短編小説『 野村 理佳 』
作:渡辺浩造
甲府の盆地に佇む「私立星影学園」
ここは、日本では珍しい、全寮制の高等学校である。
季節は、桜が咲くには少し早い頃…早いハナシが3月下旬。
学園からほど近い所に建っている学生寮には、この4月に新入生となる「まだ籍は義務教育にあるけど、もうすぐ大人の仲間入りよ」ってなカンジの、初々しい連中が犇いていた。今日は彼らの(順当にいけば)これから3年間お世話になる寮への入寮日である。
ここの学生寮、男子寮と女子寮は、当然別々の建物ではあるが、敷地は同じ括りになっている。つまり、寮の正門は共通だというコトだ。全国から、入試を勝ち抜いた精鋭男子女子諸君が、次々と学生寮の門を潜って行く。
新入生達は、かなりの緊張の面持ちだ。
これを迎え撃つ(?)在校生たちは、というと…
新2年生達は、この学園での始めての後輩達に、こちらもいささか緊張気味で奔走中。部屋への案内や、荷物の受け取り確認などは、全て2年生の仕事。
新3年生だけは、まぁ、慣れたモンだとばかりに余裕綽々。寮の窓から、外の様子を眺め「懐かしいねぇ」などと言い合っている。
新入生達の荷物が次々と玄関に届き、それを先輩達が打ち合わせ通りに、それぞれの部屋へ運び込んでいく。
新入生達は、玄関で到着の受付手続きを済ませ、その足で、3年間住む部屋へと案内されていく。
全寮制の星影学園だけの、ちょっと早い「春の風物詩」である。
…そんな風物詩も、恙無く殆どの新入生たちが入寮して…と、ここでこれまた毎年必ず見られる光景が…特に男子寮から多発気味。
まずは、男子寮の模様から。
「おい、誰か406号のスギタって奴の荷物、間違って運んでねーか!?」とか、「誰だよ、3年の先輩に荷物運ばしたバカはよぉ!!」とか、様々な怒号が飛び交う。
で、引き続きまして女子寮の模様。
「もう全員、来てる?」とか、「受付済ませてないコ、いない?」とか、何やら確認のための言葉が飛び交うのは変わらないが、男子寮とはまた違った雰囲気。トラブルが少ないせいか、比較的スムーズに進んでいる。しかし、トラブルゼロとは行かなかったみたいで、こっちはこっちで大変だ。
勿論、振り回されるのは2年生。振り回すのは新入生。
女子寮の玄関では、そんな光景が展開されていた。
「理佳の入寮日」
「あれ? まだ、受付が済んでいないコがいる」
「マジで?」
「えぇ、野村 理佳ってコかな。
………野村 理佳さーん。受付が済んでないわよー」
「ったりめーーーだろ! ここにいんだからよぉあ!! ですぅ」
受付の2年生が名前を呼ぶと、名前しか分からない後輩から返事が返ってきた。
安堵の表情を浮かべ、その声の主を待つ2年生。この安堵には、それなりの理由がある。今、この場に居ないという事は遅刻者か欠席者に限られる。欠席者なら大概、学園の方に連絡が入っており確認するのは容易なのだが、遅刻になると話は別で学園の方にも連絡が入っていない場合もある。そうなると本人に確認の連絡を入れなければならない。今日、携帯電話なる物の普及で連絡を取るのが容易になったとはいえ、相手が出ないという最悪のケースを考えると、中々に大変な作業になる。そして、毎年必ずと言って良いほど入寮日に遅刻してくる者がいるのだ。(女子に限っては1度もいないが。)
「ええぃ、退けぇいですぅ! 頭が高けぇですぅ! 理佳の道を、理佳ロードをあけやがれぃ、ですぅ!!」
「イテェッ! 何処に目を付けてんじゃい、こんボケぇ!!ですぅ」
「ケッ! どいつもこいつも、プリチィ・理佳様を見下ろしやがってですぅ」
徐々に声の主が近づいてくるが姿が一向に見えない。人込みに軽い隙間ができ、それは時間が経過する毎に近づいてくる事からも確かに移動はしているのだが。
声の主はやっとこさ人込みを抜け出し、そして、その勢いで転んだ。
「イタタ!! コレは折れたなぁ! 確実に折れたなぁ、です。脾骨辺りが、ポッキリと!!」
声の主は打ち据えた箇所を擦り、ツインテールを振り乱して、のたうちまわる。
「大丈夫?」
「おぅおぅおぅ! この学園は新入生を骨折させっちまうのが通過儀礼なのかぁ、ですぅ!?」
「そんなわけないじゃない。ほら、チャッチャと受付を終わらせる」
「チチィ! これじゃあ、転がり損じゃねぇか、ですぅ」
などと、のたまいながら、理佳は立ち上がり埃を落としていく。
「じゃあ、ここにサインしてね」
理佳は促されるままサインをする。だが、サインしただけではつまらない。だから………。
「いや、最後のチューリップの絵とか、いらないから」
「ちょっと待ちやがれですぅ! 今、いいところですぅ」
「ハイハイ、お終い、お終い」
「あぁ〜〜ん、どチクショウめぇ!!ですぅ」
2年生は用紙を取り上げると、用紙につられて理佳の手は空中を彷徨う。
高々と掲げられた用紙は、彼女がピョンピョンとジャンプをしても手の届かないところにあった。
止められた理佳は苦虫を噛み潰す。書きかけのチューリップが寂しげに用紙の中で揺れていた。
「はい、OK」
「チューリップは全然、全く、ちっとも、OKじゃねぇー!! ですぅ」
「いいから、いいから。…さてと……ようこそ、星影学園女子寮へ!」
「何、間ぁ取って、サラッと笑顔で誤魔化してんでぃ! ちゃんと描かせろやぁ!! ですぅ」
「ほらほら。早く行かないと、相方に部屋を占領されちゃうよ〜」
「何ぃ!? ですぅ」
理佳が周りを見渡すと、周囲の生徒は殆どいなかった。皆、自分の部屋へと行ってしまったようだ。
「チチィ!! この理佳が出遅れたですとぅ!?」
脱兎のごとく駆け出す理佳。
だが、
「お前の顔、ガッツリ覚えたかんな!! 月が出てても夜道には気を付けろ!! ですぅ」
しっかりと捨て台詞を残していった。
「理佳とルームメイト」
階段を2段飛ばしで駆け上がる。1段1段なんて、チマチマした上がり方はしていられない。
廊下には殆ど、生徒の姿は見受けられない。もう、皆、部屋で荷解きをしているのだろう。
自分の部屋の同居人も今頃は、我物顔で荷解きをしているに違いない。だが、そうは問屋が卸さない。今のうちに、この世の春を謳歌しているといい。
合った事もないルームメイトに悪いところがあろうはずがない。ただ1つあるとすれば、運が悪かったことだった。
小さな暴走列車、野村理佳は周りの部屋番号を確認しながら、走っていく。
…………次だ!!
理佳は走ってきた勢いそのままに扉を開けた。
「オッス、理佳の名前は野村理佳ですぅ。好きなものは風呂上りに飲む『コーヒー牛乳』。嫌いなものは、好きじゃないものですぅ」
現場に踏み込む刑事のように部屋に転がり込む。そして、自己紹介。こういうことは勢いが大切だ。
さぁ、相手は、どのような反応をしてくるのか?
理佳は、その時を待つ。
…………。
………
……
…
「シカトかよ!! ですぅ」
同居人と思われる娘が突っ立っているが、驚いているのか表情は空ろだった。
理佳を見て、ボーっと立ち尽くしている。
「な、何ぃ!? ですぅ」
だが、理佳は同居人の姿をみて、愕然とする。
同い年とは思えない。
出るとこは出て、引っ込むところは引っ込む。
モデルをやってますと言われたら、納得のプロポーションだった。
胸なんか、出すぎだろ!! と言いたくなるほどだ。
理佳がショックで口をポカーンと開けていると、相手にも動きが出てきた。
彼女が持っていた洋服がドサッと落ちる。
魂が抜かれたように、フラフラと、こちらに寄ってきた。なんだか、バイオハザードに登場しそうな歩き方である。
警戒しながら、彼女の行動を待つ。
その距離、3m………2m………1m………0………。
「のっ!!」
急に抱き締められる理佳。
「は、離しやがれ、このどチクショウめ!! ですぅ」
この行為の意味が分からない。
暴れるが、凄い力に捕らえられて、逃れることができない。
「…………か、」
「蚊?」
彼女は口を開く。
蚊がいたから、守ってくれたのか? そんな好意的解釈もするが、有り得ないだろう。
「…………か、」
「加トちゃん?」
「可愛い!!」
ギュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
思い切りの抱擁。
綺麗と言われたことはないが、可愛いとなら言われてきた。
だが、これほどの熱い抱擁を受けたのは初めてだ。
どうやら、この娘は自分の魅力に参ってしまったらしい。抱き締められた力強さからも、そのことが良く分かる。
「ま、まぁ、そういうことなら、理佳に触れることすら許すですぅ」
ここまで、ベロンベロンだと悪い気はしない。
彼女は許されたのが嬉しかったのか頭を撫でたり、髪を触ったりとしてくる。
そんな行為を許して、5分が経過。
彼女はまだ収まりそうにない。
………10分が経過。
止める気配はない。
………1時間が経過。
「理佳、そろそろ、怒っていいような天からの啓示が降りてきてやがるぞ? ですぅ」
人間には限度があるものだ。
それに、何事もやりすぎはよくない。これは、その良い例だろう。
「いつまで、触っとんのじゃあ、こんコワッパァ!! ですぅ」
声は室内では収まりきらず、廊下を歩いていた数人の生徒が驚いたという。
これが、榎本揚子(エノモト・ヨウコ)との出会いだった。
腰に手を当てて、ゴキュ、ゴキュとコーヒー牛乳を飲む。
「Cooーーーーーーー!! 激美味いですぅ」
風呂上りに飲むコーヒー牛乳は、やはり、格別だった。
まだ、夕飯前だというのに、風呂に入ったのは、彼女が根っからの風呂好きだからというわけではない。
只でさえ、荷解きが遅れていたというのに、揚子の抱擁のおかげで更に遅れてしまった。それを挽回するには急ピッチで終わらせるしかない。
後半は遅くなった元凶が手伝ってくれたが、終わった時には、汗をダラダラと流していた。
このままだとベタベタして気持ち悪かったので、シャワーを浴びたのである。
それも、これも、揚子の抱擁のせいだ。
「あの、理佳ちゃん、ドライヤーかけてあげますよ?」
揚子はそう言って手招きする。どうやら、責任を感じているらしい。
ここは断るという選択肢もあるが、それは、大人気ないだろう。だから、好意に素直に受けることにした。
明らかに、あの抱擁は行きすぎだったが、自分に好意をよせてくれての行動だし。
この代償はゆっくりと長〜〜〜〜〜く、返してもらおう。
部屋に響くドライヤーの音。
自分以外の手で乾かされる髪、ドライヤーから出てくる風を感じながら、理佳は思う。美容室にいるみたい。
「ふぅ、極楽極楽浄土浄土ぉ、いやはや、激気持ちいいですぅ」
「それは良かったです」
「揚子ちゃんは、シャワーを浴びなくていいですかぁ?」
「えぇ。それほど、汗を掻いてるわけではありませんから」
確かに、彼女は、大急ぎで荷解きを終わらせたのに汗1つ掻いてはいなかった。
この差にかなり理不尽なものを感じる。
聞けば、彼女は、由緒正しいお家柄らしい。なんだ? お嬢様は汗をお掻きにはならないということでございますか?
「世の中、ビックリする位に不公平な格差社会ですぅ」
「え? 何か言いました?」
「なんでもねぇです」
自分と比較しても仕方ないが、不平を言わずにはいられない。
片や、ナイスボディの良家のお嬢様。片や、幼児体型の茨城の土民(カッペ)。
比べる方が悲しくなるというものだ。
「そろそろ、飯の時間じゃねぇですか?」
「あぁ! そうですね」
「ここの飯は、美味い・オア・不味い、激心配ですぅ」
「美味しいといいですねぇ」
「激全くですぅ」
変な同居人だったが、まぁ、上手く手綱を締めれば、良好な関係を築けそうだし。
差し当たり、今は、夕飯がどうようなものになるのか。
それを、楽しみにしておこう。
「理佳の初めての買い物」
理佳は春が好きかと問われたら、間違いなく嫌いと答える。
周りの連中から発せられる、フワフワとした浮ついた空気が、彼女にとって「ムッカつくですぅ」というマイナスの感情を生み出す原因になっていた。
もう少し、落ち着けよ、と言いたい。だが、これを口に出すのは余りにも大人気ないので、黙っていた。
だが、理佳は今、街に出ている。
周りを見渡せば、楽しそうに腕を組んで歩いているカップルが目に入る。笑顔でべビィ・カーを押している夫婦や、日向ぼっこをしているのか、ベンチに座って動かない老人。
一度、外に繰り出せば、周りには浮かれている連中が多い。今日は外の天気が良いせいか、街には人が溢れていた。
暖かくなる気温につられるように、人間の気持ちも緩んでいく。
それは、この甲府の地でも同じようだ。
「チチィ!!」
歩いている人々に聞こえるように舌打ちをする理佳。彼女のイライラは、かなりMAX。
できることなら、手榴弾をばら撒いて、綺麗サッパリ自分の前から一掃してやりたい。
嫌いな春先に、しかも人の多い街まで繰り出してきたのは、揚子と2人で生活必需品を買いにきていたのだ。
お風呂の洗剤、食器用のスポンジ、便座カバー、洗濯物を入れる籠などなど。
今まではあるのが当たり前だったものが、これからは自分で調達しなければならない。
所帯じみた買い物ではあるが、なければ確実に困るものばかりである。
そんなわけで、渋々、買い物に出掛けてきたのでだ。
だが、
「揚子ちゃ〜〜ん、何処にいるですぅ〜〜〜」
相方と逸れていた。
最初は全く乗り気じゃなかったが、ウインドウショッピングというものに付き合っていた。
揚子はファンシーな小物を見つけるたびに理佳に見せてくる。
「理佳ちゃん、これ、可愛いですね♪」
「お、バリ可愛いですぅ」
「あ、これも可愛いですよ♪♪」
「この可愛いさ、自重しろですぅ」
「あ!こっちも可愛いですね♪♪♪」
「……………可愛いですぅ」
「う〜〜〜ん、どちらが良いでしょうか?」
「てめぇで、決めろですぅ!!」
こんな感じのやりとりが何度も続いていた。
揚子は色々な物を物色しながら、店を回るのが楽しいらしいが、理佳にはその感覚が理解できなかった。
めぼしい物を発見したら、迷わず買う。買わずに後悔するより、買って後悔しよう。
それが理佳の信条だった。
揚子はというと、まだ、小物に夢中だ。
あの様子を見る限り、この店に居座り続けるだろう。だったら、一息つくことにしよう。
だが、これが大きな間違いだった。
店に戻ってみると揚子の姿がない。店中をくまなく探したが、榎本の「えの字」も見当たらない。
店員に聞いてみると、それらしき人物が慌てた様子で店を後にしたらしかった。
そして、今に至る。
散々、街中を駆け回った。
人ごみの中を、路地裏を、店の中を。
だが、揚子の姿は見つけることはできなかった。
このまま、置いて帰るというのもあるだろうが、生憎、理佳の中に、その選択肢はない。
今度からは断ればいい。こうして一緒に出てきたからには、最後まで面倒を見なけらばならないだろう。
だが、この人込みの中、どうやって、探すか。それが問題だった。
これが遊園地なら、迷子センターに行って、呼び出しをしてもらうのに。
理佳は立ち止まり、思案する。
「あ! 携帯ですぅ」
何故、最初にそれを思い出さなかったのか。お互いの電話番号とメルアドは入寮した日に交換したというのに。
理佳はピンクのポシェットから、携帯と取り出すと、揚子に電話をかける。すると、
「理佳ちゃんですか!? 理佳ちゃんですよね!?」
ワン・コール鳴り止む前に揚子の大声が聞こえてきた。音にすると「プル」しか鳴っていない。
『良かった………理佳ちゃんの余りの可愛さに誘拐でもされたのかと………もう、心配で心配で』
受話器の向こうで揚子の安堵の溜息を漏らしていた。
「そんな勇気のあるやつがいたら、理佳お手製の大砲で北緯35度を強制突破させてやるですぅ」
どうやら、お互いに探し回っていたようだが、反対方向に行ってしまったのか、見つけられなかった。
やはり、こういう時はどちらかが動かないのが定石。
「今、どこに居やがるですぅ?」
『街の中です』
「そりゃ、奇遇ですぅ、理佳も街の中にいるですぅ」
聞きたいのは、そういうことではない。具体的な場所が聞きたいのだ。
「耳の穴、かっぽじって良く聞けですぅ」
『………え〜〜〜っと、かっぽじる?』
「あぁ!! 気にするなですぅ!! とにかく、理佳の質問に答えろですぅ!!」
『はい!!』
「今、居る場所を教えるですぅ」
『街の中で………』
「わりぃ!! 理佳の質問の仕方が悪かったですぅ!!」
このお嬢様には、もっと噛み砕いた質問の仕方をしなければならないようだ。
「何か目印になりそうな店はないか? ですぅ」
『え〜〜〜〜っと………あ! 目の前にマクドナルドがあります!!』
あの色白な肌の男の店。確か、1度、通ったような。
「了解ですぅ」
それが分かればいい。1つの街にあの店が何十軒もあるとは思えないし、あとは何とかなるだろう。
だが、その前に、このお嬢様に釘を打たねば、どこに行くか分かったものではない。
「いいかですぅ! 今から理佳がそっちにいくですぅ」
『はい!』
緊張した声で返事をする揚子。この様子なら、大丈夫だろう。
「隣りでオッサンが盛大に加齢臭を漂わせようと、そこから動くんじゃねーですぅ!!」
『分かりました! これは、理佳ちゃんをほおっておいた罰なんですね!!』
興奮気味に話す揚子。彼女にとって、理佳が探しにきてくれるのは幸せなことなのだ。
『私、待ってます!!理佳ちゃんをいつまでも待って………』
揚子の言葉を最後まで聞かずに、電話を切る。
携帯をポシェットに入れると、自然に溜息がもれた。
「これじゃ、同居人というより、保護者ですぅ」
とは言うものの、走り出さずにはいられない理佳だった。
「Battle of Rika」
居場所を聞いてからは揚子を発見するのは簡単だった。店の場所を通行人に聞けば、それでOK。
5分とかからずに、彼女を視界に収めることができたのである。
揚子は人込みを避けるように、メインストリートの脇に立っていた。
だが、その尋ね人は若い男に話しかけられて困惑の表情を浮かべていた。
男の方を見ると、茶髪にロンゲのいかにも軽そうな感じである。
俗にいうナンパというものだろう。
この時、理佳の中で溜まっていたイライラが貯水池からあふれ出す。
「…………春先はクレイジーが多くて、困るですぅ」
理佳は、どこに持っていたのか、右手にメリケンサックをはめると、スタスタと揚子の元へと歩いていった。
「揚子ちゃん」
「あ、理佳ちゃん!!」
やはり、不安に駆られていたのか、揚子の顔が親を見つけた雛のように明るくなる。
「あのですね、こちらの方が…………」
理佳は揚子の言葉が終わらぬうちに、右手を男の鳩尾へとHITさせた。
西部の荒くれ者もビックリの早撃ちだ。完全に無警戒、無防備だった男は「ウッ!!」という声を上げて、その場に膝から崩れ去る。
「り、理佳ちゃん!!」
揚子の声は彼女には届いていない。
理佳は男を仰向けにした後、そこに馬乗りになる。所謂、マウントポジションというやつだ。
そこから、男の顔面めがけて、右手を1つ、2つ、3つと振り下ろしていく。
「アハハハハハハハハハハ!!ですぅ!!」
顔は笑っているが、目が笑っていない。彼女に格闘家の魂が宿ったのか、理佳は左右に束ねている髪をはためかせながら、殴る、殴る、殴る。
いつ頃まで、そうしていただろう。男は声を発する事もなく、轟沈した。
理佳はというと、
「フゥ………スッキリしたですぅ!!」
とニコヤカに顔を上げる。
「さぁ、揚子ちゃん、買い物の続きですぅ!!」
だが、名前を呼ばれた方はというと、完全に震えていた。
さもありなん。目の前で、これほど残虐シーンを見せ付けられれば、お嬢様には軽いトラウマになるだろう。
これは、フォローを入れた方が良いか(この状況をどうのように?という問題があるが)と、考えていた矢先、
「…………理佳ちゃん、ステキです………」
揚子は瞳をキラキラさせて、抱きついてきた。
正直、この娘の考えていることは、よく分からない。だから………
「あったりめぇですぅ!!この2,3日、何を見てきたんだつー話ですぅ!!」
この際、何も考えなくていいような気がしてきた。
揚子にとっては、自分の行動の全てがオールグリーンなのだろう。自分の徳の高さに本当に参ってしまう。
「う〜〜〜ん、すみませんでしたぁ〜〜〜。」
揚子は目には、もはや、理佳しか映っていない。こんな言い方をすると少し危ない香りもするが、こう表現するしかないような入れ込みようだった。
………
……
…
「あの〜〜、こちらの方は………」
興奮状態から落ち着いた揚子はかつて人間だった物を指さして、恐る恐る聞いてくる。
「気にすることねぇですぅ。ほっとけば、ハゲタカあたりが啄みに来て、綺麗サッパリ無くなるですぅ」
「それって、亡くなってるんじゃ…………」
「大丈夫ですぅ、死なない程度にゃ手を抜いているですぅ」
マウントポジションからメリケンサックの乱れ打ちで、どう手を抜いているのかは置いておき、揚子が肉塊を見ると、時折だが「ピクッピクッ」と動いている。確かに、現状では虫の息で留まっているようだ。
「死んでも動く、脊髄反射ですぅ」
「やっぱり、亡くなってるんじゃ!!」
「いいんですぅ。ほら、行くですぅ」
理佳は困惑している揚子の手を、もう、この場に用はないと言わんばかりに強引に引いていく。
「り、理佳ちゃん!? …………あの、すみませんでした〜〜〜」
その場を去りゆく揚子の謝罪の言葉が辺りに響く。無論、それは男には届いていない。
遠くに救急車のサイレンを聞きながら、少女たちは街の喧騒に消えていった。
2人の初めての買い物は波乱に満ちたものになった。
「理佳と、そんな感じの夜」
その日の夜、何時なのかは分からないが、理佳は息苦しさで目を覚ました。
軽く、流れてくる柑橘系の香りが鼻をくすぐる。「消臭力」なんて使ってたっけ?
理佳は時計を見ようと体を動かそうとするが、何か強い力に押し止められてできなかった。
「おいおいですぅ」
これは、俗に言う「金縛り」というものなのか?
このまま朝まで、この状態?そんなのは、まっぴら御免だ。
仕方なく、揚子に声をかけることにしよう。こういう時は他の人に触れられたら解けるということを、祖父から聞いた気がする(試したことがないので信憑性にかけるが)
揚子は寝ているだろうか。耳を澄ませば、確かに揚子の寝息が真横から聞こえる。
………ん?真横?
理佳が顔を向けると、そこには整った顔立ちの揚子の顔があった。
どうやら、体が動かない理由は霊的現象ではなく、人的原因。
彼女は理佳の体をガッチリと抱き締めている。
「この、レズ巨乳がぁですぅ」
トイレに起きて、間違えて潜り込んだのか、故意に潜り込んだのかは分からない。そして、後者を否定できないことが非常に悲しい。
ただ1つ言えることは、この野村理佳の睡眠を妨げることは、何人たりとも許しはしない。
理佳は彼女の引き離そうとする。だが、両手をガッチリとロックしている揚子は、中々離れなかった。
何度か試してみるが、引き離せそうにない。そればかりか、引き離そうとすればするほど、揚子の腕に込められる力は強くなる。
「こいつ、本当に寝てるのか? ですぅ」
ここまで頑なに抵抗されると、普通は疑いを持ってしまうだろう。それとも何か?夢の中で
再度、渾身の力を振り絞ろうとした、その時………
「……理佳ちゃ〜〜〜ん」
………と、揚子の寝言が耳に届く。
理佳は完全な不意打ちに力が抜けてしまった。
………これは、反則だと思う。
彼女は夢の中まで、自分と一緒なのか。
幸せそうに眠っている揚子を見る。そして、確信した。
間違いねぇ!! この女、ベロンベロンだ!!
少し…いや! かなり変なところがあるが、ここまで好かれているのは、悪い気はしないのも事実だった。
どうやら、自分はくじ運は強かったようだ。
まぁ、今夜のところはベットに入り込んだことは、そのベロンベロンさ加減に免じて不問にしておこう。
「…………なんて、思うほど仏( ブッタ )じゃねぇですぅ!! 天誅ですぅーーーーー!!!!!!!」
理佳の怒号が深夜の女子寮に響き渡る。
2人の学園生活は始まったばかりだった。
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