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「 阿修羅さまがみてる 」 シリーズ
〜阿修羅さまがみてる〜
『 〜Lilac On The Hillside〜 』
作:コジ・F・93



 「オハヨー」
 「ごきげんよう」
 「うーす」
 「もーにんっ」
 「ちょいや」
 さまざまな朝の挨拶が澄みきった青空にこだまする。
 甲府の盆地に集う生徒たちが今日も天使のような無垢な笑顔だったり、割りと悪い事思いついちゃった的な顔で、学校名の代わりに『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と書かれた門をくぐって行く。
 なんとなく青春真っ盛りな心身を包むのは、思い思いにコーディネートされた私服。
 スカートのプリーツってなんだ?白いセーラーカラーがついてるヤツなんか、まずいねぇ。ゆっくり歩く人もいれば、わりとツカツカと歩いていく人もいる。もちろん、遅刻ギリギリだったら、達観している一部の生徒を除いて、全力ダッシュである。
 
 私立星影学園
 
 『自称』卒業生第一号が聖徳太子だというこの学園は、もとは豪族の令嬢、子息のために作られたという、全寮制の学校である。
 山梨県甲州。環境破壊が叫ばれて久しい昨今にあって、未だ緑の多いこの地区で、寮に入れられ、その割に、校則があるんだかないんだかイマイチ解らない自由主義のある意味無法地帯。
 時代は移り変わり、17条だった憲法が(!?)11章103条に増えた今日でさえ、卒業するころには、大抵のことでは驚かない、頑強な精神力が養われる、とういう教育の現場としてどうにも個性的過ぎるスタンスの学校である。
 
 早いもので、1学期もあと僅か。
 梅雨明け宣言が出されようが、出されまいが、7月の太陽は有り余るエネルギーを届けてくれるし、吹き抜ける風はもう夏の匂いを運んでくる。
 青い空、白い雲、真っ赤な太陽っ!
 …………っていうか、暑いっ!!頼む、風よ吹いてくれっ!!
  

  

「First Step」


 
 「カリカリ」とャーペンが紙の上を走り、答案を埋めていく音が響く。
 その音が聞こえれば聞こえるほど、絶望的な気分になる。
 (ぜ、全然分かんねーっ!)
 テスト開始から15分、目の前には『大石次子』(オオイシ チカコ)と書かれた答案用紙。
 ………
 テスト開始から15分、目の前には『大石次子』と書かれた答案用…イヤ、いくらなんでも、コレはさすがにマズイだろう…
 「──」
 後ろの方でなにか気配がして、試験教官をしていたしづ姉が「ノッシノッシ」と歩いていく。
 (…ゲェ…もう終わったのかよ…)
 教室の後ろの方で何が行われているのか悟った次子は心の中で辟易としていた。
 「…はい、じゃあ預かるわね」
 そう言ってしづ姉がまた「ノッシノッシ」と教卓に戻っていく。
 (見えろっ!!チラっとでいいっからっ!見えろっ!見えてしまえっ!!!)
 しづ姉の通り抜け様に全神経を目に注いで、透視能力発現のミラクルにかけるが、やはり現実というのはどこまでも無常で、その目に映るのは裏返した解答用紙の白さだけだった。
 「ガラガラっ」と扉が開き、そして閉められる音に次子のため息が重なる。
 (あ〜あ…15分で終わらなくてもいいから、60点くらいは取れる頭が欲しいっての…)
 雅の半分、イヤ、3分の1でもいいから。と祈ってみたところで自分の答案の驚きの白さは変わらない。たく、スプーン1杯も入れてないのに…とかこんな事考えてる場合じゃない。とにかく、目の前のテスト(コイツ)をなんとかしなくては…
 気合を入れなおして、問題を読む。っていうか、見る。直視するところから頑張る。
 (なんだよっ!この数式とアルファベットはぁっ!?お前は数学でも英語でもねーだろっ!でしゃばるんじゃねーよっ!!)
 直視することすら、ままならなかった。
 (クソっ!佐久間ぁ…なんだってこう物理の教師ってのはアタシの邪魔ばっかしやがって…)
 去年1年、意味不明な理由で自分を干した久坂も担当科目は物理だった…その久坂がいなくなって、心の底から喜んだ。無事に部活に復帰もできて、『おしっ!今年はなんかいい年じゃんか』なんて思ってたら……よりによって1番嫌いな教科の教科担任が学園1の嫌われ者…人生ってのは上手くいかないものだ。という事を16にして再確認してしまった。
 (いやっ、そうじゃなくて!)
 頭をブンブン振って、またまた脇道に逸れてしまった思考を元の軌道に修正。
 軽い眩暈と闘いながら、さっきから何度か試した『点が取れそうなところ』。いわゆるサービス問題というやつを探す。
 上から、下まで。
 頭からケツまで。
 (………いったいドコにサービス問題が?)
 (っていうか…)
 次子の手が怒りに震える。
 (なんで、選択肢から答え選ぶ問題が1個もねーんだよっ!!バカじゃねーのコイツっ!!だからブッちぎりで嫌われてんだって気付けよっ!!!あと、加齢臭とその薄気味悪い顔と、イラつくしゃべり方とオモシロくねー授業っ!!もうあれだっ、『物理』じゃなくて、『ドマゾ』とかに教科の名前変えちまえよっ!ただ椅子に座っ──)
 テンションに任せて教室の前を睨みつけると、そこに掛けられている時計が目に入った。
 (──あと、10分っっ!!!?)
 ヤバイっ!いつの間にか、雅が教室を後にしてから25分も経っている。25分間、我を忘れ続けられるほど他人を不快にできる佐久間のそれは、もはや才能と言ってもいいかもしれないが、テスト中に答案真っ白のまま、25分もテンション上げてられる自分もどうよ?なんて思ったりもしたりすけど、それはもう後の祭りで…
 (ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ………)
 さっきから、次子の頭の中は激しく回転する赤い回転灯の光と、けたたましい警告のサイレン。そして、脳裏の画面を弾幕の如く埋める『ヤバイ』の3文字で占められている。
 今年からやっと掴んだレギュラーの座。待ちに待った公式戦デビューはすぐそこなのに…赤点なんか取ったら…赤点取って補習なんかになったら…
 「最低でも、赤点は1つ、最低2つまでにしておいて下さい。分かっているとは思いますが、3つ以上赤点を取ってしまった生徒は、夏休みの補習が終わるまで『部活動停止処分』ですので…」
 新顧問の松本先生の言葉が甦る。
 (アレはアタシに言ってたよなぁ…間違いなく)
 別に松本先生の言葉からソレを感じ取ったわけではない。というか、松本先生はソコは完璧に隠し切ったと思う。じゃあなんで、次子がそう感じたかと言うと、
 (背番号貰ったメンバー、アタシ以外はみんな頭いいんだよねー!)
 次子以外のメンバーは、悪くても赤点まではいかない、ランク的には中の下までに入ってたりするので、(ちなみに今回のメンバーは2、3年で占められているので、成績がいいんだか悪いんだか分からない1年生はカウント外)ちょっと考えれば、松本先生は次子を心配して言ったという結論に誰でもたどり着くのだが…
 まぁ、誰が1番悪いって、まともにソフトができる喜びに浸りすぎて、中間で見事に赤点3つを叩き出した次子が1番悪いのは、もう間違いない。
 「初日から、コレはヤバイっ!!」次子が頭を抱える。(いや、さっきからずーっと抱えてはいたんだけど)まだ、数学も古文も残っている…
 チラっと(直視するのは怖いので)時計を見る。テスト終了まで、あと7分。
 (こうなったら…最後の手段っ!!)
 次子のシャーペンンを握る手に力が入る。
 (奇跡よ起これーっ!!なんでもいい神っ!降りて来ぉーいっ!!!)
 とりあえず、手を動かして、何かが起こるのに賭ける事にした。
 
 「………うわぁ…コレは被害が大きそうだなぁ……」
 長かった期末テストもあと1教科。そしてその大トリを飾るのは、山県先生の英語。星影学園の生徒全員が山県先生『以外』の英語を熱望するその1番の理由が、このテストにあると言われている(まぁ、実際その通りだと思う)伝説のテストを目の前にして嘉穂(カホ)が大きくため息をついた。
 ちなみに、テスト範囲は『今までにやったとこ全部』。
 初めて中間でこう言われた時はそりゃ、クラス中からブーイングが飛んだものだ。
 「先生っ!それじゃ、テスト勉強のやりようがねーよ」
 こう言った男子生徒は、
 「うっせーな…テストの前だけ勉強していい点取れるほど、上等な頭してんのかよ、お前は?」
 と撃墜された。もちろん、テスト前だけ勉強しても意味がない。という先生の言い分はよく分かる。分かるんだけど…
 ──問1。この人物は誰でしょう?(日本語で答えて構いません)
 中間の1問目に、こんな問題から始められて、驚いた嘉穂は、答案と問題用紙の表紙を確認してしまったほどだ。
 (…豊臣秀吉。……ダイジョブだよねっ!?これ、英語のテストだよねぇっ!!?)
 めちゃめちゃ不安になって「もしかしたら、英語で答えるのかな?」なんて思ったりもしたけど、問題の最後に(日本語で答えて構いません)って書いてあるから、そのまま答えた。そして、先生の言っていた『今までやったとこ全部』も決して嘘ではない。…嘘ではないけど…
 ──問2。問1の人物が行った政策として太閤検地がある。○か×か?
 もう、どこからツッコむべきなのか、本当に分からなくなったよ。ちなみに1学期中間の英語のクラス平均は76点。…斎がとんでもない点数を叩き出した以外は概ね良好。次子に至っては、「初めて英語のテストで70点取ったぁっ!!!」と狂喜乱舞していたが、そもそも英語のテストかどうかも怪しいので、そんなに喜ばなくても…確かに最後の方に2年になってから習った英語の問題あったけどね…30点分………。
 そんな中間を経て、今回の期末。噂に聞く、山県先生のテストは実は逆の意味で、本当はみんな山県先生の英語を受けたくて仕方ないに違いない。(テスト楽だし)なんて、思い込んで、英語は安心だと高をくくって、他の教科に力を注いだ生徒は間違いなく地獄を見ている。やっぱりこの先生は相当にタチが悪い。まるで、裕美(ヒロミ)が大人になって教師になったらこうなる。っていう見本みたいだ。
 ──次の英文を日本語に訳してください。
 『Let's dorp colony shall we?』
 1問目から付加疑問文。甘く見ていた生徒はこれだけで血の気が引くはずだ。事実、嘉穂もちょっとビックリした。(普通に英語のテストだし、授業でやった事なので、このテスト自体におかしい所なんて1つもなのだが)
 (え〜と、『コロニーを落としましょうね』……コロニーを落としましょうね!?)
 普通に答えを書いてから、もう1度自分の書いた回答を見て(2度見)それから問題を読んで(問題2度見)また回答を見てしまった。(3度見)
 (こんな問題が最後まで続くのかなぁ…)
 …さすが期末の罠に盛大に嵌めるために中間を捨石にした教師。用意してくる問題まで、一筋縄ではいかないとは……できる。できない。とは別の次元で嘉穂が頭を抱えた。
  


  
「Why Dont You Get A Job」


 
 「…あ、暑い…」
 夏掛けとして使用していたタオルケットを剥ぎ取り、額にうっすらと浮かんだ汗で「ペトっ」とくっついた前髪をかきあげながら、ランがベッドから上体を起こした。
 まだ薄暗い部屋を、キッチンから漏れている明かりが頼りなく照らしている。
 (……。)
 とりあえず時計に手を伸ばした。
 ──8時20分。
 授業があったら寝坊だが、テスト休み期間中にしては、やや早い。
 (……寝直す…のは無理ね)
 ランがベッドの下に置いてあったスリッパの上に足を下ろす。
 折角の休みに早く起きてしまって、正直損した気分なので、極めて建設的な意見を出したものの、すぐに自分の状態を思い出して起きることを選択した。
 スリッパをつっかけて、クローゼットの中から着替えを引っ張り出して、キッチン、バスルームへと繋がっているドアを開けると、
 「あれ?藤堂ちゃん?……っ!…さくら、もしかして起こしてしまったですか!?」
 『キョトン』『もしかして…?』『あわわわっ!』と、分かり易く段階を踏んで焦っているのは、ルームメイトの原田さくらだ。
 「全然。暑くて起きちゃったのよ」
 さくらを落ち着かせるために、ランも分かり易い笑顔を浮かべて答える。加害妄想が強いというか、妙に自分が悪いのでは?と考える人間が寮と学校両方にいるので、こういう時の対処(落ち着かせる方もからかう方も)は慣れたものだ。
 「良かったです〜。でも、ホント今日もいい天気ですよ」
 ランの笑顔の効果がバッチリだった効いたのか、さくらも笑顔で答える。
 「…今日も『いい天気』ってのは、私はそんなに嬉しくないんだけどね…」
 ランがウンザリした声で言う。山梨って涼しそうじゃん。って思うかもしれないけど、馬鹿言っちゃいけない。山梨だって夏は夏。太陽は山梨だろうが東京だろうが北海道だろうが沖縄だろうが、夏だっていうだけで、全く容赦なく照らしてくれるのだ。暑くないわけがない。
 「でも、雨よりいいです」
 「雨、雨ねぇ…」
 さくらの言葉に曖昧に答えながら、ランがバスルームに引っ込む。梅雨明け宣言は出されてないけど、もう1週間以上雨なんか降ってない。…というか、梅雨明けしてないのに、連日の真夏日…。これはアレかね?温暖化現象ってヤツかね?それとも気象庁の怠慢かね?
 どうでもいい事を考えながら、シャワーのお湯をぬるま湯にして、体中の汗を洗い流したランがバスルームから戻ると、さくらの朝食の準備もだいたい終わったところのようだ。
 「藤堂ちゃんはいつも通りでいいですか?」
 牛乳を自分のコップに注ぎながら、さくらがランに尋ねる。
 「ええ。ありがとう」
 そう答えて、ランは『パン』と手を合わせる。
 「それでは、いただきます」
 「いただきますです」
 2人でお辞儀をして朝食開始。
 ──本日のメニュー。
 ──さくらは、コンビーフキャベツのホットサンド、サラダ、オムレツ、スープ。と、牛乳。
 ──ランは、ヨーグルト、コーヒー。
 ……別にイジメられてるわけでも、遠慮してるわけでもない。純粋に朝食べられないのだ。どんなに目や脳が起きても、お腹(特に消化系?)が、とにかく起きない。お腹が起きないから、ヘタに食べると、ずーっと残ってるような気がして、かえって気持ち悪くなってしまう。だから、ランは本当に必要最低限しか朝は食べない。正直、ヨーグルトかコーヒーどちらかでもいいくらいだけど、さすがにそれはいくらなんでもさくらに悪いので、とりあえずこの2つは摂るようにしている。
 (うーん。おいし)
 あと、さくらの作るヨーグルトが美味しいのと、さくらの作るブルーベリーのジャムが美味しいのと、さくらの淹れるコーヒーが美味しいのも大きな理由ではある。
 「藤堂ちゃんは、今日はどうするのですか?」
 オムレツを飲み込んでさくらが尋ねる。
 「特になにも…さくらは?」
 「今日は、イサミちゃんとお出かけなのです」
 「…ふ〜ん」
 ランの脳裏に隣の部屋の眼鏡寮長の顔が浮かぶ。
 「朝早くからご苦労ね」
 「早いって…もう9時になりますよ」
 「まだ9時前じゃない」
 見解の相違。暇を持て余している帰宅部のランと、料理研究会と軽音部(部なのか?)の掛け持ちのさくらとは、時間の感覚が違うという1つの分かり易い例である。
 (私はどうしようかしら…)
 今更ながら、早く起きてしまったことを強く後悔する。どうせやる事ないんだから、もっと寝てればよかったのに、ちょっと汗ばんだくらいで起きるなんて…この根性なしめっ!
 「あ、そうだっ!よかったら帽子を貸して欲しいですけど…」
 自分にセルフでツッコミをいれているランの葛藤など全くお構いなしに、さくらが『お願いです』とランの前で手を合わせた。
 「別にいいけど…」
 ランがちらっとさくらを見る。
 「さくらが被るような、ファンシーでメルヘンなのはないわよ」
 「さくら、そんなカッコしないですぅっ!!」
 さくらが両手を振って激しく憤ってみせる。
 (…カッコっていうか、中身なんだけど、問題は…)
 そう言いたいのを、グッと堪える。親しき中にも礼儀あり。ランには同居人をイジメて遊ぶ趣味はない。あと、怒らせると食事が大変。なんだかんだで、食事関係を握っている人間が1番強いのだ。世の中ってヤツは。それが分からないほどランは愚かな人間ではない。
 「で、ドレがいるの?」
 コーヒーのマグカップを持ったまま、ランが体を捻って、クローゼットの扉を見る。
 「えーと、あの英語の書いてあるキャップです」
 「…英語のキャップ……結構あるけど…?」
 頬を軽く引きつらせながら答える。自慢じゃないけど多分10以上あるぞ、その検索条件だと…っていうか、キャップ?さくらがキャップ?このロリ系ほんわか少女の見本がキャップ?それってどうよ?と、ツッコミたいのを、またしてもグッと堪える。いやぁ、我慢強くなったものだ。我ながら。
 「水色の…」
 ランのセルフの自画自賛など、やっぱり全くお構いなしにさくらが次の検索条件を提示する。
 「水色の英語のキャップ…この前、次子に貸したヤツ?」
 「それですっ」
 「ん〜、ちょっと待ってね」
 ランがクローゼットを開けて、帽子掛けの1番手前に掛かっていた『Another Edition』のキャップを取り出して、さくらに見せる。
 「コレ?」
 「それです、それです」
 「ありがとうです」と、コクコクと頷くさくらにキャップを手渡しながら、ランが尋ねる。
 「別に貸すのは構わないけど、さくら服は?」
 「服?」
 さくらがハテナと首を傾げながら聞き返してくる。
 「服あるの?」
 さくらの持ってる服はやっぱり、その…なんていうか、ファンシーな香りの強い物が多いというか…水色のキャップが合うような服は確かもっていなかった気が…サイズが近かったら貸してもいいけど、女子にしては背の高い方に属しているランと、女子の中でも背が低い方に属するさくらとではキャップは貸せても服はちょっとムリがある。だから、ついつい心配してしまったのだが、
 「この前、オーバーオールを買ったのです」
 「ああ、そういえば買ってたわね。ちょっと見せてみて」
 得意気に胸を張るさくらにランがリクエストをする。
 「いいですよ〜」
 そう答えて、さくらが部屋着から、黒のオーバーオールへと着替える。
 「どうですか?」
 クルっと回って、キメの笑顔。
 「う〜ん…」
 モデルばりにポーズを決めている気になっているさくらを見て、ランが唸る。
 (…男の子ぽいっていうか…)
 さくらにしては珍しい(というか、ランは初めて見る)オーバーオール。それにキャップまで合わせるんだから、当然さくらの狙いはボーイッシュな感じなんだろう。オーバーオールも膝と胸の辺りにダーメージのあるワイルドな感じのオーバーオールだし、それは間違いないはずだ。
 だが、しかし、
 (それにしても…中途半端な…)
 どこかに照れがあるのか、どうしてもメランコリックさが抜けきらない。
 「さくら、グレーのノースリーブ持ってなかったっけ?」
 とりあえず、変えられる所が上くらいしかないので、上を変えさせてみる。
 「どうですか〜?」
 「あっ、いいじゃない」
 着替えて、再びポーズをとるさくらを見て、素直な感想を告げる。
 「本当ですか?」
 褒められて自身がついたのか、さくらは姿見の前で回ったりポーズをとったりを繰り返す。
 さっきよりも全然いい。ノースリーブの開放感がさくらの顔とマッチして、とてもアクティブな感じに変わった。女の子がボーイッシュなカッコをする時は、男の子っぽさを追いかけるより、開放感、躍動感で勝負した方がいい。という1つの好例だ。
 「う〜ん。勉強になったなぁ」と、ランが満足そうに頷く。
 開け放たれた窓の向こう、抜けるような青い空が本格的な夏の到来を告げていた。
  


  
「Be_ Natural」


 
 「暑っぅ〜、なにこれ…」
 バスから降りて開口1番、白いノースリーブのカットソーに、デニムのショートパンツにサンダル。夏真っ盛りなカッコのランがダレた声を出した。
 「さっきまで、寒っ!クーラー効き過ぎよコレ…って文句言ってたじゃない…」
 続いて、グレーにピンクのラインの入ったプルオーバーに、黒いレギンスを穿いた嘉穂が、ツッコミながらバスから降りる。
 「バスの中は寒かった。でも今は暑い。っていうか、なによコレっ!アスファルト茹だってるじゃない」
 実際には陽炎が遠くの方で立ち昇っているように見えるだけののだが、まあ、茹っているという表現が間違っているとは言い切れないくらいに暑いのも、また事実として受け止めなければならない。
 「それで、これからどうするの?」
 左手の時計を見ながら、嘉穂が尋ねる。朝食を食べ終わって、洗濯物と布団を干していて、ランにイキナリ呼び出されてから、今の今まで『今日、何をするのか』全く聞いていない。
 「何したい?」
 「は?」
 反射的に聞き返してしまった。
 「いや、だから嘉穂はなにがしたい?って聞いてるの」
 ランが改めて丁寧に説明してくれるけど、そんな事は説明されなくても分かる。今、問題なのは言葉の意味じゃなくて、その言葉が発せられた動機の方に問題があるんだけど…
 「それは分かってるけど、え?ちょっと──」
 改めて念を押して置くが、誘ったのはランだ。間違いなく。
 「──もしかして、何するか決めてないの?」
 恐る恐るランに尋ねる。
 「決めてないわよ。もちろん」
 胸を張って答えられた。っていうか『もちろん』ってなんだ『もちろん』って。
 「大体、いい若い者がこんな天気のいい日に引き篭もってどうするのよ」
 ランの言う事にも一理ある。それは間違いない。でもね、せめて何をするか?くらいは決めてからにしよう。ドコに行くかだけ決めて出てきて、さぁ、何しようか?は違うと思うんだ私。
 「とりあえず、服でも見る?せっかく来たんだし」
 なかなか案を出さない嘉穂に焦れたのか、ランの方から提案してくる。
 (…ランと『2人で』買い物…)
 そう考えただけで、嘉穂は背筋に冷たい物を感じた。
 (ランと服買うのはなぁ…)
 イメージして嘉穂が尻込む。正確には『服でも見る?』と言われたのであって、『服、買う?』ではないんだけど、見てれば欲しくなるし、欲しくなったら買う(ランは確実に)んだから、まぁ細かいニュアンズには目を瞑るとして、問題はそのランだ。
 藤堂魁(トウドウ ラン)という人間は、いわゆる問題児ではない。大別すれば間違いなく『真面目な人間』という部類に入るし、学校でも中心的な人物だ。ただ、その…おしゃれに関しては完全にトンでるというか、妥協しないというか…入寮日にスーツケースを7つ送りつけてみたり、増え続けた服はもうお店を出せる量だったりで、(しかも、ほぼ全部ブランドもの)とにかく容赦がないのだ。
 では、なぜランは服に関して、こんなにも容赦がないのか?なぜこんなにもブランド物が買えるのか?その理由は、ご両親の寵愛の賜物&特殊なお小遣い方式に集約されている。
 まず、ご両親が1人っ子であるランに対して小さな頃からいわゆる『いい物』を身に着けさせ過ぎて、ランの感覚が肥えてしまった事が不幸の始まり。小学校の高学年になった頃には、ノーブランドの服はよっぽど気に入らなければ絶対に着ない。という女の子に成長したランのセンスは、年を経る毎に段々と研ぎ澄まされ、お小遣いとお年玉を全部服に注ぎ込んでしまうという所にまで行き着く。コレを解決するために、ご両親はランにある提案をランにした。近隣の服屋という服屋。ブティックというブティックを震え上がらせるその提案。それは、
 『買った服を親に見せて、その買い物が『いい買い物だった』と評価されれば、その買い物の分は親が持つ。ただし、ダメだったらその分は完全自腹でその後2ヵ月はお小遣いなし。そして月に使えるのは1万円まで』というものだった。
 月のお小遣い『1万円』と言われたようなものだが、ドジったら2ヵ月間の極貧生活が待っている。プラスも大きいガマイナスも相当なこの提案がランの眠っていた才能を叩き起こす事になる。『値段交渉』という才能を。
 普通、服を買う時は、予算に対して収まる物を選んで、その中から絞り込む。或いはちょっとの予算オーバーに対して、伸るか反るかを判断するのが普通の買い方だと思う。でも、ランはもうスタートが違う。好きな物、気に入った物を予算内に収める。という買い方をする。『クレーマー1歩向こう』のその買い方は友達であるにも関わらず、背筋が寒くなるし、時々『嘉穂の服も聞いてみるわよ』(『聞いてみる』なんて言葉に騙されてはいけない。あれは正しい日本語では『脅してくる』と言うのだ。)なんて、言われた日には…ひたすら店員さんに申し訳なくて、逆にコッチの居心地が悪かったものだ。
 「う〜ん。そうだね…」
 できれば、ランと2人で(イザとなったら実力で止められる雅や、理屈で黙らせる事ができる裕美がいる場合は別)服を買いに行くのは避けたい。でも代わりの案が出てこない。それでも何かないものかと嘉穂が唸っていると、
 「あ〜〜〜〜〜っ!先輩っ☆」
 遠くの方からかけられた声に、嘉穂が顔をあげ、ランが「ヴっ!」と後ずさった。
 「ああ、最悪…」
 ランがぼそっと呟くけど、声の主はそんなの全然お構いなしに(というか、遠くにいるから聞こえてないし)2人の元に駆け寄ってきた。
 「こんにちはっ!先輩っ☆伊東先輩っ」
 さすが現役陸上部、松崎さんはあっという間に目の前までやってきて「ペコリ」と頭をさげて、それから顔を戻すと「ニコっ」と穏やかな笑顔を浮かべた。
 「こんにちは。偶然だね」
 挨拶を返しながら、嘉穂は眼前で微笑む少女を改めて観察する。
 ──真夏の照りつける太陽を反射して、キラキラと輝きながらサラサラと流れる細く長い金色の髪。細く整った眉にくっきりとした二重瞼と、吸い込まれそうな碧色の瞳。鼻筋はすーっと通っていて、微かに色づいていた可憐な唇が映える透き通るような白い肌。そして夏を満喫中と言わんばかりのホルスターネックのチューブトップに、これまたデニムのショートパンツ。さらにトドメとばかりに黒のニーソックスで絶対領域完備。と、西洋人形(にしては服が活動的過ぎだけど)が動いているかのような完璧な美少女。あの尾関雅と並べても全く不自然のないように思える程の圧倒的な美しさを持ちながら、だが、しかし、
 (ストーカーなんだよなぁ……)
 ちなみに当の本人はそれを『恋する乙女』だと、はっきり言い切っている。
 「こんなところで会えるだなんてっ、やっぱり私たちは運命の赤い糸でこれでもかってくらいに、しっかりばっちりくっきりどっきり結ば──」
 「──嘉穂もいるけど?」
 「えぇっ!?私もぉっ!!?」
 「なんでそんなムードの無い事言うんですかぁっ!!!?あと、伊東先輩も微妙に嫌がらないでくださいよぉっ」
 松崎さんはこう言うけど、何気に『嘉穂がいると、ムードがない』発言(まぁ、本人は違う意味で言ったんだろうけど)してるので、お互い様だと思うんだけど…
 「っていうか、アンタ友達いないわけ?」
 ランがいきなり直球を投げ込んだ。
 「なんですかそれっ!いるに決ってるじゃないですか!友達の1人や100人作れないで1学期乗り切れるほど、越境入学の寮生活っていうのは甘くないんです。手と手を取り合って、お互いに助け合いながら生活していく寮生活。友達が多ければ、食堂の席も確保して貰えるし、実家から送って貰った仕送り…野菜、果物等々のお裾分けもあるし、そもそも友達っていうのは多いに越した事ありません──」
 出た、必殺のマシンガントーク。こうなっちゃうと相槌打つのも一苦労なんだ、この子の場合。
 (……はぁ…)
 嘉穂がヤレヤレと肩を落とすと、
 「──あ〜、はいはい、分かった分かった。アンタに友達が沢山いるのはよ〜く分かった」
 しかめっ面をして、軽くコメカミを抑えながら、ランがマシンガンに声をかける。
 「しかも愛人なんて1人いただけ…え?なんですか先輩?」
 効果テキメン。ランの言葉にこのままどんどん加速いってしまいそうだった暴走特急が急停車した。っていうか、いつの間に、どんな流れで『愛人』の話になったんだ…
 「友達が沢山いるのは分かったけど、じゃあアンタはこんな所になんで1人で来てるわけ?」
 ランの疑問に嘉穂が頷いて同意を示す。別に1人でウロついちゃいけないんて校則なんかあるわけないし、現に雅なんかはよく1人でウロついてるんだけど、松崎さんは雅みたいに、好き好んで1人でブラブラってタイプには見えない。どちらかと言うと、みんなでワイワイっていうタイプに見える。となると、じゃあ、なんで今日に限って1人なのか?という新たな疑問が湧きあがってくるのだが…
 「何言ってるんですか♪先輩っ☆せっかくのテスト休み、しかも部活前の貴重な時間に1人でこんなところまで来るわけないじゃないですか。ダイジョウブです、ちゃぁんと、ご紹介しますよぅ──」
 再起動したマシンガンの連射に嘉穂とランが顔を見合わせる。また始まっちゃったよ…ではなく(それも少しはあるけど)、『ご紹介』って何言ってるのこの子?という感情だ。
 (え…まさか…)
 その可能性を感じ取った嘉穂は背筋にゾクっという寒気を感じた。…そういうシーズンなのは分かるけど、そういう話はできれば聞きたくない。
 「──ルームメイトの佐川官(サガワ ツカサ)ちゃんで〜すっ☆☆☆」
 「じゃ〜ん」という効果音を自分で入れながら、右手の手の平を上にして、横にバスガイドさんの様なポーズで『☆』増量までする松崎さん。だが、
 「…?……アレ?…どうしたんですか?」
 複雑な表情を浮かべる上級生2人と、いつまでも挨拶をしないルームメイトに違和感を感じた松崎さんが、ランと嘉穂の視線を追って自分の右隣の空間に辿り着く。
 「…」
 「……」
 「………」
 「…ツ……カ………」
 そこまで振り絞って発音して松崎さんがフリーズする。
 「…………」
 「……………」
 「……あ”あ”あ”あ”〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!」
 「うわっ!?ビックリしたっ」
 松崎さんの突然の絶叫にランと嘉穂が後ずさる。
 「置いてきちゃったぁぁぁぁ〜〜〜!!!」
 再びの絶叫と共いん松崎さんが走ってきた方向を振り返る。
 行き交う人達の中にそれらしい人影はない。
 「そして──」
 「──置いてかれたね。コレは」
 ランのあとに嘉穂が続いてオチの完成。
 「てぇぇいっ!」
 掛け声と共に松崎さんはケータイを取り出して、
 「…………っ。このドS〜〜〜〜〜っ!!!!っ!?あっ、ちょっと!!モシモシっ!モシモ〜シっ!!!」
 「あ、切られた」
 「そりゃ、切るでしょ。アレじゃぁ…」
 嘉穂とランは、生暖かい目で事の顛末を見守っている。
 「なんのっ!」
 メゲない松崎さんは再びケータイを耳に当てる。
 「………………っ!!!?」
 「電源オフ?」
 「多分ね」
 「フ…フフっ、フフフ…」
 ケータイを戻した松崎さんが、俯いたまま不気味な笑いを洩らす。
 「これも何かの縁っ!というかコレはもう運命っ!!そしてこの運命に感謝っ!やっぱり愛しあう2人は図らずとも一緒になる運命だったんですさぁ、先輩っ!手と手をとって…」
 そう言いながら、松崎さんは2人の間に入って、それぞれの手を握る。
 「…」
 「(ニコニコ)」
 「私もっ!?」
 「イヤなんですかぁっ!?」
 まさか自分が巻き込まれるとは思ってなかった嘉穂が声をあげると、即座にツッコミが入った。
 「イヤっていうか…」松崎さんはラン一筋だったハズじゃ…と嘉穂がモゴモゴしていると、
 「モチロン、大本命は先輩ですよ☆でも私、伊東先輩も好きですから問題ないですよっ」
 嘉穂がよく知っている誰かさんみたいなカラッカラの笑顔を見せてくれる。
 「…そういう事じゃなくてね…」
 どう言えばいいのか嘉穂が口篭っていると、
 「なんか遊び行く気満々みたいだけど、アンタこれから部活なんじゃないの?」
 はしゃぐ松崎さんに、ランが冷や水をブっかけた。
 「あ…」
 力が抜けて、松崎さんの手が滑り落ちる。
 「1人で帰るの?」
 ランがさらに松崎さんを追い込む。『今ココにいるっていうことは、多分部活は午後からなんだろうけど、今日1日、全くのフリーである私達は少なくとも夕方くらいまではココにいるわよ。どうするの?付いて来るのはかまわないけど、帰り道確実にアナタ1人よ。』と細かく説明するとこう言いたいんだろうけど、それをあの一言に纏めてしまう。まあ、相手がそれを理解できなきゃいけないので、こう言われる松崎さんは、ランに認められている。という証でもあるんだけど。
 「くっ!負けないっ!私はこんな意地の悪い運命になんか決して負けませんっ!!」
 ついさっき感謝したばかりの運命を完全に仇扱いして、松崎さんが「キッ」と目を鋭くして宣言する。
 「失礼しますっ!」
 そう言い残して、松崎さんは来た道を相変わらずのスピードで戻って行った。学園に戻る1番楽なルートであるバス停は、ぶっちゃけココなわけだし、ココに佐川さん(だっけ?)がまだ来てないってことは、もう暫くはいるって事なんだから、あんな全速力で追いかけなくても…なんて嘉穂は思ってりもするのだが、あの暴走特急っぷりを見てると、何事も全力、全速力の方がらしい気がするから、ただ、その背中を見送る事にする。
 (あの子が追いかけてるのがランで本当によかった)
 他人が聞いたら、自惚れとも無責任とも薄情とも言われかねないが、それはそれ、これはこれ。なにがタチ悪いって、美人なうえに頭の回転が速くて、聞き分けがそこまで悪いわけじゃないから強く出れないのが本当に厄介。ランが中学時代から手を焼いているのも頷けるというものだ。
 「なんか、台風みたいだったね」
 嘉穂が「ふぅ〜」という息と一緒に素直な気持ちを零す。
 「まったく。…なんか一気に疲れたわ。どっか入らない?」
 ランの提案に嘉穂が1も2もなく頷いたのは言うまでもない。
  


  
「Some Other Time」


 
 「新しいお店、見つけたのよ」
 そう言うランに連れてこられたシックな造りの喫茶店は、市内のメインストリ−トから2本脇道に入った場所にひっそりと佇んでいた。
 『Ein Erbe』と書かれた分厚い木の扉を押し開けて中に入る。
 もう少しで正午だというのに、中には2組しかお客さんがいなかった。
 (…なんか、妙に暗いんだけど…)
 それが嘉穂の、第1印象だった。
 先を歩くランの背中を追いかけながら、嘉穂は改めて仄暗い店内を見回す。
 外側に面したテーブルだけが明るく、カウンターのある店の奥がやけに暗い。
 壁には四角い窓が4つ穿たれていて、照明はそこからの陽射しだけだった。
 窓際にあるテーブルだけが、四角く切り取られたように明るい。夏の強い陽射しのせいか、その明と暗の対比は陰気さではなく荘厳さすら感じさせる。
 1番涼しそうだと理由からか、ランは1番奥のテーブルに腰を下ろした。
 ランに倣って椅子を引いて腰を下ろすと、ウエイトレスさんが「いらっしゃいませ」と静かに言いながら水とおしぼりを置いて、またカウンターの中へと戻っていった。
 「なんか、凄いね…」
 なんとなく雰囲気に圧倒されたまま、耳打ちをするようにランに言う。冷静に考えれば、聞かれて困る話でもなんでもないんだけど、なんていうか、喫茶店というより、図書館…いや、教会がイメージ的には1番近いだろうか。まあ、嘉穂は親戚の結婚式以外で教会に行った事がないので、本当の教会のイメージはよく分からないのだが、とにかく、その『教会』という言葉がも持つ静謐な空気が、普通のトーンで話す事を躊躇わせた。
 「気持ちは分かるけど、何にする?」
 初めてではない余裕だろうか、店内の雰囲気に全く気後れを見せずにランがメニューを嘉穂に渡す。
 「え、あ、そうだね…」
 ちょっとはこの雰囲気に呑まれてもいいのに…っていうか、この雰囲気の中で普段通りって…ランって結構空気読めない?とか失礼な事を考えたりもしてみたけど、とりあえず何か頼まないとウエイトレスさん(大学生に見える)の仕事が一向に進まないので、まず注文を決める事にして、嘉穂は受け取ったメニューに目を通した。
 「ランは決ったんだよね?」
 メニューとのにらめっこを続けながら嘉穂が尋ねる。
 「もちろん」
 ランがおしぼりで鶴を折りながら答える。
 「何にしたの?」
 「秘密」
 どうせ注文する時にバレるのに、とりあえず今は秘密らしい。まったく女心ってヤツは複雑だ。
 なんて嘉穂のテキトーなツッコミを感じ取ったのか、ランが「すいませ〜ん」とウエイトレスさんに声をかけた。
 「ちょっと!?ランっ」
 嘉穂が抗議の声をあげる。
 「制限時間付き。アンタ悩み始めると、こうでもしないと決らないんだもの」
 さすが1年以上の付き合い。まったくもってその通りなので、嘉穂は覚悟を決めて最後の2択に挑む決意を固めた。
 「お伺いいたします」
 ウエイトレスさんが静かな口調でオーダーを尋ねる。さっきも思ったけど、この人、20歳くらいに見えるのに凄く落ち着いてて妙にカッコイイ。
 「アールグレイをアイスで」
 「かし──」
 「──アールグレイをアイスっ!?」
 「…」
 「…」
 「…」
 「アンタがご注文繰り返してどうする」
 (かあ〜っ)と自分の顔が真っ赤に変色していくのを感じている嘉穂の横でウエイトレスさんの肩が小刻みに揺れた。
 「(ああ…笑われてる…私、こんな落ち着いたカッコイイ女性(ヒト)にまで笑われてるよ…)
 赤の他人に笑われるのはもちろんショックだけど、こういう大人のカッコイイ女性に笑われるのは、さらに堪えるものがある。
 「ムリしないで笑っちゃっていいですよ。この子そういうキャラなんで」
 (誰がお笑い担当だ、誰が)とツッコミたい気持ちもあったけど、あんなボケを披露してしまった以上、何を言っても無駄というものだ。ならばいっその事、
 「笑っちゃっていいですから本当に」
 開き直った方がいっそ清々しいというものだ。
 「いえ…失礼しました」
 さすがはプロ。ウエイトレスさんは瞬時に佇まいを正すと、さっきまでの落ち着いた空気を全身から再び放出して、嘉穂のオーダーをじっと待っている。
 「あ…えっと……」
 (ヤバイ!さっきの騒ぎせいで考えるの忘れてた…)
 例えるなら、テスト中の最後の1分や、朝の貴重な1分をとられてしまったようなそんな感覚。1分あったって、そこまで考えて分からなかった問題が分かるようになるわけじゃないし、1分なくたって、髪やメイクがそこまで酷くなるわけじゃない。それでも『あの1分さえあれば』と思わずにはいられないんだから、まったく難儀な話である。
 「私は、ダージリンを、アイスで」
 迷っていた2つのうち、最初に名前が浮かんだ方をとっさに注文していた。人間追い詰められれば大概の事はできるようにできているらしい。
 「かしこまりました。少々、お待ちください」
 流れるような動きでお辞儀をするウエイトレスさんに2人が「お願いします」と軽く頭を下げたところで、お店のドアが開く気配がした。お昼時だからこれからどんどんお客さんが増えてくるんだろうな。と思うと少し惜しい気がする。このお店の荘厳な雰囲気が、早くも気に入っていた嘉穂は少し残念そうな顔をした。
 「…と言うかだ」
 いきなりランが切り出した。
 「なに?」
 「アールグレイのアイスって何が問題なの?」
 嘉穂がオーダーを聞き返した事が、どうにもランの中では腑に落ちないらしい。
 「…問題というか、ビックリしたのよ──」
 別にアールグレイをアイスで飲むのがヘンなわけじゃないし、ランがサッパリした物が飲みたかったのもなんとなく分かる。でも、(そんなにクセの強い飲み物をファーストチョイスにしなくても…)と反射的に嘉穂は思ってしまったのだ。
 「──でも冷静に考えたら、『ドクペパのラン』だもんね。『マスタードチキンタラモサンドのラン』だもんね」
 個性的な味を好むランの嗜好を思い出して、『解決済み』フォルダに入れてしまった嘉穂は、いつもの仕返しとばかりにちょっとだけ意地悪く答えてみた。
 「はいはい。どーせ私はゲテモノ食いですよ」
 このネタでは、からかわれ慣れているランが、手をヒラヒラと振りながら投げやりに返す。
 「ゲテモノまでは言って──アレ?」
 嘉穂の目にカウンターの中に入っていく人影が映った。
 という事は、さっき入ってきたのはお客さんじゃなくて店員さんだったんだ。という話になるわけだが、それより嘉穂が気になっていたのは…
 (なんか見慣れた後姿だったんだけど…)
 そうなのだ。普通だったら店員さんが出勤してきた(或いは休憩明けか?)くらいではこんなに気にならない。それが、今日に限ってはとても気になったのだ。あまりにも見慣れていて、そして他人の空似では済まされない人にソックリだったから。
 「──ん?何?」
 奥にいるせいで、何が何だか全然分かっていないランがテーブル身を乗り出して嘉穂の視線を辿るが、その先には、もうカウンターしかない。
 「さっき入ってった人がね」
 「うん」
 「雅に似てたの」
 「うん」
 「…」
 「…」
 「いや、『うん』って…雅だよっ!あの雅に似てたんだよ!?」
 あんな美人、世の中にそうそう転がってるものじゃないんだから…と嘉穂が食い下がる。
 「そりゃ、ココでバイトしてるんだもの、居たって不思議じゃないでしょ」
 しれっとランが言った。
 「あ、なんだ。それなら居ても…って!雅、ココでバイトしてるのっ!!?」
 「何今更言ってるのよ、去年の夏も冬も今年の春もやってたじゃない」
 1人テンションの跳ね上がった嘉穂に対して、極めて冷静にランが答える。
 「バイトはしてるって言ってたけど…どこで働いてるかは教えないって…」
 そう確かに雅は言っていた。「邪魔だから教えない」とはっきりと。
 「ん〜?そうだったかしら…」
 ポーカーフェイスを装ってランはそう言うけど、多分ランもつい最近知ったに違いない。でなければもっと早くに襲撃しているはずだ。藤堂魁という女は。そしてこのワザとらしい前フリは、絶対ダメな事を考えている。そういう女だ、藤堂魁という女は。(2度目)
 
 「…お待たせいたしました」
 さっき注文をとってくれたウエイトレスさんとは別のウエイトレスさんが注文の紅茶を持ってきた。
 「アールグレイとダージリンでございます。ご注文は以上でおそろいですか?ごゆっくりどうぞ」
 全然、ごゆっくりじゃないんですけど。ツッコミたいくらいに一息で捲くし立てながら、確かめもせずにアールグレイをランの前に、ダージリンを嘉穂の前に、そして伝票をテーブルの端に置いて立ち去ろうとしたウエイトレスさんを、
 「そんなに慌てなくてもいいじゃない」
 と、ランが呼び止めた。
 「……何しに来た」
 覚悟を決めたのか、ウエイトレスさん改め、尾関雅が聞き返す。
 「ご挨拶ね〜。私たちは買い物のついでに、涼もうと思ってたまたまこのお店に入っただけなのに」
 いけしゃあしゃあとよくも言えたものだなあ。と思う。
 「たまたまこんな辺鄙な所まで来る奴など、いてたまるか」
 ため息をつきながら雅が返す。まあ実際その通りだ。市内買い物に来た人間がメインストリートから2本も入った場所に『たまたま』来る確率は極めて低いだろう。
 「…まあいい。とりあえずごゆっくり」
 仕事中なんだから、長々と立ち話をしてるわけにはいかないという事で、雅はすぐに折れて、話を切り上げた。
 「別に邪魔しに来たわけじゃないわよ。──」
 ランだって高校生なんだからどこまでやったら相手に迷惑がかかるのか、その線引きを間違えるような事はない。
 「──まあ、コレは雅のツケだけ──」
 「──ツケはない」
 しれっと図々しい事を言ったランにすかさず雅のツッコミが入った。だが、
 「ココの事、みんなにバラすわよ」
 「…今回だけだぞ」
 今回は余りにも雅に分が悪かった。
 「毎度あり〜」
 「毎度はない」
 「雅、私は自分で出すからいいよ」
 「…そういうわけにもいかんだろう。気にするな。『嘉穂は』」
 『嘉穂は』の部分を強調して、雅はカウンターの中に戻っていった。
 「ラン〜」
 嘉穂が恨みがましい声を出す。
 「別にいいじゃない。茶の1杯や2杯」
 そういう言い方をしたら、そうなんだけど、でもお茶はお茶でも喫茶店のお茶だ。いやらしい話かも知れないけど、缶ジュース1本奢ってもらったのとはやっぱり、その、お財布に与えるダメージが違うし、お茶2杯奢りは微妙に痛いぞ、高校生には。
 「でも、悪いよ」
 まだ、嘉穂は消化しきれていない模様。
 「そう思うなら、今度、雅のバイト終わる時間とかに来てケーキでも奢ってあげれば?」
 「あ、そうか。うん。じゃあ今度はそうしよう」
 ウンウンと頷く嘉穂を見て、ランが呆れ顔で呟く。
 「アンタ、真面目過ぎ」
 「ランが図々し過ぎるんです」
 「私は普通」
 「私だって普通だよ」
 「…」
 「…」
 「ま、どっちでもいいか」
 「そうだね」
 結論が出たところで、2人はストローを差して紅茶を飲む。
 「…おいしい」
 思わず口からストローを離して、そう洩らしてしまうほど、このお店の紅茶は美味しかった。多分、嘉穂が今まで飲んできた紅茶の中で1番といってもいいくらいに。
 「でしょ?」
 こういう時、連れてきた側はなぜか必ず勝ち誇る。凄いのはこのお店であって、絶対に、ランは凄くない。そんなことは分かってる。分かってるんだけど、
 「うん。ありがとう」
 素直に頷いて、お礼まで言ってしまうんだから、美味しい物の魔力というのは強力だ。
 「ところで──」
 ストローをくわえながら、嘉穂が尋ねる。
 「──なんで雅のバイト先知ってるの?」
 さっきも言ったけど、雅は多分誰にも言ってないはず…いや、もしかしたら斎くらいは知ってるかもしれない。だと、するとランの情報のタレコミ元は斎だろうか。尋ねながら、嘉穂はそう考えていた。
 「しづ姉に聞いたのよ」
 「しづ姉?」
 意外な名前に、嘉穂はくわえていたストローを離して聞き返した。
 「しづ姉に、おいしい喫茶店を聞いたら、ココが1番おいしいって教えてくれて──」
 うん。たしかにココは抜群においしいし、雰囲気もいい。いわゆる当たりのお店だと思う。やっぱりこういう事は地元の人に聞くのが1番だ。
 「──で、『雅ちゃんがバイトしてるお店よ』と」
 ああ、しづ姉、それは教えちゃダメな情報だよ…と嘉穂は思ったが、もう後の祭り以外の何物でもない。
 「会った事はないけど、マスターがそう言ってたわよ」とも言ってたわね。
 つまり、雅の予想を越えたところで情報が漏れてたのか…哀れ雅。恨むなら、しづ姉の人の良さと、隠れ家的なおいしい喫茶店をバイト先に選んでしまった事を恨んでおくれ。決して私たち(というか私)を恨まないでね。
 「で、私たちとしては、今日これからどうするか?というのが課題なわけだけど」
 ランが、今1番考えなければいけない議題を出してきた。
 「そうだね…とりあえず、虫除けスプレーを──」
 「──はぁっ!?」
 苦虫を噛み潰したような顔をしたランのツッコミがマッハで入った。
 「…いるでしょ?虫除けスプレー」
 「そりゃ、いるけど…」
 確かにそれは必要だけど、それだけを買いにわざわざ市内まで出てきたわけではない。断じてない。というか、
 「1人くらい持ってるでしょ?」
 あれだけの生徒が住んでる寮で、誰1人虫除けスプレーを持っていないとは考えにくい。
 「そうなんだけど…ホラ、念のため?」
 ランの言葉に頷きながらも、それでも用心は欠かさないつもりらしい。高い物じゃないし、買っておいて損になる物でもないんだから。というのが嘉穂の考え方だ。
 「ん〜…去年はどうしたんだっけ?」
 話の流れから記憶の糸を辿っていったものの、ランの記憶の糸は途中でこんがらがっていたのか、それとも切れていたのかしていて、思い出せないらしい。
 「…去年…?ん〜〜借りたんだっけ?」
 嘉穂の方も上手く思い出せない。でも自分のを使った記憶がないんだから、多分借りたんだと思う。
 「…誰に?」
 「…誰だっけ?」
 当然、今度はそこで行き詰って、「ウ〜ン」と2人で考え込む事になる。
 「失礼いたします」
 と声をかけられた。
 その声に思考を中断されて「はっ」と我に返った2人の前にウエイトレスさん(お茶を持ってきた方)がクッキーを置いた。
 「私共の従業員のお知り合いだそうで。よろしかったらお召し上がりください」
 期間限定バイトにまで徹底的に教育がされているのは、素晴らしい事だと思うが、知り合いにやられると、照れくさいというか、胡散くさいというか(失礼)どうにもヘンな感じがする。
 「あら、悪いわね」
 「雅、いいのに…」
 まったく正反対のリアクションがステレオで雅の耳に届く。
 「気にするな。店長からの差し入れだから、私の懐はちっとも痛まない」
 雅が『嘉穂に』説明する。
 「んじゃ、遠慮なく…」
 ランが、ひょいとクッキーを摘まんで口の中に放り込む。
 「始めから遠慮なんかする気なかったくせに…」
 「だから、野良犬に餌やるようなものだから止めとけって言ったんだ」
 2人の冷ややかな視線など、まったく介せずに、ランがおいしそうにクッキーを飲み込んで、
 「うん。おいしい」
 頷きながら、感想を口にした。
 「ご歓談のお邪魔をして申し訳ございませんでいた。」
 「あ、待った!雅っ!!」
 再び営業モードに戻って、一礼をして立ち去ろうとした雅をランが引き止めた。
 「…」
 引き止められた雅は、なにか微妙に恥ずかしそうだ。
 「去年の花火大会の時って、誰に虫除けスプレー借りたんだっけ?」
 「…虫除けスプレー?」
 (その話に戻るの〜?)
 なんだそれ?と首を傾げた雅の右斜め前で、嘉穂が頭を抱える。
 「去年は、松本先生に借りたぞ、確か」
 「ああっ!」
 雅に言われて、やっと思い出した。そういえば、保健の先生が持ってないわけない(今考えると凄い理由だ)って言って押しかけたんだっけ。っていうか、2人揃って忘れるほど、印象薄くないぞ。と思いつつ、いきなり去年の虫除けスプレーの話をフられて、すぐに答えられる雅はやっぱり凄い。
 嘉穂の尊敬の眼差しに、雅が「呆れた」という顔をする。まあ、傍から見たら、毎度お馴染み無表情ですが。
 「ヒトの店来て、何の話してるんだ?お前ら」
 正確に言えば、雅の店ではない(雅もそんな事は言ってないけど)が、そのツッコミはとても正しい。
 「いや、この子がココ出たら、虫除けスプレー買いに行くって言うから」
 ちょっと待てラン。その言い方は誤解を招く。正確に言おう。こういう事は正確に。
 「…お前ら、この暑い中、わざわざそんな事の為に出て来たのか?」
 ホラ、しっかり誤解された。
 「そうじゃなくて、ランがこの後どうする?って言うから、とりあえず必要そうなものを挙げただけで──」
 「──おっと、嘉穂。その言い方だと私が悪いみたいに聞こえるわよ?」
 諸悪の根源がこの期に及んで何を言い出すんだ。何を。
 「ああ、ちょっとスマン」
 ヒートアップしそうな2人の間に雅が素早く割り込んだ。
 「確か…」雅が記憶の糸を辿りながら、言葉を紡ぐ。
 「嘉穂、お前な。去年の花火大会のあと「やっぱり自分の分もいるね」って虫除けスプレー買ってたぞ。確か」
 「あっ」
 嘉穂とランの声が完全にハモる。
 「そういえば…」
 「買ってたね。私」
 2人の脳裏に、去年のその場面がフラッシュバックして蘇る。
 「じゃあ、ごゆっくり」
 よく分からないけど、完全に雅に負けた気がする。何に負けたのかは分からないし、そもそも雅に勝った事んなんか、1度もないけど、それにしたって見事な負けっぷりだ。
 「ああ、それと…」
 立ち去ろうとした雅が、くるりと振りく。
 「恥ずかしいから、あんまり大きい声で呼ぶな」
 テーブルに置かれたグラスの中で、氷がカランと涼しげな音を立てた。
  


  
「Americana」


 
 「はい、オッケ」と裕美が嘉穂の腰をポンと叩いた。
 「ありがとう」
 嘉穂がお礼を言ってペコリと頭を下げる。
 「まあ、嘉穂1人だったら問題ないんだけど…」
 裕美の頬が皮肉を含んで、歪む。
 「自分1人で着れないのに、皆、浴衣だけはなぜか持ってるのよね」
 「しかも着付けして〜って、来るしね」
 「ヤレヤレ」と、ランが笑う。
 「イヤ、アンタもよ、アンタも」
 裕美が「しっしっ」と手を振りながらツッコむ。
 「だって、自分で適当に着るよりも出来る人がいるならやってもらった方が…ねえ?」
 嘉穂が同意を求めると、ランと次子が頷いて相槌を打った。
 「…ったく…今日6人よ、6人。着付けてあげたの。しかも、私が着ないのに、なんで他人に着せてあげなきゃいけないのよ」
 セリフの前半より後半に力が入っているということは、どうやら着付けた人数の多さよりも、自分が着ないのに他人に着せてあげてる事の方が、裕美的には面白くないんだろう。まだブツブツ文句言ってるし。
 「裕美、今年も着ないの?」
 「着ないわよ」
 去年、ランが着てるのを見て、嘉穂なんかは実家から送ってもらった(自分のを持っていなかったので、お母さんのお古を送ってもらおうと思ったら、なぜか大喜びしたお父さんが買ってくれた。とお母さんが言っていた)のに、どうやら裕美は羨ましいとか思わなかったようだ。
 「(実家では)ちょっと正式な場に出る度に着せられてたもの。プライベートで着ようなんて全く思わないわね」
 前言撤回。どうやら着物そのものに、そんなにいい思い出が無いみたいだ。
 「雅も着ねーの?」
 次子が雅に話題をフる。
 「ああ、このまま出る」
 裕美の邪魔にならないように、部屋の隅に置かれた優妃の机で、これまた優妃のバスケ雑誌を読んでいた雅が、顔をあげながら答えた。
 「雅も着付けできるんだよね?」
 「まあ一応な」
 「着ないの?」
 「着ない」
 「どうしても?」
 「どうしても」
 「ど〜〜しても?」
 「ど〜〜しても」
 「そんなに見たいの?」
 「見たい。……あっ!」
 どうやら、嘉穂の考えはランにバラバレだったらしい。完璧なタイミングで入ってこられたので、そのままのノリで答えてしまった。…正直、地味に恥ずかしい。
 「心配すんなって、私も見たいから」
 胸を張って次子はそう言ってくれるけど、どう考えてもそれはフォローになっていない。
 「私も見たい」
 「同じく」
 残る2人も賛成。…という事は
 「賛成4に反対1。よって本件は──」
 「──どうしてもって言うなら着るが…いいのか?」
 ランが話し終わる前にセリフを被せた雅が、意味有り気に間を置いた。
 「浴衣なんか着てたら、斎、抑えられなくなるぞ」
 まさに鬼札(ジョーカー)。これを切られたらこう答えるしかないじゃないか。
 「み、雅が浴衣着たら、私たちが目立たなくなっちゃうから、できれば遠慮して欲しいな〜みたいな。ね?嘉穂?」
 「う、うん〜。そうだよ。それにホラっ!せっかくアップにしてるんだから、やっぱり普段着じゃないと」
 「ホント、ホント。いや〜、雅の普段着は夏の妖精が──」
 「ハぁ”っ!!!?」
 ランと裕美がモノ凄い顔で次子を見る。まぁ、自業自得だ。
 「…ゴメンなさい」
 「分かればいい」
 ペコリと頭を下げた次子を、凄い上から目線でランと裕美が許した。まぁ、自業自得だ。(2回目)
 「さて、ではそろそろ行くとしますか」
 そして何事もなかったかのように次子が切り出す。切り替えが早いのも立派な才能だと思うけど、これはちょっと早過ぎやしないだろうか。
 「賛成。さすがに腹が減った」
 雅が誰よりも早く同意する。きっと本当にお腹が減ってるんだろう。
 「そうね。準備もできたしことだし」
 「アンタは何もしてないじゃない」
 「はいっ!出〜発!!」
 裕美の冷ややかなツッコミは完全に無視して、ランは部屋の玄関へと向かった。
 
 「焼きそばくれーっ!紅ショウガ、青ノリ増量キャンペーンで!!もちろん鬼盛りでっ!!!」
 青に向日葵の書かれたミニの浴衣を着た斎が、うれしそうに注文をする。普通あんな丈の短い浴衣を着たら、『お店っぽく』なってしまうのだが、そこは河上斎。愛らしい。以外にどんな感想も浮かばないのは流石の一言に尽きる。
 そんなお祭り仕様の斎の注文を受けた屋台のおばさん(いつもは食堂のおばさん)がパックに入れてあるヤツじゃなくて、焼きたての方を鉄板からパックに詰めて、詰めて、詰めて、なお詰めて、もう詰めてってじょうきょうじゃないくらい詰めて、もう1つオマケに詰めて…っていうか盛って盛って、
 「はい、斎ちゃん。落とすんじゃないよ」
 と、ニコニコとした笑顔を沿えて斎に渡す。斎は、いわゆる『星影学園のマスコット』と呼ばれるだけあって、たいていの女性から可愛がられてるけど、ちっちゃくて、テンション高くて、単純で、よく食べるという事で、食堂のおばちゃんたちには特に可愛がられている。…と、そこまではいいんだ、そこまでは…
 こぼさないように食べるのが難しいくらいに盛られた焼きそばをズルズルズル〜っ!と勢いよく吸い込む(吸い込んでいるようにしか見えない)斎の隣を歩きながら、優妃は「はー」と、息を吐き出した。
 「む”っ!イカ焼き発見〜っ!!」
 焼きそばの屋台から4歩くらい歩いたところで斎が早くも次の標的をロックオンした。
 「…まだ、いくの?」
 優妃だって、まともな答えが返ってくるなんて、これっぽっちも思ってない。思ってはいないけど、それでも聞かずにはいられない時がある。そして、今がまさに、その聞かずにはいられない時ってヤツだ。
 「ったりめーだろ?イカ食わねーで何が花火大会だってんだぁっ!!」
 イカを食べなくても花火は上がる。そして、その花火がある程度の数、打ち上がったら、それはもう世間では立派に花火大会と呼ぶ。少なくとも優妃の地元ではそうだった。だが、河上さんちの地元では少し違って、イカを食べないとダメらしい。あと、焼きそばと、おでんと、お好み焼きとカルメ焼き。見てるだけでお腹いっぱいにはならない。むしろお腹が減る。っていう理論は斎を見たことの人の理論だという事を痛感する。はっきり言って、お腹いっぱい。胸いっぱいだ。
 「うぉっ!イイコト思いついたぁっ〜!!」
 ズルズル吸い込んでいた焼きそばをピタっと止めて斎は、パックを持ったままイカ焼きの屋台へと向かう。
 「イカの中に焼きそば突っ込むのはナシね」
 「なぜっ!それをっ!?」
 先んじた優妃の言葉に斎が大袈裟に仰け反る。
 「テメー読んだなぁっ!!ボクの心を読みやがったなぁっ!!?」
 「…アンタ…背中が煤けてるぜ」
 右手の人差し指と中指で四角い物体を挟んで、それを顔の前に掲げるような優妃のポーズに「ごくり」と斎の喉が鳴った。
 「ロンっ!『中のみ』100万点希望っ!」
 「サマじゃねぇかぁっっっっ!!!!」
 叫び声と共に、2人で囲んでいた空想の麻雀卓を斎がキレイにひっくり返した。
 「あはははっ。まぁ、それはいいとしてさ。あんまりじっくり進んでると回りきれないよ?今年は全部回るんでしょ?」
 「当たり前だっつーのっ!!」
 なぜか斎が胸を張って答える。
 「だったら、拾う屋台と捨てる屋台を選ばなきゃ」
 カラッカラッの笑顔で優妃が告げる。
 「う”〜、分かった。イカは我慢する…」
 斎は、がっくりと頭を垂れて、ボソっとそう言ってから歩き出した。
 歩き出したのだが。
 「なぁ〜」
 屋台の前でピタっと足を止めて、優妃のTシャツの袖をクイクイと引っ張る。
 「…」
 複雑そうな顔で優妃も立ち止まる。
 「……イカ…ダメか?イカ、ダメかなぁ…」
 信じられないほど、弱々しい口調で斎が呟く。
 「………」
 「……イカ………」
 複雑な優妃の視線VS斎のお目目ウルウル下から見上げる目線。
 「………」
 「…………」
 無言のやり取りの中、斎の両手でお腹をさすりながらの上目遣い攻撃。
 「まだ、時間あるし…イカぐらいなら…」
 あっさり陥落。
 「わおっ!さんきゅーっ!!さんきゅー、ユーヒっ!!」
 「ニパっ」と笑顔を浮かべて、小走りに斎がイカ焼きの屋台へと駆け出す。
 (弱いな〜私…でも誰でもこうなっちゃうよ…アレは)
 と、どうも斎に甘いところがある優妃が自己弁護をする。
 (落ち込むとか、テンションが低いとか、全然無縁の斎があんな仕草したら…)
 さっきの斎のお目目ウルウルと弱々しい口調が優妃の頭の中でリフレイン。
 「…………(リフレイン中)…………」
 (ダメだぁ〜、萌えるっ!カワイイなぁ〜もうっ!!)
 1人ニタニタしながら、後姿だけで分かるくらい嬉しそうにイカ焼きを待っている斎の後ろ姿を眺める優妃。あと1歩踏み出したら、立派に変態さんの仲間入りをしてしまうという最後の一線をうろちょろしている頃、会場の奥では、熱い女の戦いが繰り広げられていた。
 
 「はふっ…熱っ、あつっ!」
 口の中をはふはふと動かしながら、源奏はほおばったたこ焼きを飲み込むべく、必死に戦う。外はよく焼けていて、中はふんわりトロトロ。焼きたてのたこ焼きはとてもおいしかった。
 「どう〜?おいしい〜?」
 「(コクリ)」
 しゃべれないので、和子の質問に頷いて答える。
 「んっ。…っと、うまい」
 なんとか飲み込んで、源奏が返事をする。ちょっと口の中をヤケドしたような気がするけど、まぁ、仕方ない。なんと言っても相手は焼きたてだったんだから。
 「食べる?」
 源奏は湯気を立てて鰹節が踊っているたこ焼きを和子の前に差し出してみる。
 「冷めたぁら〜もらうわ〜」
 「…猫舌め…それじゃおいしくないじゃん」
 こちとら、もう17年のつきあいだ。和子が猫舌なんて事は分かりきってる。分かりきってるけど、それでもこのおいしさをなんとか伝えたい。あと、こういうのは1人で食べるより2人で食べた方がおいしいに決ってる。
 「…なら、冷ましてあげるから、ほら、アーン。あーん」
 楊枝にたこ焼きをプスっと刺して、皿を和子に近づけながら、源奏が「ふー」と息をかけてたこ焼きを冷ます。
 「そんなんでぇ〜冷めるぅ〜わけないやろぉ〜崩してぇな〜」
 「…は?崩す?」
 「割ってぇ〜冷ましてぇ欲しいんよ〜」
 和子にとっては死活問題。というか、源奏があんなに「はふはふ」やってた食べ物を食べる自信なんか和子にはない。
 (たこ焼きを。食べる前に割って冷ます…)
 せっかく熱々なのに…それじゃあ、たこ『焼き』じゃないじゃない…そう思った瞬間、源奏に意味不明なスイッチが入った。
 「そんなたこ焼きへの冒涜許せるか!熱いものだって慣れれば食べられるっ!っていうか、これはもう熱くないっ!!」
 ズズイと楊枝に刺さったたこ焼きを皿ごと和子に押し付ける。
 「あかん〜言うてるやろぉ〜。そんなん口にぃ〜なんてぇ入れられる〜わけないやろ〜っ!」
 双方共に、熱々のたこ焼きと、猫舌。という看板を背負って戦っているだけに引くに引けない。
 「たまには、熱いまま食べてみなってっ!意外とイケルからっ」
 「無理やぁって〜!やけど〜したらぁその後に〜なに食べても〜味ぃ分からなくなってしまうやん〜」
 「騙されたと思っていってみろってっ!!」
 「なんで今更ぁ〜源奏にぃ〜騙されなぁ〜アカンのぉや〜」
 …結局、この押し問答は和子が食べられるほど冷めるまで続いた。
 源奏は、負けた気がした。
 
 「あっ!?お〜い。こっちこっち〜!」
 先発隊として先に会場入りしていた、優妃がブンブン手を振って嘉穂たち本隊を呼ぶ。
 「ゴメンね遅くなっちゃった」
 浴衣を着た嘉穂がトテトテと小走りで駆け寄って、顔の前で両手をパチンと合わせた。
 「いや〜、確かに1人で斎の相手はキツかったよ」
 あはははっと笑いながら、優妃はラムネを1口、口に含んだ。
 「1人?吉村と井上(ドンタクコンビ)は?」
 嘉穂の後ろをダラダラと歩いてきた集団の中から、ランが出てきて尋ねる。ちなみに、「どんたくコンビ」っていうのは、福岡出身で何時も一緒にいる吉村さんと井上さんを指すコンビ名みたいなものだ。まあ、井上さんの方は激しく嫌がってるけど。
 「それがさ、斎が屋台がある度に立ち止まるから「私ら先行くわー」って」
 置いていかれたらしい。嘉穂たちはその原因となった、焼きトウモロコシをクルクル回しながら一心不乱に食べてるリスを眺める。
 「…どれぐらい食べてるの?」
 恐る恐ると言った感じで、嘉穂が尋ねる。
 「……まぁ、たくさん?」
 優妃のいつものカラッカラッの笑顔が引き攣る。どれくらい食べたのかは、その表情から押して量るべし。そういうのが、本当の優しさというものだ。
 「お疲れだったな」
 斎の真の保護者がポンと優妃の肩を叩いて労をねぎらった。
 「うん。疲れた。雅、アンタスゲーよ」
 優妃はコクコクと頷くと、雅が挙げた右手をパチンと右手で叩いた。選手交代って事なんだろう。
 「…後で何かおごってね。バイト代、入ったんでしょ?」
 手を叩いてすれ違い様に雅の耳元で優妃がぼそっと言った。
 「…日払いじゃないんだが…」
 雅もぼそっと答えると、優妃の方を振り返って、
 「それに、お前。食べられるのか?」
 尋ねると、優妃はちょっと考えてから、
 「…あはははっ。ムリだね」
 なにが可笑しいのか、いつもの笑顔でそう答えて、ラムネのビンを口に運んだ。
 「ビンのラムネって最近珍しいよね」
 「…」
 嘉穂の発言に全員がヘンな顔をする。
 「?」
 そして、当の本人には、ヘンな顔をされる心当たりが残念ながらない。
 「なに?嘉穂、これから不思議系に路線変更?」
 裕美が勝手な解釈で、嘉穂のこれからの方向性を決めようとする。
 「違いますっ!」
 「路線変更もなにも、嘉穂は元々不思議系じゃん」
 「そんな事ありませんっ!」
 「………」
 「えっ!?そんな事ないよね?ねっ?」
 しかし、周りの友人達は正直ビミョーと言う空気をしまおうとしない。
 「…………」
 「…そ、そんな事ないよねぇ…?」
 プルプルと振るえながら、嘉穂がしつこく尋ねる。
 「…ぷっ、ぷぷっ、あはははっ!…ムリムリ、もうムリっ!」
 嘉穂の小動物のようなリアクションに堪えきれなくなった優妃が噴き出すと、それを機に全員(リスを除く)が笑い出した。
 「えっ!?なにっ、なんなのっ」
 「ちょっと、優妃〜っ!もうちょっと頑張りなさいよ。台無しじゃない」
 目にうっすらと涙を溜めながらランが文句を言う。
 「いや、ゴメっ…でもさ、あはははっ」
 しゃべったことで、再びこみ上げてきたきたのか、優妃がまた笑い出す。
 「ちょっと、なんでそこまで笑うのよ〜」
 ふくれっ面で文句を言う嘉穂がまた可笑しくて、全員(リス除く)が再び笑い出す。伊東嘉穂、彼女には今確実に笑いの神が降りていた。
 「あ〜笑った笑った」と満足そうに歩く次子の横で、嘉穂はツンと機嫌悪そうに歩く。
 「ところで、そのラムネってさ、キャップ開くヤツ?」
 「キャップ?…ああ、どうだろ…」
 次子に言われて、優妃がラムネのビンのキャップの部分を握って、力を入れる。
 「う〜ん。回りそうにないね〜」
 右手をヒラヒラ〜と振ってお手上げのポーズ。
 「貸してみろ」
 雅が差し出した手に優妃がラムネのビンを渡す。
 「っ!」
 短く息を吐いて、雅が力を入れる。
 「………」
 雅につられて、嘉穂たちが「むぅ〜っ」と息を止めて、ラムネのビンを見つめる。
 「無理だな」
 と言う雅のお手上げのポーズと共に「ぷは〜」とみんなが息を吐き出した。
 「開かないのか…残念だね」
 「あのさ、さっきから思ってたんだけど…」
 がっかりした嘉穂の声に続いて、ランにしては珍しく歯切れ悪く尋ねてきた。
 「それ開くとなにがあるわけ?」
 「え?」
 嘉穂と優妃、次子と雅、そして裕美の声が重なる。
 「なにって…そりゃ、お前ビー球だよ、ビー球っ!」
 「ビー球?」
 次子の答えに納得できなかったのか、ランが聞き返す。…そうは言われても、ビー球はビー球だし、ランがビー球を知らないとは思えないんだけど…
 「ラムネの中に入ってるじゃない」
 「いや、それは知ってる」
 裕美の解説もクールに返す。
 「…お前まさか──」
 あまりにも淡白なランのリアクションに、1つの仮定を立ててみた次子が、恐る恐る尋ねる。
 「──ラムネのビー球取ろうとしなかったのかっ!?ガキの頃とかさぁっ!!」
 信じられない。そんなヤツいるわけない。そんなテンションで次子が叫ぶ。
 「…え、だって、ただのビー球でしょ?」
 しれっと答えた。
 「はぁっ!?お前、ただのビー球って…はぁっ!!?」
 身も蓋もない言い方だけど確かに、アレはただのビー球だ。あと、どうでもいいけど、次子、日本語をしゃべれ。
 「なに?アレ欲しいの?」
 完全に分かってないランはツッコミのピントがそもそも合っていない。
 「今じゃねぇよっ!ガキの頃、妙に必死になってビー球取ろうとしたなって話だよっ!!」
 「今、取れるかどうか聞いたじゃない」
 「懐かしいから試してみようか〜。みたいな話だってのっ!なんなんだよ、お前っ!!」
 完全にエキサイトしている次子が敵意を剥き出しにしてランに食ってかかる。
 「取れなかったんでしょ?ならいいじゃない」
 そして、当のランのテンションがずーっと水平飛行なので、次子がエキサイトすれば、するほど、話が噛み合わない。
 「…私は子供の頃、ラムネ買ってもらう度にビー球取ろうとして頑張ったよ」
 ちょっと遠い目をして優妃が言う。
 「ペットボトルっていうか、プラスチックだと、切って取り出せるんだよね」
 嘉穂が優妃に同調する。
 「ビンだって割ればいいじゃない」
 「お前、もう黙れ」
 ランの冷めたツッコミを次子が頭から叩き潰す。
 「さすがにそこまではしなかったけど、でもさ、親に怒られながらやっとビー球取っても、ホント普通のビー球なんだよね」
 「取れた直後は最高の気分なんだけどな、戦利品を見ると、コレ本当に欲しかったのか?とは思ったな」
 「そうそう、それでお祭りから家に帰ってくるまでに、どっかいっちゃうんだよね」
 嬉しそうに優妃が笑って、まったくだと、雅が頷く。
 「あれは、達成感を得るためのものなのよ。だから景品の方にはそんなに興味ないのよね、実際のところ」
 「取れるまでは本当に欲しいんだけどね」
 裕美に嘉穂が同調する。
 「1度もないわ」
 「だから、黙れ。この冷めた目をした現代っ子め」
 同い年のランにそのツッコミはどうよ。と思わなくもないけど、言いたいことは大体分かる。というか、あのビー球を取ろうとした事がないというのは嘉穂にとって、結構な驚きだった。…だって、あの雅ですらやった事あるのにって。
 「おい〜、そんなカビ臭ぇ思い出話はどーでもいいからよ、早く奥行こうぜ。まだ唐揚げもソースせんべいも食ってねんだからよぉ」
 さっきまで、隅っこで大人しくトウモロコシを食べていた子リスが、次の食料を求めて騒ぎ出した。見た目は子リスだけど、食欲は象のそれだ。間違いなく。
 「お前まだ食うのかよ?」
 呆れながら次子が言うと、
 「まだ食ってねぇって言ってんだろっ!!」
 全力で見当違いの答えが返ってきた。
  


  
「Lilac On The Hillside」


 
 「間に合ったね」
 嘉穂が腕時計を見ながら言う。花火の打ち上げ開始まであと2分。けっこうギリギリだったのは、鬼のように屋台を食べ荒らした斎のせいだ。
 「ったく、チンタラやってっからだ」
 「お前が言うな、お前が」
 ヤレヤレと肩をすくめながら、雅がツッコむ。
 「んだと、ゴラぁっ!オメーらが虫除けスプレーがどーのこーのってくだらねー話してたから遅くなったんじゃねぇかぁっ!」
 とんでもない言い掛かりだ。確かに虫除けスプレーの話はしたけど、それはあくまで歩きながらの話なので、時間のロスにはなっていない。しつこいようだけど、1番時間をロスしたのは、斎が食べ物の屋台を手当たりしだいに襲撃したからだ。
 「ん〜、斎ぃ〜?…あ、優妃やぁ〜やっほぉ〜」
 斎が騒いでる声が聞こえたんだろう。嘉穂たちの結構前にいた吉村さんが、独特のしゃべり方と共に振り返って、そして井上さんと一緒に歩いてくる。
 「なんやぁ〜、雅ぃ〜浴衣ちゃうんかぁ〜がっかりぃや〜」
 合流と同時に吉村さんがそう言ってため息をついた。ウン。気持ちはよく分かる、よく分かるよ。
 「なによ、不満なの?私が浴衣着てあげてるじゃない」
 ランがクルっと1回転してポーズをキメながら言う。なんだかんだ言っても折角の浴衣。見て貰いたいことにかわりはないらしい。
 「あかん〜ランはぁ〜浴衣美少女どまりぃや〜。雅は〜浴衣美人やろぉ〜この差は大きいえ〜」
 「ああ、それは納得」
 「早っ!?それでいいのかよ?」
 「だって分かるもの」
 雅の浴衣美人説に納得したのか、それとも自分が浴衣美少女と呼ばれたことに気分をよくしたのか(多分、両方)ランはあっさり折れると、井上さんのツッコミにも、冷静な大人の対応を見せた。ほんの30分くらい前に「ビー球が欲しければ、ビンを割ればいいじゃない」発言をした人間だとはとても思えない。これだから、女っていうのは難しい。
 「しっかし、マジで雅のうなじキレーな。ちょっと見せてみ?ホレ」
 金髪ツインテールを振りながら、ホレホレと、井上さんが親父丸出し発言をする。確かに、いつもは隠れてる雅のうなじが見たい気持ちはよく分かるけど。というか、寮を出る前にさんざん堪能させてもらったけど。
 「別に構わんが…ホラ」
 今日は髪をアップにしてるから単純に後ろを向くだけで、うなじが見せられるので、雅が無造作に後ろを向くと、
 「違ぁうっ!!手っ!手ぇ使って、こうっ!!」
 井上さんが、髪を掻きあげる仕草を要求する。
 「いや、いらないだろ…」
 「いーるのぉーっ!!」
 なんだか知らないけど、凄い憤りっぷりだ。
 「…さすが井上、分かってるわね」
 感心、感心。と裕美が偉そうに首を縦に振る。
 「…こうか?」
 井上さんの熱意に負けたのか、それとも抗議するだけ無駄だと悟ったのか、とりあえず雅が頭の後ろに手を添えて(こう書くと全然色っぽくないから不思議だ)後ろを向く。
 「…」
 「ぐ、ぐじょぉぶっ!ぐっじょぶ雅っ!!」
 そう言って、井上さんが親指を立てると、
 「イエーっ!」
 という声と共に優妃と右手で、吉村さんと左手でハイタッチ。続いて、次子、ランともハイタッチ。
 「…?」
 なんだか、よく分からんけど、盛り上がってるからまぁいいや。といった感じで、雅が前に向き直った時だった。
 ヒュ〜〜〜〜〜〜〜、ドぉーーーーン!!!
 お待ちかねの花火が上がった。
 「たーまYAHHHHHHー!!」
 「………」
 ヒュ〜〜〜〜〜〜〜、ドぉーーーーン!!!
 「かーぎYAHHHHHHー!!」
 「…えと、2人とも、それ歓声じゃなくて屋号だって知ってた?」
 誰もツッコまないので、仕方なく嘉穂が斎と次子にツッコんだ。
 「屋号?なにそれ?」
 「さぁ?まぁ、とりあえず言っとけばいいんじゃね?」
 うん。と2人が頷きあうと、3発目の花火が上がった。
 ヒュ〜〜〜〜〜〜〜、ドぉーーーーン!!!
 「YAHHHHHHー!Goooooo−っ!!!!」
 「なによ、それ?」
 「…」
 「あはははっ、なんかいいねそれ。結構盛り上がるよ」
 「試合の時とか、それで応援されてもいいわけ?」
 「すりぃ〜が入らんかったらぁ〜それのぉせいにするわぁ〜」
 「入ったら?」
 「ウチのぉ実力やぁ〜」
 「なによ、それ〜」
 夜空を見上げながら、みんなが口々に思い思いの事を言う。
 嬉しそうな。楽しそうな顔をして。ここにいる生徒がみんな同じような顔をして夜空を見上げている。
 また1つ、また1つと花火は咲いて。
 大きな花火が咲いて、その後、夜空に広がった小さな花が、嘉穂には丘一面に咲き誇るライラックに見えた。



〜 Fin 〜




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