
 嘆息しながら小さく呟いたのを、篠原は聞き逃さなかった。
 「馬越君、前へ!!」
 言われた美紀が、前方の土方の方へ歩いていき、彼の横に立つ。
 「この馬越 美紀君は、オトコノコである!」
 ざわめきが大きくなる。とても信じられない、というカンジだ。
 「シャーラァップァ!」
 一言で静まる。発音はイマイチでも、中々の統率力であるな。
 「これは、次期・見廻組組長、佐々木 三郎先輩も認める所であるっ!!」
 と、3年のブロックで、佐々木が立ち上がり、凛とした声で、
 「間違いない!!」
 なんて言うモンだから、全員が納得せざるを得なかった。
 「と、いうワケだから、好奇の視線で眺める、廊下で会うたびに2度見、そして劣情などをもよおさぬよう、全員に勧告しておく! 以上!」
 納得はしても、心がついて来ないようで、好奇の視線は収まらない。
 「…お返事は?」
 土方の静かな声に、全員がある意味、我に帰る。
 そう、ここは星影学園。
 何が起こっても不思議じゃない。
 『 ぅ押っ忍っ!! 』
 「よぉっし! では、イッツ・ア・ディナ〜・タ〜インムッ!!」
 『 ぅ押っ忍っ!! 』
 「お手手の、シワとシワを合わせて〜!?」
 『 シワ合わせっ!! 』
 「では、参ります! 天と地と人に感謝を捧げてぇ……頂きますっ!!」
 『 頂きますっ!! 』
 何か、2年生の一角から、「頂きマッスル」という声が聞こえたが、まぁ、いつものことなのだろうと、美紀は無視するコトにした。
 というか、自分はいつまでここ(土方の横)にいなきゃならないのだろうなぁ、とかなんとか。
 「馬越後輩」
 「美紀でいいですヨ?」
 「じゃあ、美紀後輩」
 「ナンですか?」
 「悪かったな、晒し者にしてしまって」
 「いえ、賢明な判断だったと思いますヨ♪ こういうのは、1回で終わらせちゃうに限りますし」
 ニコッと微笑む美紀。
 「ウ、ウム、何か困ったコトがあったら、佐々木先輩にでも相談せぇや?」
 「土方先輩じゃないんですか?」
 「オレは勘弁して、いや、マジで」
 「何でですか?」
 「面倒なのは、キライなのっ! 察しろや!」
 「ハ〜イ♪」
 返事をして、美紀は自分の席に戻る。
 「…災難だったな」
 「ん? 篠原君、ソレ、本気で言ってる?」
 「…どういうことだ?」
 「災難なんかじゃなかったよ? 寧ろ、ラッキー♪」
 「そ、そうなのか?」
 「そうだよ?」
 「…そうか」
 あまり理解できないまま、そう返事をすると、食事を始める。何せ、腹は減っているのだから。
 「土方先輩のコト、覚えといた方がいいね」
 食事をしながらボソッと、美紀がそんなコトを言った。
 コイツがそう言うのなら、そうなんだろうな、と篠原は思った。

 食後、新入生歓迎のレクリエーションが開催され、宴は長く続いたのであった。




〜 初日の夜 〜


 そんな大騒ぎの夕食も終わり、各自部屋に戻る運びとなった。
 部屋に戻る途中……
 「美紀」
 「ん?」
 美紀が呼ばれた方を向くと、市村が居た。
 「後で、部屋に遊びに行ってもいいか?」
 「へ? いいけど?」
 何で?というニュアンスがわからない市村ではない。
 「いや、お前面白そうだし。ダチになろうぜ」
 「そういうコト? なら、別にいいよ〜。ね、篠原君?」
 「別に異論はないが…消灯までもう、そんなに時間ないぞ?」
 「あ、それもそうだね。これから、お風呂にも入らないといけないし…そんなに時間ないかぁ」
 消灯時間は、「一応」23時とされている。そして、現時刻が22時ちょい前。流石に、新入生3人は、初日からそれを無視する気にはなれなかった(だって、まだ様子がわからないから)
 「そっかぁ、そうだよなぁ…」
 ちょっと残念そうな市村。美紀が「まぁ、明日以降があるし」と言いかけた時、市村はあるコトに気付いたようだった。ハッと顔を上げると……
 「ちょ、美紀! 今、風呂っつった!?」
 「言ったけど?」
 「…オレ様たちと一緒に入るってコトだよな!?」
 廻りにはまだ、男子生徒が数名移動中だった。なので、流石に少し声を潜める市村。このコトで目立つのはマズイ。極め付けにマズイ。
 こういう気遣いが出来るってのはイイコトだなぁ、と美紀は思う。
 「あ、大浴場のコト? そっちには入らないヨ?」
 「……ン!?」
 「部屋に、お風呂があるから、そっちには行かないって言ってるの」
 「え、マジで!? オレ様んトコには風呂なんか無いぞ!?」
 「あぁ〜、そうなんだぁ〜」
 「え、何で、何で!? 不公平じゃーん!!」
 見事に取り乱す市村。見かねた篠原が…
 「いや、不公平も何も…入学資料に無かったか?」
 「…何が?」
 「寮の部屋の、風呂アリか風呂ナシの希望アンケート」
 「………いぃっ!? 何、ソレ!?」
 「オレは、夏の朝にシャワーを浴びれたらいいなぁ、という軽い気持ちで『風呂アリ』に丸をつけて提出したんだが……」
 その結果が、この珍妙なルーム・メイトに繋がった。嗚呼、神よ!!…とは、流石に言わなかった。思ってはいたけど。
 そして、その珍妙なルーム・メイトは笑顔でこう言い放った。
 「そのアンケートね、入試の成績上位の人にしか配布されてないんだって」
 「……な、何ィ!?」
 「そうなのか?」
 「うん。学園長から聞いたモン。因みに、風呂アリの部屋の方が、ナシの部屋よりも広いんだって」
 「え、何、ソレ!? トコトンじゃんっ! イートコ取りじゃ〜んっ!!」
 「まぁ、『アリ』が『ナシ』かを訊かれたら、大概の人はアリを選ぶわよね。『アリ』だからって、大浴場を使えないワケじゃないし」
 「そうだな。実際、オレもそんなカンジだった」
 「ちょ、待てって! 入試の成績だけで、そんなに差ぁ付けるのって、アリかよぉ!?」
 「アリでしょ。義務教育じゃないんだし」
 即答する『アリ』側の美紀。
 「な、何てこった……社会主義は死んだっ! お風呂という名の富の偏在が、ここにっ!!」
 ガックリと膝を着き、うな垂れる『ナシ』側の市村。
 「因みに、他のアリの部屋の方々がどうかは知らないけど、私は貸さないからネ」
 これは勿論、内風呂の話である。
 「いや、貸す位は別に……」
 と篠原が言いかけたが…
 「甘いっ!」
 ピシャッと言われてしまった。
 「1回、誰かに貸すとするでしょ? そしたら、噂を聞いた別の連中がドンドン来るようになるわよ? 人は絶対に、楽な方へ流れるモンなんだから。私は、自分の部屋に、やたらと人が集まるのは、集中できなくなるからキライなの」
 (ああ、マンガの執筆のコトもあるからなぁ)
 と思い立ったので、
 「わかった、美紀の言うコトも尤もだ」
 篠原は毒を食らわば、の気持ちで美紀に合わせるコトにした。
 「ったく、集中集中って、そんなにお勉強したいのかねぇ」
 早くも負け組扱いされていたコトを知ってしまった市村がボヤく。
 「そりゃそうでしょ。じゃなかったら、進学しなきゃいーんだし」
 「そりゃそうだけどさぁ…なぁんか、納得いかねぇなぁ……」
 正論に苦笑いの市村。
 「ねぇ、市村君?」
 「んにゃ?」
 「そろそろ、いいかな? 風呂に入る時間が無くなっちゃうし」
 「いぃっ!? もうそんな時間かよぉ!?」
 「こっちは、消灯までに2人が順番に入らなきゃならないの。OK?」
 「あ、そか」
 「そんじゃ、また明日〜♪」
 「おう」
 「お休み〜♪」
 「じゃあな」

 市村と別れた2人は、部屋に着く。
 もう22時を回ってしまっている。流石に、話が過ぎてしまったか。
 「さて、と……」
 篠原は美紀の方を窺う。
 (どうせ、「先に入る〜」とか言い出すんだろうなぁ、コイツ…)
 「篠原君、先に入っていーよ」
 「は?」
 「だから、先に入っていいってばぁ」
 「いいのか?」
 「いーよ。私は、着替えを発掘しなきゃいけないから」
 「あ、そうか」
 「そうよ」
 美紀が「衣類だから触っちゃダメ」と言っていた荷物にかかる。
 「じゃあ、先に入るぞ?」
 「ハイハイ」
 篠原はさっさと着替えを用意し、洗面所の方へ向かった。この洗面所が脱衣場を兼ねていて、風呂はその先にある。何と、ユニット・バスでは無く、単体で存在しているという豪華さだ。
 篠原が脱衣場で、今まさに全裸になろうかというタイミングで…
 「篠原く〜ん?」
 ドアがノックされ、篠原は『トランクス半下ろし』という中途半端な姿勢で、ものっそいビビった!!
 「な、何だ!?」
 「いや、シャンプーとか、ある?」
 「……あ、そういえば……」
 「だよね?」
 ドア越しの美紀の声が、クスクスと笑っている。
 「タンスの上に、置いてあったもん」
 そう、篠原はシャンプーや洗顔フォーム等の一式を、タンスの上に置きっぱなしにしてしまったのだった。(なぜ、タンスの上に並べて作業終了としたのかは、不明である)
 「い、今取りに行くっ!」
 「いーよ、持ってきたから。……えと、開けて平気かな?」
 「まぁ〜、待て待て待て待てっ!!」
 「……そんなに言わなくたって、OK出るまでは開けないってば」
 パンツ一丁は、何か気恥ずかしかったので、脱いだTシャツをもう一度着る。それから、ドアを開けた。
 「ハイ、これでしょ?」
 「わ、悪ぃ」
 「あと、バスタオルは? ある?」
 「バカにするな、それは流石に……」
 脱衣場を振り返るが…
 「無いよね?」
 「…………あれ?」
 「机の傍に積まれてたもん」
 そう言って、バスタオルも渡してくる。
 「……重ね重ね、スマン」
 「いいって、別に。…さ、早く入っちゃって。私も入るんだから」
 「あ、ああ」
 ドアを閉め、再び服を脱ぐ。脱ぎながら篠原は、
 (何でオレは、机の傍になんかバスタオルを置くかなぁ!)
 と、憤っていた。不意に……
 「あんまり遅いと、私も一緒に入っちゃうヨ?」
 「だぁ〜! 急ぐから、急ぐから!」
 そんな恐ろしいコトは止めてくれ! と心の中で付け足した。

 そんなこんなで、順番に風呂(シャワーだったが)に入って、湯上り新入生が2名出来上がった。この時点で、時刻は22時45分。(篠原はカラスの行水だったが、美紀が長くかかった)
 「ありゃりゃ、急いだつもりだったんだけどなぁ」
 予想を裏切らない『大変に可愛らしいパジャマ姿』で、濡れた髪の毛を叩くようにして拭きながら、机の上に置いた時計を見て残念そうに呟く。(因みに美紀は超近眼なので、相当近寄って見ていた)
 「急いだ、って……少なくとも、30分は入ってたぞ」
 「しょがないでしょ。やるコト沢山あるんだからぁ」
 なんだよ、やるコト沢山って…、と思いはしたが、流石に口にはしない。
 「あ、しまったなぁ〜」
 「どうした?」
 「折角、冷蔵庫があるのに、飲み物買い忘れた」
 髪を拭きながら、部屋の隅にある小型冷蔵庫の方向に目をやる。
 「まぁ、初日だし、仕方ないだろ」
 「夏なんか、シャワーの後、冷たいの飲んだら気持ちいいだろうね?」
 「そうだな」
 「あ、そうだ。この部屋広いじゃん? 小さなテーブルというか、ほら、あの丸い…」
 「ん? ちゃぶ台のコトか?」
 「そう、それ! そういうの置こーよー。小さいのでいいからさぁー」
 「……机はあるじゃないか。必要か? ちゃぶ台?」
 「机は勉強するためのモノでしょ。食事したり、お茶とか飲んだりするのに、便利じゃーん」
 「食事は食堂ですればいいだろう」
 「え〜! 折角、キッチンまで付いてる部屋で暮らすのにぃ〜!?」
 そう、繰り返しになってしまうが、この部屋にはキッチンが付いている。因みに、風呂ナシの部屋には、キッチンはおろか、冷蔵庫も付いていない。しかも、年季モノのちょっと酸っぱい臭いのする畳敷きだったりする。
 「いや、待て、美紀」
 「何よぉ?」
 「髪、いい加減に乾かしたらどうだ? もう23時まで10分無いぞ?」
 「あ、やっばっ!!」
 慌ててドライヤーを手に取り、コンセントを探す。
 「…こっちにある」
 「ありがとー♪」
 で、ブゥオォォォというドライヤーの轟音が部屋中に鳴り響き、会話どころではなくなってしまった。
 必死に髪を乾かす美紀を見ながら、篠原は怒涛の1日を思い出していた。
 轟音の中、よく聞くと、美紀の鼻歌が聴こえてくる。
 (何を歌ってるんだろう)
 少なくとも、最近の流行り歌では無さそうだった。
 (うん、美紀にはそれは似合わないな)
 そんなコトを考え、これから3年間を共に過ごす友人の奇妙さに口元が綻ぶ。
 不意に轟音が止んだ。
 置時計に近付き……
 「59分……うわぁ、半渇きだよぉ……」
 泣きそうな顔の美紀。
 「仕方ないだろ、もう消灯時刻だし」
 「…そうは言ってもさぁ、まさか23時丁度に、電気が消されるワケでもないんじゃ…」
 部屋が真っ暗になる。
 「ないかなぁ、とか考えたのは、甘かったみたいね」
 間違いなく苦笑している美紀の声。
 「みたいだな」
 篠原も苦笑している。どうしてこう、何かにつけて、極端なんだ、この学園は。

 『 ピンポンパンポ〜ン! 消灯時間だぜ、ブラザー! 』

 という、バカ声の寮内放送が流れる。
 「土方先輩、だよな?」
 「間違いないでしょ」

 『 今日は特別サービスで、一斉消灯だが、明日からは自己責任でヨロシク!! 』

 「は?」
 「…じゃあ、消灯時間なんて、あって無いようなモノじゃない」

 『 じゃ、今日位は早く寝るんだぜ、ブラザー! グッナイッ!! 』

 「確かに、今日は疲れてるから、早く寝ようとは思ってたけどさぁ……」
 「じゃあ、いいじゃないか。とっとと寝ようぜ?」
 「髪」
 「は?」
 「半渇きは、ヤ」
 「……どうしろと?」
 「ね、ね! コンセントからの電源も切れてるってコトは無いと思わない!?」
 暗闇の中ではあったが、美紀が瞳を輝かせて力説してるコトは、声だけでも明らかだった。
 「…そりゃ、まぁ、確かに……」
 「でしょ、でしょ!? えと、この辺に確か……」
 パチッと音がして、美紀の机の上のスタンドの明かりが灯り、部屋がうっすらと明るくなる。
 「ほらぁ!」
 「電気は、来てるみたいだな」
 「ドライヤーも動くでしょ?」
 「ん? どうだろ」
 篠原がスイッチを入れると、ドライヤー特有の轟音が響いた。
 「うわぁおっ!!」
 何故か、慌ててスイッチをOFFに。
 「OK、OK♪ ちゃんと動くじゃない♪」
 そう言って、篠原(ドライヤー)の方に歩こうとした矢先……
 「あ痛っ!!」
 美紀は机の角に、足の小指をぶつけるという、大変にベタなコトをやらかした。
 「だ、大丈夫か?」
 「うぅ〜……」
 蹲り、唸るだけしか出来ない美紀。
 「お、おい……」
 狼狽するしかない篠原。
 「っ最っ悪ぅ〜! 油断したぁ〜!!」
 油断と言うか、何と言うか。スタンドの明かりだけでは部分的に薄暗いのと、美紀の超ド近眼が合わさって引き起こされた事故なのだが(あと、まだ部屋に慣れてない、というのも原因の1つだろう)
 「平気か? 怪我とかは?」
 「多分、平気」
 「そうか」
 「でも、痛いよぉ………ね〜、篠原く〜ん♪」
 「な、何だ? 急にそんな声出して」
 「美紀のお願い、聞いてくれる?」
 「だ、だから、何だよ、急に!?」
 「髪、乾かして♪」
 「はぁ!?」
 「足ぶつけて、痛いの。乾かして」
 わからない。意味がわからない。なんでそうなるのか、全くわからない!
 「ハイ♪」
 そうこう戸惑っているうちに、美紀が篠原の前に、背を向けて座る。
 「………えぇ!?」
 何でこうなっているのか、皆目検討がつかない。しかし、ここで拒否しても…
 「…自分でやれ」
 「ヤ」
 …一刀両断とはこのコトか。
 「………うまく出来るかは、わからんからな」
 埒が明かないので、篠原が折れる。この先ずっと、こういうコトが続くのだろうか……
 「わ〜い♪」
 ドライヤーの轟音が、部屋に響く。
 美紀の長い髪の毛を乾かすのに、格闘していると(勿論だ。篠原にそんな経験はないのだから!)轟音の中に、また鼻歌が聴こえてきた。
 (何を歌ってるのやら……)
 指先で掬っては、乾いたさきから、サラサラと零れ落ちる赤毛。
 朝、篠原が言ったように、綺麗な髪だ。
 耳を澄ます。
 (あ、この歌は……)
 篠原が曲名を思い出せそうになった瞬間(本当に美紀はこういう肩透かしが上手い)
 「…た、…んで…い…?」
 と、声を上げる。
 「は? 何だ?」
 轟音が一旦止まる。
 「だからぁ」
 美紀が軽く振り返る。
 「また、頼んでもいい? って言ったの」
 間違いなく、可愛いと断言できる口調と表情。そして、何をお願いされたのかは、わかっている。わかっているが、コイツはオトコだ! 今のこの図ですら、かなりの異常だ。これが、慣例化するのかっ!?
 「何をだ?」
 だから、篠原はすっとぼける(美紀相手の場合、決して上策とは言えないが)
 「たま〜に、でいいからぁ」
 「だから、何をだよ?」
 「ヒトにね、髪乾かして貰うの、気持ちいいの」
 「美容院に行け」
 「ヤダ。お金かかるもん」
 「じゃあ、切ればいいんじゃないか? そうすれば簡単に乾くし」
 「…あのね、その発言、篠原君じゃなかったら、手首折ってるヨ?」
 「…スマン」
 「毎日とかは、言わないからぁ」
 まるで駄々っ子だ。いや、ただの駄々っ子なら、マシなんだ。他人の子なら、可愛くも何ともないし。問題は、誰が見ても可愛い駄々っ子、という点である。
 「…………本当に、たまになら」
 「ホントに!? OK? OK? やったぁ!」
 手を打って、予想以上の喜び方をしている美紀。こんなに喜ぶのなら、まぁ、悪い気はしないか、と篠原が思っていると……
 「言ってみるモンだ♪ 篠原君は、本当に優しいねぇ♪」
 「…そうでもない」
 「いやいや、頼まれたらイヤって言えないと見た。ダメだよ? 連帯保証人のハンコとか押したら」
 「……バカなコト言ってないで、前向け」
 「は〜い♪」
 再び轟音。そして、暫くすると、その中にかすかな歌声。
 美紀の赤毛がほぼ乾いた頃、曲名がわかった。
 (あぁ『君をのせて』か……)
 何となく、美紀に似合う歌だと思った篠原だった。

 で、就寝である。
 2段ベッドは、上が美紀、下が篠原、というコトに決まった。
 決まり手は「自分よりデカいヒトが、真上で寝てると思うと怖い」という美紀の一言。
 この意見には篠原も普通に賛成だったので(だって、自分よりデカいヤツって言ったら、結構な体格だから、想像してみたら怖かった)すんなり話は纏まったといえよう。
 「ホラ、電気消すぞ?」
 「ああ、待って待って!!」
 髪を乾かして貰った後、眼鏡をかけた美紀が、急いで梯子に手をかける。(眼鏡ナシだと、登れない。よしんば登れたとしても、翌朝絶対に滑り落ちる!)
 「いーよー、消してもー♪」
 上段に滑り込み、眼鏡を置くポイントを見つけ出した美紀が合図を出す。これで、明日の朝も安心だ。
 それを受けて、篠原はスタンドの電気を消した。
 部屋は再び真っ暗になり、篠原は手探りでベッドの下段へと向かう。
 「お、あった、あった」
 ベッドの脇にある柵を掴み、よいしょ、と中に入ろうとした篠原だったが……
 ゴイ〜ン!!
 「ぉぐあっ!!」
 「ちょ、何!? 大丈夫っ!?」
 真上から、美紀の声。
 「だ、大丈夫だ。恐らく、梯子に足をぶつけたんだと思う…しくじった……」
 「怪我は? してない?」
 「多分、平気」
 さっきも似たような会話があったコトに、2人とも気付いてない。
 「オレは平気だよ。さ、寝よう」
 「うん。お休み」

 静寂が訪れる。
 さっきまでの喧騒がウソのようだ。

 篠原は闇の中で、今日という怒涛の1日を振り返っていた。
 色々あった。
 ホントに、色々あった。
 ありすぎて、脳の回路がショートしてるんではなかろうかという位に。
 当面の不安は、真上に居るルーム・メイトに慣れる日がくるのだろうか、というコト。(実は、篠原個人が気付いてないだけで、この1日だけで十分に適応してきているのだが)

 真上から、規則正しくて、可愛らしい寝息が聴こえてくる。
 (寝息まで、女っぽいのかよ……)
 もしかしたら、豪快な鼾やら、歯軋りが聴こえてくるかも、という淡い期待(多少なりとも、ガサツな男臭い部分が見えれば、という淡い期待だ)を抱いていたのだが、見事に裏切られた。
 美紀はオトコである。
 頭では十分に理解しているのだが、如何せんココロがついていってない。
 外見、声、口調、立ち振る舞い……全てが錯覚を引き起こす。
 (イイヤツには違いないんだ……)
 しかし、となる。そしてそれは、
 「はぁ……」
 軽いため息となって、口から出て行く。
 (まぁ、悩んでも仕方ないな。いずれ慣れる日が来るだろう)
 こういう切り替え、というか、現実を見据える目が、篠原の美点の1つであろう。頭の中の想像よりも、目の前の現実を受け入れる。
 瞳を閉じ、思考に身を任せていると、徐々に睡魔が襲ってきた。
 土方の言う通りだ。せめて今日くらいは、早く寝てしまおう。身も心も、疲れているのだから。

 「んっ…んん〜……」

 真上で、美紀が寝返りを打つ。
 その声は、完全にオンナノコのそれで。

 「!!」

 篠原の睡魔は、あっという間に撤退した。根性のない睡魔である。
 (ちょっと待ってくれよ……コレが続くのかぁ!?)
 先程も述べた。頭では理解しているんだ、頭では。
 (しっかりしろ、オレ!!)
 そう強く念じると、両手で顔をピシャッと叩く。気合の表れだ。
 しかし……

 「篠原君…うるさぃ……」
 「……スマン……」



 こうして、篠原 泰志の『 微妙に奇妙な異常が尋常 』な生活が始まったのであった。



〜 Fin 〜




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